かわうそ日記 ( 2008年12月 ) こよみのページ こよみのページ
終わりもまた夕日  (2008.12.31[水])

年の暮れの夕日仕事がある日は、昼の写真は撮そうと思ってもなかなかその時間がありません。
勢い、撮した写真は夕方のものばかり。

年末の休みとなって、暇が出来るかと思ったら、暇は出来ずに時間だけが過ぎてしまいました。
そして今年も最後の一日、それも夕方になってしまっていました。

休みの日くらいは昼間の写真をと思っていたのに、結局撮れたのは夕日の写真。
これも習い性なのかも知れません。

まあ、それもいいのかな。


「八咫鏡」生産地?  (2008.12.20[土])

八咫鏡野の八咫烏神社すぐ近所に「八咫鏡野」という地名があります。
「やたのかがみの」と読みたいところですが、正解は「やたがの」。
現在は「咫」の文字がなかなか使いにくい文字なので、「八尺鏡野」と書かれます。これでますます読みにくくなってしまっています。

八咫鏡野は昔は八咫鏡野村だったそうですが、現在は那智勝浦町の一部となっています。
その昔、八咫鏡野が村だった頃の村社の役割を果たしていたのが、この写真の八咫烏神社。明治時代の村の統合で、村社も統合され、八咫烏神社も近隣の下里神社に合祀されるようになって、現在はこの小祠が残っているだけです。

たまに、この小祠の前を通ることがあって気になっていました(いろいろときになることのおおい、私です)。
今日、たまたまおそいお歳暮を届ける途上にこの小祠の前を通ったので、立ち寄って写真を撮っておきました。

写真を撮ってきてから、縁起を調べてみようとネットを検索してみると、なんと八咫鏡野は八咫鏡を作ったところという伝説があることがわかりました。そのうえ、八咫烏神社の御神体は、八咫鏡完成前に作られ、傷があって献上されずに残された鏡だとか。

へー、そんな話が・・・。
身近でも知らないことって沢山あるものなんですね。


日短の記憶  (2008.12.17[水])

日短の風景太陽が空の高みに上らず、ものの影ばかり長くのびる頃です。
太陽が、力強い存在でなくなってしまうこの季節になると毎年、太陽のありがたみを思い出します。
ああ、太陽の光って暖かいものなんだなって。

日暮れまではしばらくあるはずなのに、野原はその草よりずっと広い範囲を草の影に覆われていて寒々とした眺め。
その寒々とした眺めの中の何本かの背の高い草の綿毛に反射する陽の光だけが仄かなぬくもりを感じさせてくれます。
仄かなぬくもりを届けるのは陽の光。
ああ、太陽の光って暖かい。

去年も確か、太陽の光の暖かさを感じたはずなのに、また日短の季節が来るまで忘れていました。
太陽は年ごとに日短の記憶を呼び覚ましてくれるのに、人間は年ごとに思い出して、忘れてしまう。
人間て忘れっぽいですね


よっ  (2008.12.13[土])

桜紅葉「よっ」
そんな風に声をかけられた気がしました。

動物の表情やしぐさを人間のそれと結びつけてしまうことがあります。
同じく植物の枝や葉の形から、何かを連想することもあります。

「よっ」と声をかけてきたのは桜の葉っぱ。
高い枝の桜の葉っぱはすっかり落ちて、
幹の低いところにぴょこんついた一枚の葉っぱだけが残っていました。

「よっ」っと声をかけ、軽く手をあげたその手のひらに葉っぱが見えただけです。
一枚の葉っぱを人の手のひらと見間違えた瞬間に、頭が勝手に「よっ」という声を作り出したのでしょう。

錯覚は一瞬のこと。すぐに覚めて、そこには手のひらではなくて一枚の葉っがありました。
錯覚からは覚めましたが、頭は「よっ」に続く言葉探しています。
錯覚だと判っていても、「よっ」につづく言葉がなんだったのかと。

「久しぶり」なのかそれとも
「またな」なのか。

一度錯覚から覚めた後に、
桜の葉っぱは言葉を継いではくれませんでした。


金糸銀糸  (2008.12.7[日])

金糸銀糸薄は晩夏から長い間その光に輝く穂を保ち続けてきましたが、それもそろそろ限界。

日の光を浴び出輝くその銀の穂も、風を切るその鋭い葉も姿を消して、どれがどの草かという区別もない、ただの枯草の仲間入りです。


今の時期は日暮れが早くて、まだ夕方の 5時だというのに、街灯が灯りました。

街灯が灯ると、薄の穂が街灯の光を受けて輝いているのに気が付きました。
枯草の仲間に入って薄という正体を失っていたかに見えた薄ですが、まだ光に輝く金糸銀糸の穂を残していたようです。


運び雨のあと  (2008.12.3[水])

運び雨の跡今朝は雨が降ったようです。
道路も道の端の草も皆濡れていました。
東に向かい移動する灰色の雲も空に見えました。

少しの間だけ、雨を降らせて去って行く冬の雨を
運び雨というそうですが、
今朝の雨はさしずめその運び雨だったのでしょう

この地でのくらしも
通算で十年になろうというのに
こんな朝はいまだに不思議に思えてなりません

東北生まれの私には、
冬に降るものと言えば雨ではなくて雪。
ましてや冬の朝に雨が降り、
その雨に濡れた草の花が足下に咲いているなど。

運び雨の運んだ滴をまとった冬の花が
あたりまえに思えるまでにはあと何年かかるやら。
いや、いつまでたっても今と同じで
私には不思議なままなのかもしれません


照れ笑い  (2008.12.1[月])

笑う三つ星新月から 4日目の月と
少し遅れて木星と金星が、
沈んでしまった太陽の後を追いかけて行く。

足下は目をこらさないと見えないほど暗い。
何度となく駆け上がり、駆け下りた階段を足元を見ず駆け上がる。

雲一つ無い空はすっかり鈍色に染まっている。

急いで駆け上がって見たけれど、急ぐ必要はなかったようだ。
月も木星も金星も、逃げ足の速い太陽に置いてきぼりにされて
高い空に浮かんでいた。

月と木星と金星が、
地平線下の太陽に追いついて、
見えなくなるまでには
まだまだ時間がかかる。

月も木星も金星も、
取り残されたものの照れ隠しのように、
三つ並んで笑っていた。


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