春の時雨
(2005.4.20[水])
四月に転勤となった。 引っ越しの荷物を作っていたら、三年前の転勤のおりに友人たちが書いてくれた寄せ書きが出てきた。 思い出を書く者、餞の言葉を書く者、最後まで冗談を書き込む者、それぞれの書き込みを見直しながら、三年前の別れを思った。 あれから三年、新しい出会いがあり新しい友人が出来て、今再び友人たちからの新たな寄せ書きが私の荷物に加わった。
転勤して移った場所は東京より温暖な地である。 桜の花も幾分早く咲きだし、例年より花の時期が遅かった今年でも、四月の上旬には満開の時期を迎えていた。 四月も半ばを過ぎた。多くの桜は花を散らしているが、のんびり屋の何本かはこの時期まで花を残している。しばらく雨が無かったからかもしれない。
そして今日、外は雨。 のんびり屋の桜の花も花の雨の中。 この少し遅めの花散らしの雨が上がる頃に、どれだけの花が残っているだろうか。
花に雨、日本には「花散らし」という名の雨があるが、中国には花の頃の雨をさす「養花天」という言葉があるそうだ。 雨は花を散らすだけではなく、再び次の花を養うための雨でもあるわけか。
一枚増えた寄せ書きの色紙には、一つの別れと新たな出会いの可能性の両方が書き込まれているのかもしれない。 花散らしの雨が、花を養う雨となるように。
新しい出会いのために別れがあるのかもしれないと思えばいくらか気分は軽くなるが、それでも別れのつらさが無いわけではない。 新たな花を養うために降る今日の雨も、今日の花を散らせる雨となるつらさを感じながら降り続けているのかもしれない。
▲ ▼
|