敗戦報告
(2003.6.30[月])
ここ暫く、日曜日は試合が続いている。そろそろ大分疲労も溜まってきたが昨日の大会は、「上・・・全国」へ繋がる大会だったので、疲れてるなんて言っていられない。 試合は年代別で争われるダブルス。40代以上のクラスは全国大会(マスターズ)の県代表の選考会を兼ねている。昨年めでたく40代に達し一つ年上の練習仲間と参加するようになった(といっても、彼とダブルス組むのはこの試合くらいだけれど・・・)。
このクラスではAさんという方が強い。前年の初挑戦でもこのAさんペアに破れて2位。今年は雪辱なるかと、再チャレンジである。 昨日は朝から快晴。気温は上がって真夏日とか。体育館も結構な蒸し風呂状態。それでも人より「体感気温-5℃」と言う私は他の人より有利だったかも。朝からなぜか快調。 だが試合はダブルス。ままあることだが自分が快調の時に限って、パートナーが不調だったりする。もちろん逆のこともある。昨日はと言えば、やはり「快調+不調」の組み合わせ。それでも何とか勝ち上がり予定通り(?)Aさんのペアとの決勝へ。 経験やテクニックでは到底敵わないのでと、「全開攻撃バドミントン」で臨むことに。作戦自体は悪くなかったと思ったが、守りの堅い相手で完全に突き崩すことは出来ず、こちらのローテーションのほころびを突かれるなどして、一進一退の末またしても敗戦。昨年の雪辱はならず、返り討ちにあってしまった。
この結果、マスターズの県代表の権利にも手が届かず残念(今年は、会場が和歌山だったから余計に残念)。それでも、最近怠けて攻めるバドミントンが出来なくなっていたことを考えると、昨日はいい試合が出来たようにも思える。 また、次の試合で頑張ろう(年齢が年齢だけに、姿勢だけでも「前向き」にしておかないと)。
それにしても、試合あけの月曜日は、矢張りきついな・・・。
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予告編
(2003.6.27[金])
| 昨夜は、稲妻をともなう激しい雨が 歩道にしぶきをあげながら街を駆け抜けていった
一夜明けた朝の道には 昨夜の雨の残していったいくつもの水たまりが 青い空と白い雲とを写している
夏至を過ぎたばかりの太陽の光は強く 木々の葉の作る影は濃い
梅雨の雨と雨との幕間に 間もなく封切られる 「夏」の予告が映っていた
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雨の日の悩み
(2003.6.26[木])
今朝は曇り。普通に考えればさわやかな朝とは言えない天気だが、梅雨の最中とあれば、雨が降らないだけでも、こと通勤を考えると助かる。
折りたたみの傘は常時持ち歩いているが、かわいい折りたたみの傘はあくまでも急場凌ぎ。本格的な雨の場合はやはり大きめの傘が有効であるが、荷物が多い私にとって、更に傘を持って朝夕の満員電車に乗るのは気がひける。 それにしても、常々思うのだがどうして傘はあんなに持ちにくいのだろう。差しているときの話ではなく、それ以外の場合。
例の「?」型の取っ手はきっと何かにぶら下げることを考えたものなのだろうけれど、仮に腕に下げようとすれば肘から先は水平にしなければならない。都市部の満員電車の状況をご存じの方なら判ってもらえると思うが、手をあげたら二度とおろせないようなあの状況で、肘から先を水平にするなんてことは不可能である(やったとすれば、左右の人を拳骨と肘で小突くと言う「喧嘩を売る」状態となる)。 手に提げるにしては、普通の体格のものには少々長くて先端が床に着いてしまい、垂直には下げられない。既に足下は全く見えない状態で、「斜め」になった傘があると考えると、周辺の方の足に引っかけ、つつき、ひいては雪崩を打って駅のホームに人がおりる際には踏み折られ兼ねない(足を引っかけて人が転ぶかも)。
雨には濡れたくないが、かといって、電車の中のこのやっかいな問題も気になり、雨の朝はちょっと憂鬱(小心者である)。何かいい手を考えないと、梅雨の時期は気鬱の時期になってしまいそうである。
追記. と言いながら、写真は昨日の昼にわざわざ雨の中を出かけて写してきたもの。雨粒が水面に作る波紋を写したかったんだけど、思ったようには写っていない・・・。手前の赤いものは、水に浮かんだアメリカデイゴの落花。
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拈華微笑には遠い場所から
(2003.6.21[土])
待ちわびる八万の衆生の前に姿を現した釈尊は、 傍らに咲く一輪の花を手折り、これを示した。 釈尊が示した花に戸惑う人々。 その中で迦葉一人、その意を悟り微笑んでいた。
しばらく掲示板で、言葉についてのやりとりが続いた。 言葉は不完全で、使うものはさらに不完全で、思ったことを正確に伝えることは難しい。 今回のやりとりも、お互いには凡そ了解出来ているようにも思えたが、掲示板の特性で当事者以外の目に触れることも考えて、細かな点まで説明しなければと長引いてしまった感がある。
言は意を尽くさず、書は言を尽くさず
すでに何度か書いたこの言葉がまた思い起こされた。 思いを言葉で伝えるのは難しく、言葉を文字で伝えることが難しいとすれば、思いを文字で伝えることのなんと難しいことか。 だが、だからといって言葉を伝える文字を捨てしまえばよいのか、思いを伝える言葉を捨ててもよいのか。そんなことは無い。
不完全な言葉で思いを表現し、さらに不完全な文字でその言葉を伝える。不完全で不十分なことではあるが、そうしてでも伝えたい思いがあるから書かずにはいられない。 それは、今回書き込んでくださった他の方たちにも共通の思いだと思う。そう思えるから、時折続く掲示板での長いやりとりも嫌いではないのだ。
最近気がついたことだが、「わかる」という言葉は、理解しているというだけでなく、理解しようとしているという意味も含まれているのだ。 言葉もなく、一輪の花を示すことで意を伝える。その境地には遙かに遠い場所で、不完全な自分を感じながらも「判ろうとすること」もまた重要なことのような気がする。
追記. 思えば、言葉は鍵の様なものかもしれない。 鍵と錠が合わなければ何の意味もない。 だが、その鍵が鍵穴に合致して、誰かの心の扉を開くこともあるかもしれない。
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家を建てると不幸が起こる?・・・掲示板の話題から
(2003.6.16[月])
2003/06/15 の掲示板の話題から >「新しくおうちを造ると不幸なことがおこる」と聞いたのですが >そうなのでしょうか? >知り合いのかたに、新居をかまえて3ヶ月後に亡くなるなど >2~3件ほどそんな例を耳にしましたので・・。
「こよみのページ」を開設していると、時々「占い師」だと思われることがある。「暦」とは日常にはそういった用途に使う人の方が興味を持って見るのかもしれないが、ちょっと不本意である。 (あちこちで言っていることだが、占いの類は信じていない)
さて、今回の書き込みも私の「占い師」の部分に対する質問だったように思うが、この件は掲示板だけで書くのはもったい無い気がして日記に書いてみる(掲示板と大差ないかな?)。
まず、これを「迷信」ととらえるとこの段階で間違ってしまう。これは迷信と言うのではなく、「警句」として捉えるべきだろう。他にも同種の意味を持つ言葉としては、 「好事魔多し」 であるとか 「勝って兜の緒を締めよ」 などが思い浮かぶ。
要するに、「良いことがあった後は兎角気が緩み、失敗することがあるから気を緩めるな」と言うだけのこと。こうして考えれば、いかにももっともな「警句」である。 警句と捉えればごく当たり前の注意事項なのであるが、それを忘れて 「家を建てる」 イコール 「不幸になる」 という事実関係だけを取り出し、これを何かの「法則」だと捉えると、ここから先は迷信と占いの世界である。
もし仮に「家を建てる」と自動的に「不幸になる」なら、人間は営々と家を建てるという「不幸に至る行為」を続けてきたことになる(不幸を求めているとしか思えない・・・)。家を建てると早死にするなら、人間に限らず巣を作る生物すべては絶滅しているはずだな。
それと「不幸」についてであるが、家を建てるたてないにかかわらず、生きていれば大小様々な幸・不幸と捉えられる事象に遭遇するだろう。だが、それぞれの事象に「幸」「不幸」というレッテルが貼ってあるわけではなく、人が勝手にレッテルを貼るだけである。 子供が包丁で手を切ったとしたら、これは不幸なのかもしれないけれど、以後「刃物は危ないものだから注意しなければ」と覚ってその後、刃物により大きな怪我をしないですむかもしれないと考えればその不幸は、より大きな幸福の種にもなる。禍福はあざなえる縄のごとし。
このようにとらえ方によっていかようにもとれる「幸・不幸」であるから、これを「統計的に証明する」ことなど出来るはずがない(「幸」「不幸」を明確に分類する基準が出来れば可能だが)。それにもかかわらず 「こんなことをすると不幸になることは統計的な事実です」 なんて言えば、それはもう詐欺師の手口。
巡り会う様々な事柄に不幸のレッテルを貼り、「今日はこんな不幸に出会った」「あんな不幸もあった」と不幸を数えて暮らしているとしたら、多分とっても不幸な人生である(不幸のコレクターでない限り)。
「家を建てたら不幸になるかもしれない」なんて思い悩むなら家を建てなければいいし、建てたのなら、建てたことを素直に喜べばよい。そして、この喜びに浮かれ騒いで喜びを台無しにしないように気を引き締めればよいのである。
追記. 世の中の占いの多くは、 「昔、石につまづいたら、お金を拾った。 今日も石につまづいたから、きっとお金を拾えるだろう」
という過去の経験を未来に当てはめる行為だが、過去の経験則から学んで未来を知る点では「科学」と同じ。占いと科学の違いはと言えば、その法則性を「検証」するかしないかの差である。 多くの占いの上手いところは、「○○をすると金運が増す」のように「金運」などと言う曖昧模糊として比較検討の出来ないような言葉を使うこと。指し示すものが定義困難(不能?)なものであるから、正しかったのかどうか検証することも困難(不能)なのである。 だから、「占いが正しくないと証明することは出来ない」と強硬弁することも出来る。 そういいながら、占い師は「正しいことが証明出来ない」ことは言わない(言うつもりもない)。いい加減だな。
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鏡のかけらから
(2003.6.14[土])
| | 世界は鏡なり 心するがよい この世界のすべては鏡であり それぞれのかけらの中で 幾百もの太陽が燃え立っているのだぞ 一滴の水を割れば 澄みきった大海原があふれ出るであろう 一粒の塵に目をこらせば 数限りないアダムの姿が見えるであろう
ひとつずつの宇宙を内包した穀物の種それぞれが すべてこの今という一瞬の中に詰まっている 円をなす各々の点もまた いずれ千もの形へと変化して生まれ出るであろう 円を巡りつつ、それ自体がまた円となり 無限に巡り続けるのだ
マフムード・シャベスタリー いとうせいこう訳・・・イスラムの言葉より
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無数の世界の燃え立つ太陽を思いながら、 無数の世界の一つであるこの場所から月を見上げた。 十四世紀のイランの詩人が思い描いた世界と、 現代の日本に生きる私の思い描く世界の一端が触たとおもった瞬間。 万言を持っても語り尽くせない思いと、その思いを凝集する言葉があると感じた。
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ひっぱりっこの葉っぱ
(2003.6.13[金])
公園の隅でムラサキカタバミを見つけた。黄色い花をつける普通のカタバミよりかなり大型の植物である。息子の知命は「ひっぱりっこの葉っぱ」と呼んでいる。 柄こそ大きいが、このカタバミの葉も普通のカタバミ同様の三つ葉。大きさは白詰草の葉よりも更に二回りほど大きく、その大きな三つ葉が長い柄の先に着いている。「ひっぱりっこ」とはこの葉と柄の部分を使った草引き相撲のことでる。
葉の長い柄の部分を細く裂いて繊維質の部分だけを残し、その先端に三つ葉をぶら下げた状態を作る。対戦者も同様。両者が三つ葉をぶらぶらさせながらこの繊維質の部分を絡ませると草引き相撲の始まり。両者が引き合うと一方の繊維が切れて、葉が落ちる。落ちた方が負けとなって勝敗が決する遊びである。 私の生まれた福島ではこの大きなムラサキカタバミを見た記憶が無く、もちろんこの遊びもしたことはない(白詰草や、オオバコの花柄を使った似た遊びはあったけれど)。息子にこの遊びを教えてくれたのは妻である。 この遊びの話が出てから、親子で葉っぱを探して遊んだことがある。直接勝敗に関係するとは思えないが、なぜかみんな少しでも大きな葉っぱを得ようと探した。 多分その気持ちはわかってもらえると思う。
何かのおりに、この葉っぱを見つけるとこの草引き相撲をしていたので、息子はこの植物の葉っぱは見分けられるようになった(紫の花に気づいているかどうかは不明)。
東京の小さな公園の植え込みの陰でこの葉っぱと花を見つけて、「ひっぱりっこの葉っぱ」という言葉を思い出した。 この葉っぱが何という植物の葉っぱなのか、息子がその名前を覚えることがあるかどうか解らないし、知らなくともよいと思っているが、大人になったその時に記憶のどこかに「ひっぱりっこの葉っぱ」の思い出を残しておいてもらえたらと思う。
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梅雨の初め
(2003.6.12[木])
目を上げると視線の先の高層ビルの最上部が霞んで見える。 数限りない雨の細い糸が集まって薄いベールを織り上げ、街の眺めを覆っているようだ。
昨日、暦の上では入梅を迎えていたが、今日は本当に梅雨に入ったのだろう。1日遅れで空も暦に追いついてきたのだ。 子供時分、雨はある種の天敵であった。いつも暗くなるまで外で遊ぶことが正常な日常だったから、雨は「家に閉じこめる」憎い敵だったのだ。その憎い敵がくる日もくる日も襲い来る梅雨は、受難の季節だった気がする。
あの時分からそろそろ30年が過ぎようとしている。 昨日の敵は今日の友、ましてや30年も経てば関係も変わる。 雨の日には、晴れた日には出来ない、ちょっと水気を含んだ思考が出来る気がする。そしていつの間にか雨もまた「いい天気」の仲間入りをした。
これからしばらくは梅雨。雨の日が増え、私の頭もいつもより多くの水気を供給され、この日記もいつもと違った雰囲気のものになるかもしれない。さて、どうなるかな?
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我が家の長男のスローライフ
(2003.6.9[月])
我が家の長男は現在小学校の2年生。困ったことに寝るのが遅い。 (その他の行動も、「遅い」がこの点についてはまたいずれ)
「9時までには寝ること」
を約束しながら、これが守られたことは皆無に近い・・・らしい。 「らしい」と言うのは離れているため、現状は妻からの報告でしか解らないからであるが、たまに帰った休みの生活を見ていれば、報告が無くてもおよその見当は付く。
遅くなる理由はと言えば、全体にのんびり暮らしていることと、本が読みたいかららしい。 のんびり暮らす彼は、一人で風呂に入る場合、1時間30分程の時間をかける。長風呂なのかと言えばさにあらず。少なくとも1時間30分の2/3は「服を脱ぐ・服を着る」という時間にかけている。
どうやらボタン一つ外しては、何かを思いついて空想にふけり、ズボンを脱いでは好きな歌を歌い出すうちに時間が経過しているようである(趣味ではないが、覗いた結果)。ある面ではほのぼのとした性格とも思えるが、この調子で成長したらと思うと、親としては少々心配。
夜更かしの2つ目の原因となるのは本。自分の本や学校から借りてくる本を読むためにぐずぐずと寝る時間を先延ばししているようだ。 「早く寝なさい」としかられながらも、読みかけの本をあと1ページ、もう1ページとやって、堪忍袋の緒が切れた妻の最後通牒で我に返るまで時間を伸ばしてしまう。
「いったい誰に似たんやろネ」
と妻が私に言う。 胸に手を当てるまでもなく、自分の子供の頃の情景が浮かんでくる。そういえば私の記憶に明確に残っている本と言えばやはり小学校2年生くらいの時期に、「寝ろよ」と親に言われながら読んだSF小説である。
我が家の長男ののんびりした姿は、30数年前の私の姿なのかもしれない。
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道の途中に
(2003.6.2[月])
6/1、衣替えの日に、台風は海の湿気と初夏の青空を残して去っていった。 雨降りで日課の散歩も出来なかった昨日の分を取り返そうと、父をお供に外へ出た。足にはおろしたての青いサンダル、頭にはクマさんマークの粋な麦わら帽子をのせて。
気の利かないお供は、ボクの希望とは違う方向に連れて行くし、不意に立ち止まっては変な写真を撮ったりしている。 一人の方が余程気楽だが、あまり顔を合わすことのない父であるから、来たときくらいつき合ってやるのも、息子の勤めと割り切って我慢しよう。
田んぼの間の道で、お供は何度目かの写真撮影を始めた。 待つ間、ボクは道の行方を目で追った。道は緑を深めた水田の間にまっすぐにのびている。 「人生とは重い責務を負って遠い道を行くようなものだ」 古人の言葉が脳裏をよぎる。ボクもまた、たくさんの責務を負ってこの道のように長い人生を歩いて行くことになる。ボクの道はまだ始まったばかり。先は長い。
ボクが人生について思索をめぐらせている間も、お供は能天気に写真を撮り続けている。 孤独を感じて視線を落とすと、足下から濃い影が伸びていた。ボクを本当に理解してくれるものはこの影だけかもしれないと、孤独感を深めた1歳7ヶ月の初夏の午後だった。 かわうそJr日記 (立命編) 追記.帰ったら冷えたミルクでも飲むとするか。
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