やすらぐ場所
(2007.2.25[日])
人の好みはいろいろである。 他人が見れば、
何でそんなところがいいの?
と思うような場所がなぜかやすらぐ場所だったりする。 私の場合は・・・ 今日のところは秘密にしておく。 さて、本日の話の元は我が家の金魚、
二代目「タツ金」
である。 彼のやすらぎの場所は水槽の角、 そしてそこに差し込まれた温度計の間。 いつそこを見つけたのか、ちょうど自分のからだが入る程の隙間に嵌り込んでいる。
ちょうど入る程
と書いたが、本当はもっと狭かった隙間を無理にこじ開けた感がある。 なんだか頭を押さえつけられて苦しそうな感じを受けるが、本人は気に入っているらしい。 毎日何時間も嵌り込んでいる。
最初は初代が亡くなった転覆病に罹ったかと心配したが、どうやらそうではないらしく、元気である。 どうも、ただその場所が好きなようだ。
そういえば自分も子供の頃、押入の狭い隙間に無理矢理潜り込んだりしたなと思うと、彼の気持ちも何となく分かる気がする。 他人が見れば変なところでも、 やすらぐ場所ならそれでいい。
そして今日もまた彼は、温度計に挟まれるようにして、ゆったりと尾ひれを揺らしている。
追記. 嵌っているタツ金を眺めているのは、桃華。 まだ小さめの頂天眼である。 見かけは可愛いが、いたずら者で、でかくてとろい水泡眼達をつついて回る。 ひょっとしてタツ金、つつかれ続けてストレスが溜まっているのかもしれないな。
▲ ▼
御燈祭 (おとうまつり)
(2007.2.6[火])
かわうその住む、那智勝浦町のお隣は新宮市。 その新宮市の西側に千穂ヶ峰という山がある。標高は253mと高い山ではないが、平均の標高がほとんど 10m未満の新宮の待ちから見ると
聳え立つ山
という感じである。 この千穂が峰の南側の支稜は神倉山と呼ばれ、その中腹に神倉神社がある。 神倉山は麓からこの神社のある辺りまで岩剥き出しの断崖絶壁であり、神社のこぢんまりとした朱塗りの社殿の上には、ご神体とされるゴトビキ岩という巨岩がある。
古い時代はこうした奇岩・巨岩を神の座所と考えて祭る磐座(いわくら)信仰があったから、ゴトビキ岩もそうした磐座信仰の対象とされたと思われる。 多分、「神倉山」の名前そのものも「神磐(カミクラ)」からきたものだと勝手に考えている。
神倉神社は、熊野速玉大社の摂社。速玉大社の祭神が元々座した神社であるといわれている(この神社から神が新しい宮速玉大社に遷ったので速玉大社を「新宮」というそうな)。そのため「元宮」とも呼ばれる。創建は古く、AD128年とか。 新宮は神武天皇が東征の折上陸した最初の場所で、そのおりに登った山が神倉山だったともいわれる由緒のある場所である。
さて、神社の縁起はここまで。 この神倉神社には御燈祭という火祭りがある。毎年2月6日(本来は、旧暦正月 6日)の夜に行われるこの祭りは、TVニュースなどにも取り上げられ、結構有名である。 この地に住むようになって、一度は見物に行きたいものだと思っていたが、新宮市在住の知人から
「氏子でなくても上れるよ」
といわれた。「上る」とは、松明を持って祭りに参加する「上り子」になって、山に上がることを言う。氏子でなくてもOKと聞いて、
「見物」 → 「参加」
と方針を転換。やはり眺めているだけより参加する方がおもしろい。 上り子は、決められた白装束を着て祈願する内容を書き込んだ松明を持って神倉神社に昇るので、事前に一式を購入(14000円ほどでした)し、当日を待った。
本格的に行う人たちは、当日は浜に出て禊ぎをし、口にするものは全て白(豆腐にも醤油を掛けないとか)、身につけるものも白一色とするのだそうだが、禊ぎは割愛、服装についても仕事中は白一色とはいかないのでこの辺も割愛。 全て割愛では罰当たりなので、口にするものはだけは「白いもの」だけに限定(あ、コーヒーを飲んでしまった・・・)。
仕事を2時間早退して新宮へ向かい、用意した服装に着替える。帯代わりの荒縄の胴巻きはさすがに自分一人ではまけないので、新宮市役所の有志(?)の方に巻いて頂く。 この姿で、右手に真新しい松明を握れば外見だけは立派な「上り子」の完成である。
後は、阿須賀神社・熊野速玉大社・妙心寺の三社にお参りして、神倉神社に昇るだけ(あ、昇ったら降りなくちゃいけないけど)。 そこから先の様子は、参加したもののだけの特権(?)として、内緒。
一つだけ言えることは、
「来年もまた参加するぞ」
と思っているということ。 やはり祭りは、参加してナンボですな。
 | 上り子の装束 速玉大社へ詣でた際に写した上り子の写真です(私ではありません)。装束は、祭りが近づくと、あちこちの店で販売を始めます。大体14000円前後で、松明も含めて一式そろいます。
写真の左側に見えるひらひらついたのは松明。 ひらひらは、「ハナ」と呼ばれるもので、松明に火を付けるための焚き付けとなります。三社詣での間、行き会う上り子たちはすれ違いざまにこの松明をぶつけ合い、
「頼むで」
と声を掛け合うのが習わしです。
|
 | 御神火を大松明に移す
山の上で待つこと一時間、社の中から神職によって熾された御神火が現れ、御神火が大松明へと移されます。
写真を撮る瞬間、山の下から吹き上げてきた風によって一気に炎が吹き上がりました。夜の闇にすっかり慣れた目には、炎が眩しい。
|
 | 火の海・煙の海 御神火は大松明から我々の手にした松明へ。山門は一旦閉じられ、火が行き渡ってから再び開かれます。
写真は、山門が開かれる少し前。辺りは火の海、煙の海で熱いやら煙が目にしみるやら。ここから先は、忙しくて写真どころでは無かった。 |
▲ ▼
|