五十鈴川
(2005.12.17[土])
近年に無く厳しい寒波にすっぽりと日本が覆われた日に伊勢神宮を訪れた。 正確には伊勢が通り道だったので立ち寄っただけというべきか。 罰当たりなわずか二時間の伊勢参り。
時間を気にしながら内宮参拝者用の駐車場に向かうと、早200m手前から交通整理が始まった。こんなに寒い日でも参拝者は引きも切らず、さすがは伊勢神宮。
15分後、駐車場から白木の大鳥居とその下で記念撮影をする大勢の人たちを眺めていた。私の手持ち時間では、あの鳥居を抜けて内宮へと向かってもゆっくりと見て回る時間はなさそうである。記念撮影の列を眺めて一思案。結局は五十鈴川の内宮とは反対側の岸を歩くことにした。
川上に向かって岸沿いの道路を歩く。こちら側の道路は地元の人たちの生活道路らしく、駐車場の混雑とはうってかわって通る車もほとんど無い。 地形にそってカーブの続く道をほんの数分歩いただけで、鳥居の前の喧噪も山の木々に覆われて、聞こえるのは風と風が落とした枯れ葉の音だけ。
道は、五十鈴川の川面から3,4m高い場所を走っていた。道路と川が特に接近するあたりで、川へ降りる道を探す。木と落ち葉の間に見えた獣のかすかな踏み跡をたどると五十鈴川の水際に出た。
対岸の内宮側の岸は石積みの護岸、こちらは五十鈴川が削って出来た天然の岩の護岸。 冬枯れで水量を減らした五十鈴川が、音もなく二つの岸の間を流れる。
水際に立って流れに目を落とすと、内宮の杜の木々の影と光る雲の一片と高い冬の空が、川底の砂まで透ける水に溶けていた。 下のものも上のものも、右も左も後ろも前も、全てのものを映し溶かして川は流れているようだ。
川の流れのその上をゆっくり流れる冬の雲。その眺めを楽しむ内に、手持ちの時間が尽きかける。 川の流れに全てのものが溶けてしまうように思えていても、時計の中の時間だけはどうやら溶けてしまわないらしい。 来た道を風と落ちる木の葉の音を聞きながら帰る。 駐車場の喧噪が再び耳に戻る頃には、川面に映る冬の空に、夕日の色合いがかすかに混ざり始めていた。
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