柊、開花
(2004.10.29[金])
先週末に、柊の枝に白い花を見つけた。 緑濃い常緑の葉の陰に隠れるように咲いているので、花自体は目立たないが木犀の仲間らしい芳香でその存在を示している。 秋の終わりから冬の初めに咲く柊の白い花に、落ちる雪の姿を見た気がした。
「十一月下旬の気温」
週が明けると、天気予報では毎日のようにこの言葉を聞くようになった。いつの間にか街を歩く人がコートを羽織るようになっている。柊の花がこの寒気を引き連れてきたかのようだ。
半月前には、男性のYシャツ姿が当たり前に見られた街の風景が、わずかの間に冬を予感させるものに変わっている。
季節は変わって行く。 柊の白い花を前触れとして冬が訪れるのも、もうそんな先の話ではなさそうである。
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西に昇る太陽
(2004.10.22[金])
「お天道様が西から昇る」
とはあり得ないことのたとえ。 そのあり得ないはずの西から昇る太陽をこれからの季節、私は目にする。
新橋駅をおりて、余裕があればほんの少し回り道をして職場へ向かう。5分ほどの回り道。 いつもより早く駅に着いた日に、足の向くままに初めてこの回り道をしたときから、いつの間にか回り道のために早めに家を出るようになった。二年半前から。 この日記で使う写真の多くは、この5分の無駄な時間の姿である。
5分間の無駄な時間を持つようになって三度目の秋。 日の出の時間が遅くなる秋から冬にかけて、この回り道を歩くと、東から昇る朝日に夏椿の木が長い影を作る。そして夏椿の東にある、陰となるはずの建物の壁にも、夏椿は影を落とす。西から昇る朝日が作る影。 東からの陽光は温もりを、西からの光は冷たさを、それぞれに夏椿、そして私に送ってくる。
西から射し込む冷たい朝日に気付いて三度目の秋。 それでも足下から西と東に同時に延びる自分の影に気付くと、西の方を振り向かずにはいられない。 振り向けば、雲を浮かべた空を背景に、雲を浮かべたもう一つの空。その空の中に今日もまた、西から昇った太陽が、冷たい光で輝いている。
「お天道様が西から昇る」
あり得ないはずの風景を今年もまた、楽しもう。
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ブタ年 ?
(2004.10.15[金])
CS放映中の海外ドラマ、「ER 緊急救命室」を見ていた。 積極的に見ていたと言うよりは、TVが点いていたといった方が正しいのだが、ERは面白い番組でもあるしそのままにして、ながら作業(書き物)をしていたのである。
ながら作業を続けていると、その作業の手が止まるような気になる言葉が。
「来年はブタ年なんです」
ブタ年ってなんだ? と、止まった手を机から 3cm浮かせて、椅子を回転させる。TVに向き直って「ブタ年」の行方を見守るためだ。
ねえ先生(医師)、今年は戌年なんですが、もうすぐ年が明けるとブタ年なんですよ。 ブタの年に生まれた子は怠け者になるっていうんです。 ハハハッ、もちろん僕は信じませんけどね。 でも親たちがうるさいんですよ (と中国系の男性は話す) | それで、早産させるつもりだったのか? (と妊婦の診察をしながらER の医師) | そうなんです、知り合いの漢方医に頼んで。 (と中国系の男性) |
話はわかった。干支なんだね。 「そうそう、日本でもそんな迷信を信じる人ってまだいるからね」 と頷いたのだが。それにしてもだな、英語で生まれの干支を何て言うのか知らないけど、翻訳した人、「戌年」と気付いたのなら、 ×・・・「ブタ年」 ○・・・「亥(イノシシ)年」 て気付いてよね! 3cm 浮かせたままの手を拳にして、振り下ろしそうになったかわうそでした。 追記ちなみに私の息子(長男)は「ブタ年」生まれです。 追記・2「亥年」は、猪年で、この「猪」は、中国では豚の意味だそうでs。じゃあ、「豚年」でいいんだ!?
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バトン
(2004.10.14[木])
ちょっと旧聞ですが、九月の終わりに小学校の運動会を見てきた。正しくは参加してきた。 和歌山の南のはずれに位置する本宅の周囲には、昔懐かしい運動会の風景がまだ残っている。小学校の運動会は小学校の行事である一方で、地域の行事でもある。
プログラムを開くと、小学生の競技・演目が並ぶ一方、
「○○保育所園児による××競争」 「一般参加(誰でもOK)障害物リレー」 「地域対向綱引き」 「宝釣り競争(△△老人会)」
といった競技(?)が印刷されている。 幼児から大分高齢の方々まで三世代、ひょっとすると四世代同居の運動会である。 当日は快晴。朝霧の残るうちから、おじいさんおばあさん達がゴザに日傘にご馳走入りの重箱にと大荷物で小学校へ集まってくる。肝心の子供や親はというと、霧の消えた頃に学校へ。この辺は起きる時間帯の違いである。
30年前を思い出せば私にとっての運動会もこんな風景。ただ都市部に育った同世代の多くは不思議そうな顔をするので、30年前でもすでに田舎にしか残っていない風景だったのか。
我が家からは、現在小学校3年の長男と保育所通いをはじめた次男(2歳と11ヶ月)が参加。次男にとっては初の運動会である。 練習は半月ほど前から行われていたようで、電話でどんなことをしているか聞きいてみるとかみ合わないやり取りを散々したあげくに、
ボウ持って走った
と言っているらしいことが判った。ボウとは、棒のことか。 リレーすなわち「棒持って走る」ことのようだ(間違ってはいないな)。 練習の成果を見せるハレの舞台で、意気揚々と棒持って走る彼、得意げである。
運動会とバトンということで今回はもう一つ思うことがあった。 以前にも何度かかいたことだが、那智勝浦近辺では、祭や祝い事があると、
餅ホリ (餅放り)
が行われる。運動会も一種の「祭」。よって当たり前のように「餅ホリ」が行われる。プログラムにも午前中最後のお楽しみ行事的に組み込まれていた。 ところが今回はそれがない。学校側からの反対でプログラムから外されたと聞いた。学校側の言い分は、
食べ物を投げるのは良くない行為だから
だとか。子供達(大人もだが)はこの餅ホリを楽しみにしていることから、何度か育英会(PAT?)が学校に餅ホリをさせて欲しいと申し入れたが聞き入れてもらえなかったようだ。 結局は、午前中の競技終了後、育英会会長の挨拶の時間に、育英会有志による行事として、学校とは関係なく行うと言うことで学校側も折れたようだが、なんだか情けない話である。
餅ホリで放られる丸い餅は玉の象徴。玉は幸いを招く幸玉。玉はまた魂、魂は新しい命。 祭や祝い事で餅を撒く行為は、幸いを分け与え、新しい命を分け与える行為である。食べ物を粗末にするだけの行為であれば、長い年月神事とともに行われてきたはずがない。
子供だって、ただ人から投げ与えられた食べ物なら、それを喜んで拾うだろうか(飢餓状態でといった極限の状態での行動は、もちろんまた別の話としてだ)。 難しい話など知らなくても、餅ホリ大会で歓声を上げながら嬉しそうに餅を拾う子供の姿を見れば、「食べ物を投げるのは良くない行為」といった浅薄な倫理とは違った次元で、餅ホリという行為をとらえていることがわかるはずだ。
餅ホリ大会は「子供達だけ!」と育英会長が言えば、子供達は歓声を上げ、大人達はため息をつく。兄ちゃんに連れられて、次男も参加するが、いざ餅が投げられると騒然とする周囲の様子に驚いて、拾うどころではなかったようだ。 なかなか餅が拾えない小さな子供は他にもいるが、見ていると近所のもう少し大きな子供達が、そんな小さな子達に、
取れんかったんか、なら分けたるは
といって、餅を分ける光景が見られる。モノのわからない大人よりずっと「幸いを分け与える」意味ががわかっているようだ。それぞれの子供達が手にした餅は、一つ一つがずっと昔から地域に伝えられてきた伝統や文化のバトンの一つなのかもしれない。
我が家の二人の子供達も、バトンを受け取って走り出した。次の世代へとバトンを繋ぐために。今はまだ走り始めたばかりだけれど。
追記. 息子達の受け取った餅のバトン、合計21個。父親はその 1/3を搾取。極悪!
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秋雨の朝に
(2004.10.5[火])
秋に降る雨だから、秋雨(あきさめ)
そう言ってしまえば身も蓋もない話だが、そう言われても釈然とはしない何かが残る。
夏に降る雨だからって、夏雨(なつさめ)とは言わないじゃないか
と理由とも言えない理由でお茶を濁す結果に終わるわけだが。 そして、「それでも秋雨は、「秋に降る雨」と同じじゃない。」と独り言。
今朝は朝から雨。そろそろ暖房の用意をしなくちゃと思うほど寒い雨の朝だった。 傘をさして、しとしとと降る秋雨の中を歩く。通勤途上の男性諸氏の傘の色は概ね、暗めの落ち着いた色調。 暗めの色調のビルとアスファルトの風景と相まって、光量不足のモノクロ写真の中に迷い込んだ気分になる。秋雨には、色を奪い取る呪力でもあるのだろうか?
秋雨がただの秋に降る雨と違って思えるのは、この呪力がある故か等と思いを巡らせていると、その呪縛を解くようにモノクロの視界を色彩が横切る。 女性の傘の鮮やかな色が、単調な色の男物の傘の流れを切り裂いて行く。
秋雨の中で、薄墨の色に沈む山の一点に、燃えるように色づく紅葉を見るようだ。 秋雨にもし呪力が有るとしたらそれは、色を奪うのではなく、不要な色を洗い落とし、見るべき色のみを洗い出す力なのかもしれない。
そんな不思議な雨だもの、「秋雨」が秋に降る雨というただそれだけのものであるはずはない。 妙に得心した、秋の朝だった。
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