ひょんなところで
(2006.9.22[金])
ある秋の日、いつものごとく近所をうろついているとひょんなところにツルボの花を見つけた。私の背より少し高い塀の上である。
ツルボはこの時期になると日当たりのいいあぜ道や山の端で時々見かける。 葉っぱは細くて他の草に混じるとどれがどれやらわからないが、秋になると20~30cmのひょろりとした花茎を伸ばして、他の草の上に顔を出すのでよくわかるようになる。
なかなかかわいらしい花なので見つけるとかがみ込んでのぞきこんだりするのだが、写真のツルボは背伸びしないと写真に納められなかった。 コンクリートブロックの塀にはツタが絡んでいたから、ツタの間に土が付いて、そこにどんな具合だかわからないけれどツルボの種が落ちて根を張ったのだろう。 仲間のツルボたちとは育った場所の環境が大分違うようだが、ひょんなことで根を張ることになった塀の上は意外に住みやすかったようで、沢山の花茎がひしめくように並んでいた。
水や土の量では普通のツルボたちが暮らす場所の方が潤沢だろうが、塀の上にはその分競争相手となるような他の草が少なく、またあぜ道を好んで歩く私のようなものに踏みつぶされる心配もなく、暮らしてみたら悪くない住処だったのかもしれない。
ひょんなところでといえばもう一つ。 ひょんなところで暦のはなしをする機会をいただけた。
暦について面白い話を見つけたときなど、話したくてうずうずすることがある(毎日毎日ってことではないけど)が、普段だと長々と暦のはなしをするチャンスなどない。まあ暦のはなしに小一時間もつきあわされたら興味のない人には苦痛だろう。暦のはなしだけで何時間も何て言う奇特な方(世間一般の基準だと、変わり者?)は少ないと思う。 が、世の中は広いものでそうした奇特な方も居ないわけではない。
ということで、そうした奇特な方に対して存分に暦のはなしをする機会をいただけたのである。十月から月に一度、1回2時間で半年間。都合6回の12時間。結構な時間である。 会場は名古屋ということで、陸の孤島とも呼ばれる紀伊半島の先っぽに住む私にはなかなか遠い場所ではあるが、こんな機会はそうそう無いだろうから、月に一度頑張って出かけて行くことにした。第一回目は十月の十三日(の金曜日)。
ひょんなところからでた「暦のはなし」の話であるが、塀の上に住処を見つけたツルボのように、楽しい場所を見つけることが出来るかもしれない。塀の上に跳び載ったとたんに転げ落ちたりしないように、「ひょんなところ」の先輩の塀の上のツルボを尋ねて一話目の内容を相談してみようかな。
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妖しい魅力
(2006.9.19[火])
狗・菊・芋 (イヌ・キク・イモ)
いきなり不思議な言葉の取り合わせで今日の日記は始まる。 狗(犬)も菊も芋もそれ自体はなじみのある言葉で、どこといっておかしなところはない。 だがしかし、どこといっておかしなところのないこの三つの言葉だけが並べられると、そこはかとない妖しさが漂ってくる。 関連が有るから並べられたはずなのに、その関連が解らない。この不可解さに妖しさを感じるのだろう。 妖しいものには近づかなければ良いのだが、妖艶なんて言葉が生まれたように、人はなぜかその妖しさに引き寄せられてしまうのである。
狗・菊・芋 (イヌ・キク・イモ) この妖しい三つの言葉の組み合わせと出会ったのは2年前。そしてあれから三度目の秋を迎えた。
自宅と勝浦の街の間にゆかし潟という沼がある。 ゆかし潟の南西側は200m先で海とつながっていて、海の干満に合わせて水面の上下動もあるからその名の通り「潟」が正しいのだろうが、一見すると「沼」としか思えない。 この地域の唯一の幹線道路である国道はこの沼の南側をその形に添うように走っているため、この部分はやたらと急カーブが多い。 その急カーブの一つで、私はイヌキクイモと出会った。
最初に気づいたのは、家内である。急カーブの多い箇所だから私はいつも
しっかり前見て安全運転
であるから、カーブの奥に生えた見慣れない葉っぱの草にまで気がつかなかった(安全運転の証?)。 一昨年の夏頃、この葉っぱに気がついたのは助手席または、後部座席に座る家内。 「見たことのない葉っぱがある」といわれても、こちらはカーブを抜ける間際にちらっと見るだけで何のことやら解らず、家内の話をおざなりに聞いているうちに秋となった。
そんな秋のある日、いつものようにそのカーブを抜けようとすると、そこには見たことのない黄色い花が咲いていた。 その花は家内のいうところの見たことのない葉っぱの草が咲かせたものだった。 如何にもその辺にありそうな草なのだがその花は菊の花のように大きくてきれい。
イヌキクイモ (狗菊芋)
それがその見たことのない草の植物図鑑で調べた名前だった。
図鑑によれば、「キクイモ(菊芋)」と「イヌキクイモ(狗菊芋)」がある。 菊芋は花は菊のように美しくその上、根が芋になる(食用になる)とかで、狗菊芋との違いは芋が出来るか否か。狗菊芋は芋が出来ないので役に立たないという意味でイヌ菊芋と呼ばれるそうなのだ。 ただどちらがどちらかという見分け方について調べてみると、花期の違いなどには言及されているものの図鑑によってはその時期が逆になっていたりしてはっきりしない。 どうやら、「芋」を掘ってみるまで定かではないと言えそうだ。
狗・菊・芋の妖しい三文字を目にして以来、その妖しい名前の響きに引きつけられるこの花が今年もまた咲き始めた。菊芋には芋が出来、狗菊芋には芋が出来ないという説明を読んでから、この花は狗がつく奴なのかつかない奴なのか、気になって仕方がない。 そしてついに昨日、意を決して(?)この草を引っ張って見た。芋はなかった。
狗のつく菊芋か
芋があったら食べてみようかと思っていたのでちょっとがっかりしたが、帰ってからもう一度植物図鑑の説明を読み直してみると、芋の出来る時期はまだ先のようだ。なんだ、まだ解らないのか。 さらにネットで調べてみると狗菊芋も菊芋とは大きさに差は有るものの、それなりの芋(塊茎)は出来るらしい。 そのうえ、芋は意外にほくほくしておいしかったという証言まであった。食べたけど今も生きてますという証言も多数有る。ということは・・・
狗・菊・芋
この呪文は、まだまだ私を引きつける魅力にあふれている。 芋の出来る時期が来たら、今度はシャベルを持ってまたあの場所に行こう。 妖しい魅力に引き寄せられて。
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