霜止み苗出る
(2006.4.25[火])
今日は七十二候の十七候(穀雨・次候)、
霜止み苗出る
の始めの日である。 昨日は一日雨。田畑も山野もたっぷり水を含み、一夜明けて春の陽が戻ってくるとその雨が蒸気となって空に戻ってゆく。 空に戻ってゆく途中の雨水が満ちた空気はどこかぼんやりしている。 ぼんやりとした空気を透って差し込む日の光は暖かいけれど、これもまたどこかぼんやり。
どこかぼんやりした頭のまま家を出る。 頭の中まで今朝のぼんやりと暖かい空気で満たされているみたいだ。 家を出て最初の三叉路の先に、水を張った田圃が広がっていた。 田圃では間近に迫った田植えの準備が進んでいた。 霜止み苗出る頃、眼前の眺めはまさにその言葉のとおり。
昨日の雨をたっぷり含み、今朝の日差しもたっぷり含んで、田圃の泥はぬくぬくしているんだろう。 窓を開けて昨日の雨と今朝の陽の光を含んだ空気を招き入れると、トラクターのエンジン音と蛙の声も一緒になってやってきた。
春だなぁ
ぼんやりした頭のままで、ぼんやり春を感じていた。
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花散らし
(2006.4.8[土])
海辺を走る一本道を昇ってくるとその終点に職場の建物がある。
この一本道、海から上り坂になり始めるあたりまでは隣の町へ向かっているように思えるので、近道と勘違いして上ってくる車が結構あるが、この職場に用事が有って昇ってくる人や車はごくわずか。至って静かな職場である。
黒潮洗う紀伊半島の南端部、海辺の上の高台と言うことで、日当たりは至って良好。 ただこの建物を建てた際に、敷地全体に花崗岩質の砂礫を入れたためか、周囲の畑と比べて土質は悪いようで、15年以上も前に植えられた桜の木は、植えられてまだ数年といった感じでひょろひょろしている。
10年まえには、いっこうに花を着けず、このまま枯れてしまうのではと心配された桜であったが、ようやく近年花を着けることを覚えたようだ。 ただ、栄養の十分に得られないつらい幼少時代を過ごしたためか、花の時期が他の桜とちょいとずれている。ひねくれているわけではないと思うが。
今年の春も他の桜が花を散らせた頃、ちらほらと花を咲かせ始めた。 仕事を終えて外へ出ると夕暮れ時の空を背に、少々時期をはずれた花が咲いていた。 枝いっぱいの花というにはほど遠い、申し訳程度の花の量であるが、花そのものは立派な桜。細々とでも来年も再来年咲き続けてくれればいいが。
翌日は朝から雨。 時折強い風を伴い、春の嵐といった天気。 花に嵐のたとえそのままに、ひょろひょろの桜の木がやっと咲かせた花を雨と風が吹き散らしていた。
「後一日ぐらい待ってくれてもいいんじゃない」
と言いたいところだろうが、自然も世の中もそんなに甘くは無いようだ。
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花見
(2006.4.1[土])
4月の最初の日は土曜日。 いつもなら桜は終わっていてもおかしくない頃だが、今年は開花が遅れ気味だったため、満開をわずかに過ぎたばかりである。
朝の空に雲は多いが、雲間からこぼれる陽の光は暖かい。紛れもなく春の日差しだ。 午前中かたづけておく用事がいくつか。 用事が済んだら花見をしよう。
午後になると朝の日差しはどこかに消えて、花冷え花曇り。 来週までは花が待ってくれそうもないから、花曇りの空から雨が落ちる前にさっさと出かける。 目的地は車で30分の距離にあるダム。 以前は地元では知られた桜の名所だった場所。 数年前の洪水で多くの桜の木が失われ、今は人の足が遠のいた場所だ。
桜は盛りを過ぎつつあり、谷間に風が吹くたびに、花びらが谷を渡ってゆく。 山があって谷があって川があって、風にのって谷を渡る花があって、おにぎりをくわえたまま人目を気にせず花見が出来る。 寂れた「名所」も良いものだ。
気が付くと、おにぎりを食べ終わった家内と子供がしゃがみこみ ダムからの水の一部を引き込んだ堀を上からのぞき込んでいた。 何があるのかと目をこらせば、水の面には桜の花びら。
花びらがいくつもの花の筏となって、水の流を渡って行く姿が見えた。
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