大きくなったね
(2009.4.25[土])
その昔、それまではとても手の届かない高さだと思っていた棚に手が届くようになって、自分が大きくなったことを実感して嬉しかったことを覚えています。 それが、踏み台に乗ってようやく届いたのであっても。
うんしょ、うんしょ
そんな声が聞こえてきそうなほど、頑張ってトモノリ(クサガメ)が手足を伸ばしていました。 生まれてこの方、家の中で飼われ続けていて日に当たる機会の少ないトモノリは、しょっちゅう光を求めて背伸びしています(背伸びをして求めた先は残念ながら人工の光ですが)。
背伸び自体はいつものことですが、見れば精一杯のばした前足が水槽の上辺にかかっているでは有りませんか。今まではそんなことは無かったのに。
大きくなったんだね
トモノリの生まれたのは、2002年の10月。 そのときは、 5円玉ほどしかなかったのに、 7年経って、水槽の上辺に手が届く(ただし甲羅干し用の煉瓦に乗った上で)までになったんだ。 子供の成長を喜ぶ親の心境ですな。
心配なのは、前足が水槽の上辺に届くようになった彼が脱走を計るのでは無いかと言うこと。手が届いても体を引きずりあげるほどの腕力がつくまでにはまだだいぶかかるから、その点はまだ大丈夫かな?
大きくなって嬉しい反面、大きくなればなったで心配事も増える。 やっぱり親になった心境ですか。
追記. 背伸びするトモノリの手前で首をもたげているのは、タツノリというカメです。 トモノリより一つ年下ですが、実はタツノリの方が体は大きい。 ただこちらは、背伸びしようというような意欲は全くないようなので、体は大きくとも脱走の心配は微塵も感じさせません。
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放っておいてください
(2009.4.17[金])
ベランダに丸いケロリンがいました。
ずぼらな私の一家では、蛙にいちいち名前を付けるのが面倒で、いつの頃からか我が家の近辺に縄張りを持つ蛙をすべて
ケロリン
と呼ぶことにしています。 よって、ベランダで発見されたこの丸い蛙も「ケロリン」と呼ばれることになりました。 このケロリンの特徴はなんと言ってもこの丸さ。 昨日の晩に何かすてきな大物の餌にありついたのか、はたまたただのメタボ蛙なのか、まん丸です。
写真は、朝見つけた時のもの。 近寄っても、逃げるでも無くじっとして、かすかに目だけこちらに向けただけでした。 こちらに向けたその目は、
かまわないで 放っておいて
といっているようでした。 ご希望通り放っておくと、そのまま半分だけ日の当たる場所ににうずくまっていました。 夕方になってベランダをのぞくと、場所を移動してプランターの蔭で夜の狩りの準備をしているところでした。 丸さは相変わらずでしたが、心なしかスマートになっている気も。 今夜も、丸くなるほどの大物が捕まるといいね、ケロリン。
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花散る夕べ
(2009.4.10[金])
今年は花の命が長いとは言え、桜の花もそろそろ見納め。
普段から海風が吹きつけ、花の開花期が遅れがちな仕事場の桜さえも、その花のほとんどが散り、夕焼け空を背にした枝に残る花の数も少なくなりました。
枝に残ったこの花も夜の風に吹き散らされてしまいそうです。
明日の朝にはこの枝に、花は残っていないかも知れません。 今夜は今年最後の、花散る夕べとなりそうです。
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おいしそうな月
(2009.4.9[木])
月が昇ってきました。 オレンジ色の大きな月です。
太陽が西の空に沈んだのと入れ違いに東の空に月が昇ってきました。 今日は満月です。
オレンジ色の満月はなんだかおいしそう。 夕飯の前でお腹がすいてますからそう見えるのか。
でも、おいしそうな月を食べてしまった場合、月の上で仕事しているウサギはどうなるのかなと考えて、思いとどまりました。 月まで手が届きそうもありませんでしたし。
かわうその虎口(獺口)を逃れ、月のウサギはオレンジ色の満月の上で餅つきに励んでいます。 今の季節なら、ついている餅は草餅でしょうか。 おいしそう・・・。 何でも「おいしそう」と連想するのはお腹がすいているからか。
写真を撮ったら、さっさと帰って夕飯にします。
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花見で一杯、月見で一杯
(2009.4.7[火])
日が沈んだ直後、まだ青い空に昇る月。 青空とは言っても、真っ青ではなくて、微かに夕日の色に染まった薄雲があり、月は朧。 その朧な月を背にして咲く桜。
花見で一杯 月見で一杯
まるで花札の役が二つそろったかのような眺めじゃないですか。 花と月はそろって、あと足りないのは杯。 でも車を運転して帰らないといけないので、「杯」はNG。
花見と月見
だけでよしとしましょう。
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重箱の隅の眺め
(2009.4.6[月])
同じ道で、同じものを見、同じ人や車とすれ違う毎日ですが、 同じものが、昨日とはちょっとだけ違うことが楽しい。 重箱の隅を突いて初めて気が付くような小さな変化を見つけるのが楽しい。 この辺は、きっと性格ですね。
いつだって、この重箱の隅を眺める楽しみはありますが、これが形となるのは夕方の時間帯が多い。 何故か。それは朝は私も忙しいから。 重箱の隅に何かを見つけても朝は
遅刻しそう!
と立ち止まる時間がない。 その点で、夕方なら道草を喰う時間は沢山ありますから。 そして今日もまた、沢山時間のある夕方に道草を喰いました。
河が海へと流れ込む場所で、春の日が暮れたばかり空の雲の色と、その雲の色を写した海と川が、今日見つけた重箱の隅の眺めでした。
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アトラスの影
(2009.4.5[日])
彼岸を過ぎて、日暮れまでの時間が少々長くなって気がします。 仕事が早く終わったので、日暮れまでの間、穴掘りをしました。 いつかは「池」にするつもりの穴です。
差し渡しで2m、深さも1m弱の穴なので、完成しても池と言うよりただの水溜まりかも知れませんが、とにかく穴を掘っています。 掘った場所が悪かったのか、途中で岩に行き当たってしまい難航していますが、一度掘り出したので半ば意地になって、場所を変えることなく掘っています。
1 時間ばかり岩と格闘したので、時間こそ短かったものの、顔から汗がしたたるほどになっていました。 せっせと掘っていたら、手元足下が暗くなってきました。 下ばかり見ていた目を上に向けると、空はすっかり夕暮れの色。
今日はこれくらいにしよう
今日の作業ではあんまり、穴は拡がらなかったけれど、まあ気長にやりましょう。 帰りかけて振り返ると、池が完成した暁にはその池に影を落とすことになるだろう木のシルエットが見えました。 捻れた幹と捻れた枝で、何かを必死に支えているかのような木の影でした。
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