草刈りの前に
(2006.6.24[土])
雨の多い季節だが、雨が止んで日差しが射し込むととたんに暑くなる。 この時期は雲に遮られて顔を見せることの少ない太陽ではあるが、考えてみれば今が一番日差しの強いはずの時期。 雲間からのぞく太陽は元気いっぱいである。
雨でたっぷり水を含んだ地面と、元気いっぱいの太陽からの日差しとくれば黙っていても草が伸びる。いや、黙っていても騒いでいても草は盛大に伸びる。 幸か不幸か、我が家には草の生長に悩むほどの庭は無いのだが、職場には幸か不幸か草の生長に悩むほどの敷地がある。 私は別に草に埋もれていても良いんじゃないかなと思うのだが、世間の目というものもある。仕方ないので、たまには草刈りをしている(備品にエンジン付草刈り機が2台あるし)。
梅雨に入る前から、草の伸びが目についていたのだが、放っているうちにその草に黄色い花が咲き、これが結構きれいである。日当たりの良い道ばたによく群がって咲いている都草だ。 あちらこちらで、いくつもの群れを作って都草が咲き出し、その群れの間に白詰草の群れが混じって、それぞれのみどりの葉っぱと黄色と白の花で三色の模様を描き始めた。
これはなかなかきれいじゃないか
と思ったので、きっと世間の目から見たってきれいに見えるに違いないと勝手に解釈してそのままにして眺めていた。
あれから三週間。 今は思い切り咲いていた都草の花も白詰草の花も店じまいして緑と黄色、そして白で織りなしていた模様も葉っぱの緑一色となりつつある。そろそろ潮時かもしれない。
草刈りしなくちゃ
そう思いながら草刈り前にまだ残っている都草の花を撮していた。
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蒼の時刻
(2006.6.22[木])
行事らしい行事の無い夏至の日がいつの間にか過ぎていった。 夏至の翌日、もうわずかだが日は短くなっているはずだ。 これから一番暑い季節がやってくるはずなのに、日が短くなるのかと思うとすぐそこに冬が待ちかまえているような錯覚を起こしてしまう。
午後になって雨が降り出した。 降り出したとは言っても、夏至を過ぎたばかりの雨空は妙に明るい。 なかなか暗くならない外の明るさに惑わされていつの間にか、2時間の残業となっていた。今日は早く帰ろうと思っていたのに。
7時を15分回った壁の時計を横目に見て帰り支度。外へ出るとまだ明るさが残っている。 薄い雨雲に覆われた空は、午後早い時間の雨空とさほど違ったところがあるとは思えない。ただ昼の灰色だった雨雲の色が、沈んだ蒼色を帯びて来たところだけが、違っている点と言える。 蒼色の雲に覆われた世界は、いつまでも同じ時間が続くかのようだ。
ほんの数分、細かな雨の中で車を走らせると、道の先に自宅の裏山が見えてきた。 見慣れた山が暮れなずむ雨空を背にして見えた。 樹々に覆われた暗い山肌に雨霞をまとって、山はもの思いにふけっている。見慣れた山が、電線の向こうに見知らぬ姿を見せている。 夕暮れの蒼色が、辺りの風景にじんわりと浸み込んできた。
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押しかけ本
(2006.6.1[木])
15分だけ
と本屋さんに入って既に45分。 15分だけと思った時点でそれが30分に成るのは目に見えていたが、そろそろちょっとオーバーしたと言い訳するのは苦しい時間となった。
気にはなるけど買うのはまた次の時にと、立ち読みしていた新書を棚に戻した。 既に買うことに決めて、立ち読み中は脇にはさんでいたいた別の2冊をもってレジへ。 一歩動きだしたところで、今棚に戻したばかりの本に後ろ髪を引かれて立ち止まる。
やっぱり買おうか。 そう思い直し、歩いた足を巻き戻して後ろ向きでもと居た場所に戻り、棚に戻した本を取り出して先の2冊の本共々を手にして再びレジへ向かった。
3冊の本は本屋さんの袋に入れられ、その袋ごとさらに鞄の中へ。 既に4~5冊の先客の入っている鞄は新参の3冊をむかえ大混雑。鞄はちょっといびつになって中身の本も窮屈そうだ。
2日後、その2日を鞄の中で過ごしていた本に出番がやってきた。 まずはちょっとした参考書として買ってきた本2冊を袋から取り出す。袋の中には最後に買うことにした1冊だけが残る。
そしてさらに2日。用を足しに出かける際に手頃なお供の本を一冊と考えたときに、袋に残ったあの1冊を思い出す。新書版のその本は用足しのお供にはちょうど良い大きさである。 袋から本を取り出して、さて出かけようとしたそのとき、
「あれ、何だこの本?」
見覚えのないタイトルの本がそこにあった。 確かあのときは・・・と記憶を呼び覚ましてみてもその本のタイトルには記憶がない。立ち読みしていた本ではない。なぜこの記憶にない本がここに有るのだろう。
立ち読みしていた本を一度棚に戻し、思い返して棚から取り出した。直前まで立ち読みしていた本を棚から取り出したつもりだったのだが、どうやらそのときに間違えて別の本を買ってきてしまったようだ。
間違って買ってしまった本ではあるが、見ればなんだか気になるタイトル。 そのままお供に連れ出して用事の合間に読み始める。間違って買ってきてしまった本だけれど、間違ってしまったと後悔する本では無かった。
読み終えたその本は今は私の本棚にある。 思えば自分で本屋の棚から私の棚へ引っ越してきたような本。押しかけ女房ならぬ押しかけ本だ。 偶然からのことではあるが、自らすすんで私のところに来てくれたのかもしれないと考えるとなんだかその本がかわいらしく思える。 折角来てくれたのだから、あとは私の本棚でのんびりと過ごしていればいい。
押しかけ本に取って代わられたもう一冊の本はまた次回、あの本屋さんに立ち寄ったときに買ってくるつもりだ。 その本が私を嫌ってまた別の本を身代わりに送り出したりしなければだが。
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