暦と天文の雑学
http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0210.html
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月の見え方・北半球と南半球
海外で見える「今日の月の形は?」を書いた。
そこで、同じ瞬間の月の形は世界中どこでも同じですと書いたところ、
「北半球と南半球とでは、違って見えます。なぜですか?」
という質問を何度も頂くように成りました。うーん、そんなはずは・・・。
と、思いながら質問のメールを読み直したところ、原因が解った。
同じ瞬間なら、世界中どこでも「同じ形に見える」というのはほんと。それと同時に「見え方が違う」というのもほんと。
正確には言えば、月の欠けた形は同じで、向きが違うと言うことだった。
少々くどくなりますが、同じ瞬間に見える月の形は同じ。これは、
ある場所で新月なら、他の場所でも新月。
ある場所で半月なら、他の場所でも半月。
満月や三日月もまた同様。
と言う意味です。この点では「同じ形に見える」と言えるわけだ。
さて、では向きが違うというのはどういうことだろうか?
形がよくわかると言うことで(それと、程々に月の模様もわかると言うことで)、上弦の半月を例にとって説明してみます。場所としては、赤道を挟んでちょうど南北に似たような緯度にある日本(北半球)とオーストラリア(南半球)あたり想定してみる。他の場所も、あとは程度問題で考え方は同じ。
●月が正中する頃の見え方 次の文章は、オーストラリアと日本から同じ日に月を眺めたA,B二人が書いた文章である(・・・勝手に創作・・・)。
上の月の図をご覧頂きたい。確かに北半球と南半球で欠け方が逆になっている。なぜだろう?
その秘密は表の中の言葉と、月の図自体に隠されている。
まずは図から見て行こう。
北半球のでは右側が凸。南半径の例では左側が凸となっている。確かに逆だ。更によく見て頂こう。月の模様はどうか。模様も180度逆になっているのが判るだろうか。
それと、月の周囲に書かれた文字もチェックして欲しい。「東西」が逆になっている。さて、ではなぜこんな事に?。 答えは文章の中にある。
文章を読んで気がつかれたろうか。AとBはどちらを向いて月を見ているか。それが謎を解く鍵。
南半球のAは「北を向いて」見ているのに対し、北半球のBは月を「南を向いて」見ている。AもBもともに眺めている月の凸の方向は「西」なのにそれが左右逆になるのは、AとBが向かってみている方角が逆だからなのである。
「月は東側が欠け、西に凸となった半月だった」
とすれば、北半球のBも南半球のAも同じ表現になるが、
「月は左側が欠け、右に凸となった半月だった」
と書くと北半球のBには正しいが、南半球のAにとっては間違っていることになる。そして、
「北半球と南半球では月の見え方が逆だ」
と言うことになる。さて、もう一度言おう、「あなたの眺めている月は、どっちに見えている?」
それが判ると、そんなことだったかと気がつくはずである。
●月が沈む頃の見え方 月が沖天高く望まれたときの話を書いたところで、次は月が地平線に沈む頃の話をしてみよう。解りやすくするため、まずは皆さん地球の外から地球と月を眺めていただきます(本当に眺めることが出来たらいいんだけど、ここは模式図で我慢)。
右の図をご覧いただきたい。これは上弦の月がちょうど月の入りをむかえる瞬間を、その地の地平線の真東遙か彼方の宇宙から眺めた状況を図化したものである。場所は、前の例と同じ南半球はオーストラリアのAさん、北半球は日本のBさんと考えよう。
月が2つ描いてあるがもちろん月は一つ。月はずっと遠方にあるため、地球上なら北半球でも南半球でも殆ど同じ姿で見えるので、ここではそれを現すために同じ形の月を2つ描いている。
後々の説明のために、それぞれの地点での地平線をやや太線で、地平線に垂直な線を細線で表している(桃色と黄色)。A,Bの間にある赤い線は赤道を表したつもりである。
地球の外側から見ると、A,Bの地点から見える月は同じ形である。だが考えて頂きたい、我々が地上から月を見る場合、月がどんな向きに見えるという場合、何を基準に考えているだろうか?
地上から、沈む月を眺めた様子を、再びA,B両氏に記述して頂こう。
(オーストラリアでのサマータイム等は考慮していません。悪しからず)
昔々のその昔、まだご先祖様が猿とどっこいの頃から地球の表面で暮らすことになれた我々は、周囲のものの位置をまず「上下・左右」というふうに捉える。上下は垂直方向、左右は水平方向の位置関係である。
遠く宇宙空間から眺めれば同じに見えた月も、この「猿の頃から身に付いた習性」で自分の立つ地点から見た「上下・左右」を基準に考えると、違った向きに見えてしまう。それが上の図。
同じ月のはずなのに、向きが違って見える。A,Bで違っているのは実は月の向きではなく、月の向きを測る基準となる地平線の向きだったのだ。うーん、地球はやっぱり丸かったんだな。
解ってしまえばこの通り、なんのことはない理由なのだが、それと気が付かないと不思議な気がするのかも。
とかく、自分の生活する場所が標準で、何処へ行っても同じだと思っていると、こういったちょっとした事柄に気付きにくい。海外の方から、「どうして?」と聞かれて、初めてこういった疑問があることに気付いた次第でした。
なお、今回は日本、オーストラリアと言った中緯度の地点を例に挙げて説明しましたが、赤道付近や、高緯度地方でも考え方は同じ。上のような図を自分で書いてみれば、それぞれの地域でどんな風に月が見えるか考えることが出来ます。やってみるとおもしろいかもしれませんね。
海外で見える「今日の月の形は?」を書いた。
そこで、同じ瞬間の月の形は世界中どこでも同じですと書いたところ、
「北半球と南半球とでは、違って見えます。なぜですか?」
という質問を何度も頂くように成りました。うーん、そんなはずは・・・。
と、思いながら質問のメールを読み直したところ、原因が解った。
同じ瞬間なら、世界中どこでも「同じ形に見える」というのはほんと。それと同時に「見え方が違う」というのもほんと。
正確には言えば、月の欠けた形は同じで、向きが違うと言うことだった。
少々くどくなりますが、同じ瞬間に見える月の形は同じ。これは、
ある場所で新月なら、他の場所でも新月。
ある場所で半月なら、他の場所でも半月。
満月や三日月もまた同様。
と言う意味です。この点では「同じ形に見える」と言えるわけだ。
さて、では向きが違うというのはどういうことだろうか?
形がよくわかると言うことで(それと、程々に月の模様もわかると言うことで)、上弦の半月を例にとって説明してみます。場所としては、赤道を挟んでちょうど南北に似たような緯度にある日本(北半球)とオーストラリア(南半球)あたり想定してみる。他の場所も、あとは程度問題で考え方は同じ。
●月が正中する頃の見え方 次の文章は、オーストラリアと日本から同じ日に月を眺めたA,B二人が書いた文章である(・・・勝手に創作・・・)。
オーストラリア在住・Aの記述 | 日本在住・Bの記述 | ||
---|---|---|---|
もうすぐ夏至。冬が近付いている。 夕方、北の空を見ると上弦の月が見えた。日暮れから大分時間がたち、すっかり暗くなった空に、左側半分だけの半月が浮かんでいた。 今頃、日本に居るBはどうしているだろうか。 |
もうすぐ夏至。夏が近付いている。 夕方、南の空を見ると上弦の月が見えた。日暮れから間もなく、まだいくらか日の光が残った空に、右側半分だけの半月が浮かんでいた。 今頃、オーストラリアのAはどうしているだろうか。 |
上の月の図をご覧頂きたい。確かに北半球と南半球で欠け方が逆になっている。なぜだろう?
その秘密は表の中の言葉と、月の図自体に隠されている。
まずは図から見て行こう。
北半球のでは右側が凸。南半径の例では左側が凸となっている。確かに逆だ。更によく見て頂こう。月の模様はどうか。模様も180度逆になっているのが判るだろうか。
それと、月の周囲に書かれた文字もチェックして欲しい。「東西」が逆になっている。さて、ではなぜこんな事に?。 答えは文章の中にある。
文章を読んで気がつかれたろうか。AとBはどちらを向いて月を見ているか。それが謎を解く鍵。
南半球のAは「北を向いて」見ているのに対し、北半球のBは月を「南を向いて」見ている。AもBもともに眺めている月の凸の方向は「西」なのにそれが左右逆になるのは、AとBが向かってみている方角が逆だからなのである。
「月は東側が欠け、西に凸となった半月だった」
とすれば、北半球のBも南半球のAも同じ表現になるが、
「月は左側が欠け、右に凸となった半月だった」
と書くと北半球のBには正しいが、南半球のAにとっては間違っていることになる。そして、
「北半球と南半球では月の見え方が逆だ」
と言うことになる。さて、もう一度言おう、「あなたの眺めている月は、どっちに見えている?」
それが判ると、そんなことだったかと気がつくはずである。
記事訂正 (2005.08.29)
A&B氏の会話で、絵と説明の文面での月の向きが食い違っておりました(文で左右を反対に書いていた)。Kさんからのご指摘で気が付きました。訂正致しました。
●月が沈む頃の見え方 月が沖天高く望まれたときの話を書いたところで、次は月が地平線に沈む頃の話をしてみよう。解りやすくするため、まずは皆さん地球の外から地球と月を眺めていただきます(本当に眺めることが出来たらいいんだけど、ここは模式図で我慢)。
右の図をご覧いただきたい。これは上弦の月がちょうど月の入りをむかえる瞬間を、その地の地平線の真東遙か彼方の宇宙から眺めた状況を図化したものである。場所は、前の例と同じ南半球はオーストラリアのAさん、北半球は日本のBさんと考えよう。
月が2つ描いてあるがもちろん月は一つ。月はずっと遠方にあるため、地球上なら北半球でも南半球でも殆ど同じ姿で見えるので、ここではそれを現すために同じ形の月を2つ描いている。
後々の説明のために、それぞれの地点での地平線をやや太線で、地平線に垂直な線を細線で表している(桃色と黄色)。A,Bの間にある赤い線は赤道を表したつもりである。
地球の外側から見ると、A,Bの地点から見える月は同じ形である。だが考えて頂きたい、我々が地上から月を見る場合、月がどんな向きに見えるという場合、何を基準に考えているだろうか?
地上から、沈む月を眺めた様子を、再びA,B両氏に記述して頂こう。
オーストラリア在住・Aの記述 | 日本在住・Bの記述 |
---|---|
時刻は間もなく、深夜の0時。日付が変わろうとしている。 窓から西の空を見ると、公園の林の向こうに沈もうとしている上弦の月が見えた。 月は明るい凸の側を左下向きにして地平線に向かって落ち込もうとしている。 日本のBさんは、そろそろ布団の中で眠りにつく頃だろうか。 |
時刻は間もなく、深夜の0時。日付が変わろうとしている。 窓から西の空を見ると、ビルの向こうに沈もうとしている上弦の月が見えた。 月は明るい凸の側を右下向きにして地平線に向かって落ち込もうとしている。 オーストラリアのAさんは、そろそろベッドの中で眠りにつく頃だろうか。 |
昔々のその昔、まだご先祖様が猿とどっこいの頃から地球の表面で暮らすことになれた我々は、周囲のものの位置をまず「上下・左右」というふうに捉える。上下は垂直方向、左右は水平方向の位置関係である。
遠く宇宙空間から眺めれば同じに見えた月も、この「猿の頃から身に付いた習性」で自分の立つ地点から見た「上下・左右」を基準に考えると、違った向きに見えてしまう。それが上の図。
同じ月のはずなのに、向きが違って見える。A,Bで違っているのは実は月の向きではなく、月の向きを測る基準となる地平線の向きだったのだ。うーん、地球はやっぱり丸かったんだな。
解ってしまえばこの通り、なんのことはない理由なのだが、それと気が付かないと不思議な気がするのかも。
とかく、自分の生活する場所が標準で、何処へ行っても同じだと思っていると、こういったちょっとした事柄に気付きにくい。海外の方から、「どうして?」と聞かれて、初めてこういった疑問があることに気付いた次第でした。
なお、今回は日本、オーストラリアと言った中緯度の地点を例に挙げて説明しましたが、赤道付近や、高緯度地方でも考え方は同じ。上のような図を自分で書いてみれば、それぞれの地域でどんな風に月が見えるか考えることが出来ます。やってみるとおもしろいかもしれませんね。
- 余 談
- 神の視点
- 「宇宙空間から月を眺めたとしたら」という図を説明のために書きましたが、もう少し離れて見ると、月だけではなく、これと並んだもっと大きな地球が見えてきます。そして、地球と月は同じ形に欠けて見えるはず。月が三日月に見えるなら、そのとき隣の地球も三日月形(三日地球・・・?)、半月なら半地球(?)が見えるはず。
早く、こんな「神の視点」から眺めることの出来る時代が来ないでしょうかね? - 神の視点・2
- 神の視点と言うことでふと、「太陽から見た地球と月」を考えました。そしたら、太陽から見た地球も月もいつもまるまると太った満地球・満月であることに気付きました。満月も三日月や半月があればこそ有りがたい。毎日が「満月」じゃあ、飽きちゃいますね。
その点では、太陽は可哀想なのかもね。
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