他人の空似です
(2005.5.16[月])
ある日、近所の田んぼの畦を歩いていると、畦と畦の間の堀にオタマジャクシのお祖父さんがいた。
体長は40cm程。孫のオタマジャクシは三頭身のずんぐりむっくりであるが、お祖父さんは均整のとれた八頭身。 長い立派なヒゲ二本を蓄えた貫禄ある姿。 うららかな陽気に誘われての散歩の途中で一休みといったところか。
オタマジャクシはカエルの子、ナマズの孫ではないわいないな
似ているが、他人の空似。
オタマジャクシが成長しても、残念ながら写真のナマズにはならない。 ナマズのいた堀や、堀につながっている田んぼには、ナマズに似たオタマジャクシの成長したカエルたちが泳いでいる。 しかし、その姿形からすればオタマジャクシとカエルに親子関係を見いだすよりも、オタマジャクシとナマズに孫と祖父の関係を見いだす方が自然に思える。
春、田んぼに水が張られると、薄く広く広がった田んぼの水は陽を浴びて温まる。他の池や河より暖かい田んぼの水に誘われて、カエルは田んぼを住処とした。 春には卵を産み、卵がかえってオタマジャクシとなる。 オタマジャクシはやがて姿を変えてカエルとなって、田んぼの水から出て行き、そしてまたいつか田んぼに戻ってくる。
オタマジャクシによく似たナマズもまた、田んぼの水に誘われてやってくる。カエルよりいくらか後れたこの時期に。 ナマズのにとっても暖かい田んぼの水は、卵を産むのに適した場所だ。 写真に写ったナマズは散歩の途中ではなく、産卵場所を探している途中だったのかもしれない。
人間が田んぼを作るようになって、暖かい水場が出来た。 暖かい水場を見つけて、カエルが、ナマズがやってきた。 そして、歌が出来た。
オタマジャクシはカエルの子、ナマズの孫ではないわいないな
同じ田んぼのオタマジャクシとナマズ。 あまりによくできた「他人の空似」のおかしさに歌が作られた。 そのおかしな相似を誰もが笑えたのは、田んぼに集まるオタマジャクシやナマズの姿を、誰もが目にしていたからだ。
オタマジャクシはカエルの子、ナマズの孫ではないわいな
今年も、オタマジャクシもナマズもまた戻ってきてくれた。 来年もまた、もどっておいで。
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青葉若葉
(2005.5.2[月])
朝のうち二時間だけ仕事。 昨夜は雨。その勢いから明日も雨だと高を括って寝たのだが、朝になってみると晴れとはいえないまでも程々に明るい空となっていた。 雨なら完全休業だったが、空を見上げて二時間だけの仕事となった。
中途半端な時間の仕事。 二時間過ぎて戻る頃には空は更に明るくなって、雲の間に空の色が見ていた。 中途半端な出勤だと思っていたが、済んでしまえばこれもよかった。 朝を無駄に寝て過ごさずに済んだ。
家に着いて車を止めると駐車場のコンクリートはきれいに乾いている。 裏の山は萌葱色に染まっている。さて、どうしよう。 家に入ってしまうと、また外に出てくるのが億劫になりそうだから、そのまま裏の山へ向かうことにした。
山の奥へと向かう小径に草はない。頭上の木の葉が日を遮るためだろう。杉の枯れ枝が薄く積もっている。 この小径の先には古い休耕田があるだけ。 でも何となく好きで時々歩いている。 薄暗い小径を歩きながら頭上を見上げれば、いっぱいの木の葉に透ける日の光。
あらたうと青葉若葉の日の光 (芭蕉)
葉脈の一つ一つまで尊く見える日の光があった。
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