小春日和・三題
(2007.11.25[日])
冬らしい日がようやく増えて、合間の暖かい陽射しの日を小春日和と呼ぶことに抵抗の無くなってきた今日この頃。その小春日和の一日に普段から行き来する道路の端で、小春日を浴びる草木が目に入りましたので、その写真を3枚撮ってきました。 久々なので、その写真3枚で小春日和・三題として書いてみようと思います。 (一日で書き終わらないと思います。連作?)
コスモス もうさすがに「冬」だろうという季節にですが、紀伊半島の南端部、南紀と呼ばれるこのあたりは、近くに暖流の黒潮が流れていることもあって、本州の多くの場所よりは気温が高めです。
そのためでしょうか、十一月も末だというのにこうして秋の花、秋桜が咲いていました。
いくらか暖か
とはいえ、さすがに天気の悪い日に見ると秋桜が寒そうでかわいそうですが、今日はよく晴れて暖かく、秋桜もなんだか嬉しそう。
「秩序・宇宙」を意味するその名の通り、均整のとれた形の花が空に向かって咲いていました。
空と海の間に くもが浮かんでいました。
空と海の間に浮かぶ「くも」といえば普通は「雲」なのでしょうが、あいにくとこの日は雲一つない晴れ。一つもない雲に代わって空と海の間に浮かんでいたのがこちらの「蜘蛛」でした。
紀の松島と称される、島々が浮かぶ海を見下ろせる高台に巣を張って、空と海の間に浮かんでいました。
海を見下ろすこの場所で、見事な模様を身にまとった蜘蛛が、小春日の光を受けて中空で、獲物がかかる瞬間をじっと待ち続けていました。
薄 きれいな花があれば近づいてもっとよく見てみたいと思うものです。ところが、近づきすぎるとその美しさが失せてしまう花もあります。 ものには適した距離というものがあるようです。
陽射しをあびて輝き、風に揺れる銀色の薄はいつまで眺めても飽きることのない程美しいものです。一面の薄の原を風が渡る様などは格別。
ところが薄に近づいて、その穂を手にとってまじまじと眺めたとすると、さっきまで薄に感じていたものが、どこかへ消えてしまいます。首をひねりながら遠ざかれば、そこには何事もなく美しいままの薄が見えてきます。
何ものにも、それぞれに適した距離があると小春の陽に輝く薄の穂が教えてくれていました。
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