色のない月
(2007.10.23[火])
腹立ち事の一つ一つを踏みつけたくて、 階段を強く踏みつける。
一歩踏むだけでは収まらず、もう一歩、 二歩踏むだけでは収まらず、もう一歩、 腹立ちが収まる前に階段が尽きた。
階段の最上段に続く道の上に、 車のライトと車の影がまだら模様を作ってゆく。
階段の段数分だけ踏みつけられて、 腹立ちはその段数分だけ収まって、 残ったものも最上段で吐く息に、溶けて一緒に流れ出す。
足下に広がる黒いアスファルトが、 月の光に白く光る。
22:17 PM、 行き過ぎる車がとぎれたその時刻、 街灯とビルの灯りのその上に、 色なき秋の夜の月。
良夜の月の光の中で、 腹立ちの最後のかけらが一つ、 溶けてどこかへ流れていった。
今日は九月十三夜、 色なき秋の、 色なき月の昇る夜。
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佳雨
(2007.10.14[日])
日暮れの頃になって一日中降ったり止んだりしていた雨があがった。 今度こそ降ったり止んだりに終止符を打つ雨上がりのようだ。 日暮れの頃だというのに、さっきまでよりほんのり明るくなった西の空が雨上がりの証拠だ。
田んぼの間にのびる道の上には、田んぼから自然の湿地に戻りつつある休耕田に生えた蘆の穂が、雨粒の重みでおじぎをしている。 おじぎしている蘆の穂に顔を近づけると、雨粒が光の滴となってその穂先に輝いている。
穂先に輝く水滴の向こうには秋枯れには間がある草の緑。 草の緑の向こうには霞む家並みと山の影。 山の向こうには沈みかけの太陽をどこかに隠した乳白色の空。 様々な色と様々な光に彩られた秋の風景が蘆の穂の向こうに広がっている。
降るべき時に雨は降り、 あがるべき時に雨はあがって、 あとには名残の色と光を残して、 雨は去っていった。
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考えごと
(2007.10.9[火])
道の辺の 尾花が下の 思ひ草 今さらになぞ 物が思はむ 詠み人知らず 『万葉集』
秋の訪れに関して言えば、紀伊半島南端部のこの辺りは少々遅い感じです。 中秋の名月を終えて半月経ってようやく薄の穂が輝きだし、薄が薄らしくなってきたところです。 この分だと、中秋の名月よりも十三夜の月に沢山の薄を供えられそうな雰囲気です。
昼休みに仕事場の回りをぶらぶらと歩いてみると、いつも通る道沿いの土手に一群よい具合の薄が生えていました。 十三夜のお供えにと、ちょっと下心を抱きながら近づいてみると、薄の根方になにやらピンクの色が。 そのピンク色の正体がこの写真でした。
花の名前は南蛮煙管(なんばんぎせる)。 南蛮煙管の名の由来は、パイプのようこの花の姿を見れば誰しも納得するでしょう。 その形からきたこの名前もピッタリですが、やはりその姿からついたであろうもう一つの名前もなかなかです。 冒頭の歌に登場する「思い草」がそれ。
背の高い薄の根方に俯きがちに咲く姿が、物思いに耽る人を連想させるのでしょう。 何を考えているのかなと、俯いた顔を下から覗き込んでみたものの、考えごとの内容は分かりませんでした。 もしかすると、考え事を邪魔されて、ちょっと迷惑顔だったのかもしれません。 邪魔しちゃって、ごめんなさいね。
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