今日は閑ネタを一つ
(2003.9.24[水])
一昨日、メールをチェックしていると、
《大至急御連絡致します》必ずお読み下さい
と言うメールが入っておりました。何か怪しそうなメールでしたが「大急ぎでお読み」致しました。嬉しくなりました。
ああ、私もインターネット社会の一員となり、こういった楽しいメールがいただけるようになったんだなと、ちょっと大人になった気分です。
以下全文を掲載します(と思いましたが、長いので適当に「略」してます)。
--------------------- 楽しいメールの始まり --------------------------
DATA管理番号:BL56485弊社は信用調査会社様からの依頼に基づいて料金支払遅延者のデーターを一括管理しているDKC(データー管理センター)と申します。この度は貴殿が使用されたプロバイダー及び電話回線から接続された有料サイト利用料金について運営業者より利用料金支払遅延に関してブラックリスト掲載要請を受けました。 (略)貴殿の情報に関しましては既にメールアドレス(フリーメール含む)およびIPから、プロバイダ・ISP業者から情報開示を受け、貴殿の住所、氏名、勤務先等の情報は判明しております。 (略)付きましてはコンテンツ事業者および債権回収業者ならびに顧問法律事務所とも協議の結果、次ぎの通り最終和解案を決定いたしましたので通知いたします。合計支払金額:60000円~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~■和解金: 50000円■事務手数料: 10000円=====================■■合計金額: 60000円---------------------■送付方法:電信為替(電信為替居宅払もしくは電信為替証書払) 今回の入金受付は郵便局の電信為替のみです。 それ以外の方法では一切受付しておりません。 (略)また場合によっては裁判所を通じた法的手段にて強制執行による給料差押え等を含めあらゆる手段対で応させて頂く事となります。 (略)尚、これは最終的な勧告であり、また、弊社人員の対応による時間的損失等の理由からメール・電話・FAXでのお問い合わせは受け付けておりません。 (略)※注意事項(1) 管理番号で全ての管理を行っております。 送金の際は氏名および管理番号の記載をお願い致します。 (略)
--------------------- 楽しいメールの終わり --------------------------
「メールアドレス、住所、氏名、勤務先等の情報を得ている」と言っておきながら、宛名にその「氏名」を書いてくれないなんて悲しくてなりません(知ってるなら書いてください)。
それに、「裁判所を通じた法的手段にて強制執行」までしようというのに、問い合わせ先の電話番号も何も書かないって言うのは、どんなものでしょう?。ダミーでもいいから電話番号くらい書いておいた方が「説得力有りそう」に思えるけど?
ちなみに、送られてきたドメインの所在を勝手に調べさせて頂くと、なんと NewYork !。振込先の住所は大阪なのに(何とかレジデンスって言うマンションの有る住所になっていた)。
なんて、なんて、「絵に描いたように怪しい」メールであることか。
嬉しくなって、記念にとっておくことにしました。
それにしても今時、タヌキやキツネ(やカワウソ)だって、人を馬鹿そうと思うときにはもう少し頭を使うのに、人間は進歩しないもんだ。
まあ、「人を馬鹿そう」とそそのかしはしませんが、こんな手で騙されないようにしましょう(騙されたら恥ずかしい・・・)。
追記.
世の中には「人を疑ったことのない」善良な方々もいらっしゃるでしょうから、この楽しいメールは送信ヘッダも付けて、管轄の警察のハイテク犯罪対策室なる部署に転送させて頂きました。本来なら末尾に、
「これをお読みになった警察担当官は、3日以内に5ヵ所以上の警察に
転送してください。でないと不幸になります。」 なんていう一文を付け足したいところでしたが、勇気の無い私には、それが出来ませんでした(意気地なし!)。
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秋祭・その2(9/14)
(2003.9.17[水])
祭二日目、本宮。
朝からあちらこちらで笛の音がする。
この1年のうちに新築した家では、祝い(厄払い?)に獅子が舞う。獅子が舞う場合、獅子役の他にお囃子や世話人とその他大勢がやってくる。元々このあたりに住んでいた人の場合は、獅子舞の前後にその他大勢も含めた人々に酒食を振る舞うための準備に朝から大わらわである。
最近は、余所から越してくる人も多く、すべての人が獅子に舞ってもらうわけではないし、仕事の都合などで宴席を準備できない場合はご祝儀だけで簡略にすませる場合も多いが、それでも、家から家へと忙しそうに移動する獅子と法被姿のお囃子連の姿が目に付く。始めは大勢いた、「その他」の人達は一軒、二軒と移動し振舞酒の梯子をするうちに一人二人と脱落し、最後は獅子とお囃子だけというのもいつもの風景である。
午後になると、昨日と同じく子供御輿の出動。もちろん保護者御一行様も出動。昨日と同じ手順で神社へ向かう。
今日は、本宮と言うことで神社に着くと、午前中から大活躍の獅子舞一行と、天狗・偽天狗による神楽の奉納が有る。天狗役は、地区の小学生の中から選ばれ、2~3年その役を務める。天狗役は、不浄を嫌うため、地面に身体が触れないように、移動や舞台への昇降は世話人がまるで人形でも担ぎ上げる様にして行う。
聞くところによると天狗役の「交代」は、子供の身体が大きくなって、世話人が担ぎきれなくなったらだとか。冗談だろうが、全部が全部冗談では無いのかもしれない。
神楽は、古い時代からのもののようで由緒は有るのだろうが、天狗と偽天狗の駆け引きなどは大分酒の回った祭参加者の闖入もあり、ドタバタ喜劇の様相である。「伝統芸能」というにはどうかなという気もするが、それに参加するもの、見ているものの笑い顔を見れば、収穫を祝い、日頃の憂いを忘れて楽しむという祭の一面はしっかりと伝えられているようだ。或る時代の文化としての伝統芸能を忠実に保存することも必要だろうが、より地面に近い場所にある村の祭りでは、祭を楽しむ精神の伝統が保てるならそれでよいのかもしれない。
さて、今年の天狗役は長男の同級生。
「ちゃんと出来るかな」
と、一人前に心配そうに見に出かける長男(右側の黄色い帽子)と、兄ちゃんについては行ったものの、神楽よりそれを眺める観衆に興味津々の弟(左側のちび)。
暑い一日ではあったが、それぞれに楽しい一日だったようだ。
追記.
親たちはと言えば、神楽の後に行われる祝いの「餅ほり(餅撒き)」に熱い血をたぎらせていた。皆、神楽の終盤にはビニール袋を手に手にスタンバイ。
神楽終了後には、「老いも若きも」年男によって撒かれる紅白の餅の争奪戦に。もちろん私も次男を左手に抱えたまま右手一本で参戦、16個を獲得。
妻と長男の獲得数も合わせて40個の餅が、我が家の収穫であった。
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秋祭・その1(9/13)
(2003.9.15[月])
秋の村祭り、今では小学校の唱歌の中からさえ消えて行きそうな響きの言葉が、本宅のある和歌山の田舎では息づいている。
9月の最初の連休は、祭の時期。仕事の都合で、東京から家に帰り着いたのは土曜日の午後。家についてひと息つく間もなく「小若」の文字の入った半被を羽織った息子二人を連れて出かけた。
小学2年の兄は、今年から子供御輿の引き手の一人となり嬉しそうに引き綱を手にしていた。よく見れば綱を引いていると言うよりは、引きずられるというのが適当な様子であったが、同学年生は皆似たり寄ったり。そういうもののようだ。
更に小さな子供たちは、飾り付けされた軽トラックの荷台に積み込まれて御輿の後をついて神社へ向かう。その様はまるで縁日に売られるヒヨコのようで、かなり滑稽なながめだ。だが、当のヒヨコたちはなぜかとても楽しそうで、荷台の上でわいわい騒いでいる。
そのころ私はと言えば、ヒヨコたちを載せて進む軽トラックの後方付き従う父兄の一団に加わり、神社までの1kmあまりの道を歩いていた。
出発して30分弱で、村の社と言う言葉がぴったりの神社に着く。
今日は宵宮、夜の行事に子供は関係がないので、子供の今日の仕事はこの時点でおしまい。参加のご褒美の菓子をもらって後は帰るだけ。付き添いの我々もこの時点で解放される。
今日に限って言えば、祭とは言っても神事らしい神事は無いが、それでも秋の空を背にたなびく神社の幟を見れば、秋の祭りがやって来たとそういう気分になって来る。
さて、明日が本番だ。
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9/11、十五夜の夜に
(2003.9.12[金])
昨日は、十五夜。自宅に帰り着く頃には、丸い大きなお月様が南東の空に昇っていた。
そしてお同じ9/11は、世界を変えた日と言われるあのニューヨークの世界貿易センタービルが崩れ落ちた日でもあった。
あれから二年、あの日が「世界を変えた日」なら、世界はどのように変わったのだろうか。目に見えて変わったものと言えば、米国がそれまでにも増して傲慢になったということだろうか。
二年前の日記には、あの事件が「報復の連鎖の発端とならねばよいが」と書いていたが、こと米国の行動だけを見れば、それ以上に悪い方向に向かっているような気がしてならない。
今の米国は、「被害者」という絶対の権利を手に入れ、「神の正義」が自国だけにあると思いこんでいるかのように、傍若無人に振る舞っている。
おそらく、あのテロによって失われた何倍もの人間が、あの日から死んでいったのだろうが、その数は神の正義の前に霞んでしまい、誰も興味を示さない。
神の正義がいかなるものか、誰一人理解できるものではないはずなのに。
アラブの人々は挨拶に、「アッシャロム」という言葉を交わす。「平安を」という意味の言葉だという。そこで語られる「平和」は、欠けたものの無い状態という意味と、何処にもない所と言う二つの意味を同時に含んだ言葉であると読んだ記憶がある。
欠けたところのない丸い十五夜の月は、無欠と言う点で「平和」に通じる。そして、何処ででも見えていながら、この地上の何処にも無いという点でもまた、「平和」に通じるかもしれない。
9/11、地上の何処にもない月が投げかける光が、我々すべての上に等しく降り注ぐ。十五夜の月が平和の象徴だとしたら、平和とは何なのだろうか。答えは何処にあるのだろうか。
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稲架(はざ)の記憶
(2003.9.9[火])
白露を過ぎ、暦の上だけではなく朝夕の風にも秋を感じるようになった。
写真の整理をしていると、撮し溜めた写真のなかに稲架(はざ)を写したものがあった。
八月の下旬に本宅へ帰った際に撮したものである。
稲架は、田舎で育った私にとっては秋の遊び道具。鉄棒代わりに逆上がりをし、どれだけ早く渡りきれるか競い合って夕方まで遊んだ。
稲架の上を走り回り、足を滑らせて落ちた田圃の黒土の湿った柔らかさと、稲株の切り口のチクチクした感触まで思い出される。
本宅のある和歌山は温暖な土地である。生まれ故郷の福島とに比べると田植えの時期も刈り入れの時期も早い。その和歌山でこの写真を写したのは旧盆が過ぎたばかりのまだ暑い頃だった。
それでも、稲刈りの始まった田圃と、稲架を見れば頭に浮かぶ季節は秋。思い起こすのは青い空を埋め尽くすトンボの群れの情景。
あれから既に30年、ところも福島から和歌山へと変わったが、田圃の様子と稲架の姿は同じ。違っているのは、空を埋め尽くすトンボの群れと稲架で遊ぶ子供たちの姿が消えたこと。
私の息子たちが大人になって、まだ同じように田圃と稲架を見ることがあったとしても、そこに秋の記憶を見つけることはないのかもしれない。
追記.
生まれた地方では、稲架を「はざ」ではなく「はせ」と読んでいた気がする。方言だったのだろうか。
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年齢を感じること
(2003.9.8[月])
試合明けで、何となくボーっとした月曜日である。
休みの翌日で本来なら「鋭気」を十分養っているはずなのだが、前日が試合という場合は「鋭気」を使い果たしているので、朝から「お疲れモード」となる。
もっとも、いつもいつも大変な試合ばかりではないので、試合明けでも元気な場合もある。
その点では昨日の試合の対戦相手を考えれば「元気な試合明け」のはずなのだが、少々事情が違った。昨日の試合、本当の敵は自分であった。
「本当の敵は自分だ」などと書くと格好いいのであるが、そうなった理由が悲しい。その理由とは「五十肩」である。
先週は、ずっと右肩が張り、ひどい肩こりのような状態であった。火曜日の練習で既にまともにスマッシュも打てない状態で、これはまずいと治療中の膝の怪我と一緒に病院で受診したところ、言い渡されたのが五十肩(肩関節周囲炎というらしい)。
昨日の試合は団体戦と言うことで、棄権するわけにもいかないので参戦。試合となれば痛いとも言っていられない。多少の無理は仕方がない。
何とか、自分の出た試合はシングルスもダブルスも全部勝って、役目は果たせたので良かったが、現在その後遺症に苦しんでいる。肩から背中まで凝っている感じ。
今に残る疲労と、「五十肩」と言う言葉に改めて自分の年齢を考えてしまった今日のかわうそであった。
追記.
五十肩って、本当に腕が上げられないんだなー。
特にフォアからのオーバーヘッドストロークは痛かったので、クリアはフォアでなく無理矢理ハイバックで打っていたりした。対戦相手は不思議に思っただろうな?
肩は良くないけれど、右膝の靱帯は大分良くなってきた。この点に関しては良かった良かった(まだ正座は出来ないけどね)。
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火星狂騒曲
(2003.9.4[木])
「8/27に火星が6万年ぶりに大接近する(した)」というので、巷では大騒ぎである。
8/27の夜のニュース番組には、
「こんな時期に生まれたことを感謝します」
と自分の言ってる内容解ってる? と聞き返したくなるような小学生の姿が映っていた。ついでに解説するアナウンサーは彼らを指して
「集まった火星ファンの皆さん」
と呼んでいたのが印象的だった(「火星ファン」ってなに?)
昔から、火星観測をするものには大接近というのは観測の好機。普通15ないしは17年ごとに巡ってくる大接近の時期を、火星観測を続ける人たちは待っていた。火星は小さい惑星で、今までは2.2年ごとに巡ってくる大中小接近の時期でないと細かな部分が観測できなかった。ことに大接近は、小接近に比べて倍近く大きく見える(視直径で)と言うので、貴重な観測チャンスであったのである。
そして今。夢がなくなったと言う人も多いが、ハッブル宇宙望遠鏡が軌道上での観測を開始して以来「火星表面の様子」を観察することに関しては、「接近時期」以外でも十分可能となり、大接近の天文学的な重要性は薄らいでしまった。後に残るのは、興味本位の報道と、それにのって騒ぐ人々多数の存在。
「6万年ぶりの大接近」なんて言うから、「火星の大接近」は6万年に一度しかないと思いこむ人はいるは、火星の形が肉眼で判る程の大きさになると思いこむ人はいるはと、トンチンカンな質問多数。79年前の大接近時の視直径が約25.0″、今回が25.1″。その違いわずかに0.4%。
この違いがそんなに気になるの?
ちなみに、284年後には今回を超える大接近があり、せっかくの6万年ぶりの大接近記録はあっさり更新されてしまう。残念でした。
一応天文少年だった私ではあるが、火星にはさほど興味が有るわけではないので、素知らぬふりを決め込むつもりであったが、大騒ぎの余波を被り若干の被害が出た(余計な仕事をさせられた)。間の悪いことに練習に行くつもりで準備していた日を狙ったように「火星関連」の仕事が入り、残されること4回。
被害を受けた8/29日の夜、ため息混じりに街の明かりの向こうに昇る火星を見ていた。時間は19:15頃。火星の高度は10°ほど。写真の右から1/3程のところに、ビルより少し高くなった火星がぼんやりと見える。火星と並ぶようにその左に見えるのはビル屋上に立つ赤い航空標識灯。こっちの方が赤く明るく、火星のように思えてしまう。
火星の最接近を過ぎた途端に、一気にこの話題は消えてしまった。話題と一緒に火星も消えたかというとそんなことはない。
火星はまだまだ明るく大きい。後一月くらいは十分に楽しめるので、秋の夜には火星観望も良いかもしれない。世間の騒ぎも収まったことだしね。
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