年々歳々
(2009.5.18[月])
年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず
今年もまた、ブラシノキの花咲く季節となりました。 職場への行き帰りの道でこの花を見るようになって五度、季節が巡りました。 初めてこのブラシノキに気が付いてから五度、この木が花をつけるのを見ました。
年々歳々花相似たり
この句の通りこの木は五度、初めて見たときと同じ、不思議な形の花をつけています。 そしてその花の下を通るとき
歳々年々人同じからず
と、変わっているはずの私だけれど、 この不思議な形の花を見上げて、
本当にビンでも洗えそうだ
と考えることには変わりがありません。 何年経とうと、人もまた年々歳々相似たるところがあるようです。
▲ ▼
山と川の一日
(2009.5.3[日])
夏も近づく八十八夜を一日過ぎました。 八十八夜と言えば
野にも山にも若葉がしげり~
という季節。 と言うことで本日はかわうそ一家そろって、山の若葉を尋ねてまいりました。 そんなに頑張らなくても、野も山もたんとある田舎に住んでいますが今日はさらに田舎の田舎の山を尋ねてまいりました。
さてさて、かわうそ一家の爺さん、かわうそは山に探検に出かけ(柴刈りはしない)、他のみんなは
婆さん(家内)と息子達は川へ
向かいました(こっちも洗濯はしない)。 山と川とは言いますが、何のことはない。川は山の間の谷を流れているので、一家離散ということもなく家族全員で山の奥での休日です。
川に出かけた家内と息子達は川底まではっきり見える水の中に釣り糸を垂らして間抜けな魚を釣り上げようとしています。 しかし・・・
水至って清ければ 大魚なし
の言葉どおり。 川底まではっきりと見えてしまう至って清い水の流れる川には大魚の影はなく、小魚が餌を掠め取って行くばかり。
結局一匹の魚も釣れないままでしたが、まあそれもいいでしょう。 獲物が得られなかった釣り人たちには、
次こそは、釣り上げてくれよ
と、この山奥に連れ出す口実ができましたから。 私はと言えば、みんなが魚に餌を取られる間に山の探検も出来たし、川原で焚き火も出来たし。 満足々々。
▲ ▼
|