陽の色の花
(2004.2.27[金])
これは花?
最初に満作(まんさく)の花を見た人はそう思うに違いない。あまり花らしくない花である。
錦糸卵!
と言った人もいた。 ご多分に漏れず私もこの花を、花と感じるようになるには時間がかかった気がする。
残雪が所々残るような山中で「まんず咲く花」だから「まんさく」となったとか。毎年春の早い時期にその縮れた錦糸卵のような花を目にして、ようやく花なんだと思えるようになってきた。
一枚の葉もない裸木の枝の先に、いきなり現れる陽の色をした細い糸。そんな花らしくないこの花が、今では春を告げる嬉しい花の一つになった。
最初は、変な奴だと思ったよ
と話しかければ、
そうかな?
と答えてきそうな満作の花が、幹の向こう側で陽を浴びて輝いていた。
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草の上に
(2004.2.21[土])
「日本の縦の長さを感じる私です。」
とまだたくさんの雪の残る地方の方からメールをいただいた。 まだまだ、冬の最中の場所もあれば、もうすでに春の盛りを迎えている地域もある。その所々で同じ時でも季節は違っているものである。
四月の中旬の暖かさと予報された昨日、珍しく昼間外を歩く時間が合った。 桜の枝をみてもさすがにまだ花には早く、蕾もそれとわからないほどまだ小さい。この場所でもまだ春は始まったばかりである。
アスファルトの道から、芝を張った場所に足を踏み入れると、芝の柔らかさがまるで春の温みを伝えてくるようで、足下から心地よさが伝わってくる。 芝に落ちた桜の木の影も、冬のシャープな輪郭から、わずかに朧なそれに変わっているように思える。 草の上の影さえ、冬と春とでは違って見える。
メールを送ってくださった方に、一足早い春の風景を届けられればと思って、草の上の影を一枚写してみた。
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水ぬるむ頃
(2004.2.18[水])
雨水 陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となれば也 明日2/19はもう雨水。雪氷が雨水となる時期。 この冬東京では積もった雪を見なかった。 雪氷が雨水となると言われても、その雪氷を見ていない。 あればあるで迷惑な雪だが、無ければないで雪が融けて冬が春へ変わって行く実感もない。
朝、仕事へ向かう道は寒くて、まだコートと手袋が必要。 暦の上の「雨水」は別の世界のことのようだが、日の当たる水の流れを見れば、なるほどもう凍ることはなさそうだ。 一歩一歩、季節は変わっているようである。
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立ち待ち月の夜
(2004.2.13[金])
| 東に開いた入り江沿いの坂道をくだりはじめると、 車の窓から光の道が見えた。
満月を過ぎたばかりの月がのぼり、 入り江の海面に光る道をつくっていた。 路肩に車を止め、車道からわずかに離れて立つ 桜の木の下まで歩いた。 辺りは暗く、海の上の道だけが輝いていた。
風はなく、波の音もない。 花の無い桜の木の下で、 海を照らす月と、光る海を見ていた。
春の初めの、まだ寒い夜だった。 |
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久々にバドミントンの話
(2004.2.6[金])
先週の日曜日は試合の日でした。東京都ミックス選手権。 晴れて40代でのエントリーとなりましたが、40代初参加と言うことで予定通り、第二シードのしたの山。 一つ勝って、第二シードに挑んで、結果は 2-0敗退となったが、随分まずいプレー(男性へのショートサービスをビビッて 4本もミスしたのは私)もしたのに、セティングにまでもつれる試合が出来のは、ある種自信には繋がった。また頑張ろう。
周囲で応援してくれた仲間の評判は、概ねよかった。ただ不思議でならないのは、応援席の仲間も、コート脇で待機中の審判団も、私たちの試合を「楽しそうに笑ってみている」こと。 試合中の、コート内での私の言動が可笑しいらしいことは、自分でもわかってはいるのだが、急に止めることは出来ないし。まあ、楽しく見てもらえるなら良いかと、最近は「プラス」に考えることにしている。
自分の試合が終わって午後4時。練習仲間の何組かはまだ勝ち残っているので、今度は応援団に回り観戦。試合も各クラスとも準々決勝、準決勝あたりにさしかかってきている。 競技人口が多い東京のこと、都の大会の上位は間違いなく全国でもトップクラス。観戦する試合は何処を見ても見応えがある。こんなメンバーと練習とはいえ一緒に羽を追える環境にいるのだから、もっと強くならねばと、観戦しながら思った。 (写真は、一般の部準決勝の一コマ。見るだけで楽しい)
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