歩道橋からの眺め
(2003.3.27[木])
毎年繰り返されることだが、この時期の職場は人事異動であわただしい。 昨晩は急遽身近なグループでの送別会となった。 7人が集まり、そのうちの5人が異動。 昨年の今頃は見送られる立場であった私だが、今年は「2/7」と少数派となる見送る側。 遠方への赴任者も多く、しばらくは顔を合わせることも無くなってしまう。
送別会の帰り道、歩道橋を渡り眼下の車のライトの流れを眺め、一年前にはよく歩いた川の流れを眺めたことを思い出す。 赤いテールランプを見ながら、川と人と時間とのそれぞれの流れを思った。
▲ ▼
サクラ
(2003.3.19[水])
桜の語源として、 稲を表す「サ」と 神の降り立つ場所を表す「クラ」が 結び付いたとする説がある。
田に早苗を植える頃、 灰緑色の山に忽然と現れる薄紅色の山桜を、 田の苗を見守る神の姿と考えたのかもしれない。
今では年々見守るべき田の数も減り、 見守る山桜が田の神だったことも忘れ去られてしまったが、 年毎に新しい華の衣に覆われた山桜を目にすれば、 神がそこに顕現しているのかも知れない、 と言う思いがわき上ってくる。
▲ ▼
落日の情景
(2003.3.13[木])
一日の終わりに山陰に陽が沈むように、人間もいつか落日を迎える。
3月3日月曜日07:11、父の急を知らせる電話が鳴った。 あと10分くらい、姉からの電話はそれだけを伝えて切れた。 どんなに急いでも臨終には間に合わない。仕方が無いか。
必要なものをそろえて、車に乗り込み実家へ向う。 平日の東北道は車もまばらで、 穏やかな春の日を浴びた那須の山々が美しい。 なぜだか悲しいという感情は起こらない。 父が死んだ。悲しく無いのに風景がにじんで見えた。
父の落日は平成15年3月3日07:19、享年85歳。 私への連絡の8分後のことだった。 | |
▲ ▼
|