暦と天文の雑学
http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0410.html
http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0410.html
六曜(大安・仏滅・・・)のはなし
いきなりですが、次の表は六曜の吉凶についてです。
六曜の吉凶については、土御門系、高島系の有名どころでも若干の違いがありますので、これと昔の暦注解説として「安政雑書万暦大成」の3つの解説を併記してみました。
六曜の計算は「新暦と旧暦」や「暦注計算」、「日付の検索」などのページで行えますので、六曜で日の吉凶を占いたいという方はそれらのページで六曜を計算して、意味については下の表をお読みください。
(その日が好い日か悪い日かの判断はご自分で。私は占い師ではありませんので、日の吉凶判断の問い合わせはご勘弁ください)
さて、ここから先は「占い命」の方はご遠慮ください(夢が壊れるから)。
六曜は、「六曜星」「孔明六曜星」「六輝」などとも言われます。2番目の「孔明・・」は三国志で有名な蜀漢の丞相諸葛亮の字の孔明です。諸葛亮が考案したという言い伝えによりますが、これは六曜の権威付けに使われたもので「眉唾」の類でしょう。
六輝の方は、明治以後、週日の区別に使われるようになった「七曜」(月火・・土日という曜日のこと)が有名になったので、六曜では紛らわしいからと名前を変えたという感じで、比較的最近の使い方です。
六曜のルーツは中国宋時代末の六壬時課(りくじんじか)と言う時刻の吉凶占いがもとといわれています。日の占いに用いられるようになったのは時代が下った清の時代で、このころの名称は小六壬(しょうりくじん)。現在の六曜のルーツではありますが、言葉も順番も時代によってだいぶ変化してきています。日本に入って、「日の占い」として使われるようになってからの変遷をざっとまとめたものが次の表です。
上の表で この色 は現在と順番・名称とも同じものを示しています。 この色 ならば、現在と異なることを示します。
最初にあげた「和漢三才図絵」は、約300年前の本ですから、そのころまで遡ると、現在と同じものが一つもありません。言葉としても大安と赤口の2つしか生き残っていません。現在の「大安」も昔々に遡ると「小吉」。こんなに変わってしまうものに基づいた「日の吉凶」を信じる価値ってどれくらいあるのでしょうね・・・。
暦注としてみた「六曜の権威」
現在では、旧暦とか暦注と言えば六曜。結婚式は大安に、友引の日は火葬場が休む・・、まさに暦注の王者という感のある六曜ですが、昔からそうだったのでしょうか?
答えは「いいえ」です。
旧暦が廃されるまで、暦と言えば「暦注の嵐」で、ほとんどの日に暦注が書き込まれていました。ところがそんな「暦注全盛時代」でも、中国・日本のいずれの正式な暦にも「六曜」が記された事は「ただの一度もない」のです。
現在の「六曜」の地位は、明治の改暦の際に「暦注みたいな迷信は、今後暦に書いちゃだめだぞ」という御上からのお達しが有ったためにあると言ってよいでしょう。それまで我が世の春を謳歌していた由緒正しい暦注一族がこのお達しで絶滅してしまいました。
【参考】下の画像は暦注一族絶滅前の暦の例(幻に終わった明治六年の暦)
とはいえ、いくら偉い人に「だめ!」といわれても昔からなじんだ暦注が一つも書いてない暦はあまりに味気ない。かと言ってあんまり露骨に暦注を書いては法律違反でお役人の怒りを買うことになりますので、「こんなの、暦注じゃないですよね?」てな感じで暦に書かれるようになったのが「六曜」だったのです。
今でこそ暦注の王者のように見える六曜ですが、暦注としてみれば「どこの馬の骨」か分からないようなものなのです。
六曜は人気がなかった?・昔の話
今は、人気者の「六曜」も昔はどうも人気がなかったようです。なぜでしょう? すでに、六曜の名称・順番の変遷を表にして示しましたが、その表をもう一度よく見ると最初の行に「正月・七月」などの記述が有るのに気づきませんか(気づいてね)。
そう、それが種明かし。たとえば、現在の先勝は「正月・七月」と書かれた列に有りますが、これは正月と七月の一日は必ず「先勝」になると決まっていたことを示しています(ただし、旧暦での月日の話)。
六曜の並ぶ順番は変化しません(現在の例で言えば、仏滅の次は大安)ので、正月の一日が先勝であれば、あとは
二日→友引 三日→先負 四日→仏滅
五日→大安 六日→赤口 七日→先勝 ・・・
のように自動的に決まります。
この関係をもう少し一般化して書けば旧暦の月と日から、簡単に六曜を導くことが出来ます。
(旧暦月 + 旧暦日)÷ 6 = A 余り N
ここで知りたいのは余りのNです。
このNと、六曜は次のような関係になります。
旧暦の月日さえわかれば六曜は簡単にわかります。
旧暦が使われていた時代では六曜は現在の「曜日」のように分かり切ったものでした。この分かり切った六曜の並びで、大安が目出度いなどと言うことは現代でいえば、「日曜日は大吉の日、結婚式に良」と言っているようなものなのです。(もう少し詳しく知りたい方は、旧暦と六曜を作りましょうもお読みください)。
こんな誰でも分かるようなものでは、占いとしてはありがた味がありませんね。現在カレンダーに書かれている六曜がありがたいのは、「旧暦の日付が直ぐに分からない」ことで、「六曜は何か特殊な組み合わせで出来ているんじゃないかな?」と誤解されてしまうからだと思います。
というわけで、世間一般に考えられるほど「ありがたい」ものではなさそうです。ですので「今日は仏滅だからデートはやめよう」なんて事は考えなくてよいと思います。まあ、信じるのは勝手ですが、「こよみのページ」に日の吉凶を問い合わせるのはご勘弁(私は、占いが趣味では有りません)。
「六曜の読み」・おまけです
六曜の読み方はいろいあり、どれが正しいというのはないようです。一応最初に書いた読みが一般的な読みだと思ってください。
「余 談」
初出 2001/01/14
修正 2023/01/22 解説文の大幅修正、説明画像の追加と修正
いきなりですが、次の表は六曜の吉凶についてです。
六曜の吉凶については、土御門系、高島系の有名どころでも若干の違いがありますので、これと昔の暦注解説として「安政雑書万暦大成」の3つの解説を併記してみました。
六曜の計算は「新暦と旧暦」や「暦注計算」、「日付の検索」などのページで行えますので、六曜で日の吉凶を占いたいという方はそれらのページで六曜を計算して、意味については下の表をお読みください。
(その日が好い日か悪い日かの判断はご自分で。私は占い師ではありませんので、日の吉凶判断の問い合わせはご勘弁ください)
六曜 | 系統 | 解釈・解説 |
---|---|---|
先勝 (せんかち) |
土御門 | 午前吉、午後凶、急いで吉 |
高島 | 万事急ぐこと吉、午後凶 | |
安政雑書 | 万事、朝より昼までにすれば障りなし、昼過ぎより日暮れまで悪るし | |
友引 (ともびき) |
土御門 | 午後は利益なく、夕方吉 |
高島 | 夕刻大吉、葬式を忌む | |
安政雑書 | 友引とて半ばよし、この日、葬礼出すべからず、大いに忌むべし | |
先負 (せんまけ) |
土御門 | 平静を守って吉、午後吉 |
高島 | 静かなことに吉、午後吉 | |
安政雑書 | 万事朝より昼迄悪し、昼過ぎより日暮れまで障りなし | |
仏滅 (ぶつめつ) (物滅) |
土御門 | 吉凶なし |
高島 | 凶日、何事も忌む | |
安政雑書 | 大悪日なり、よろずもちゆべからず | |
大安 (だいあん) |
土御門 | 吉日にて万事進んでよし |
高島 | 吉日、旅行移転その他吉 | |
安政雑書 | 大吉日なり、何ごともよろずよし | |
赤口 (じゃくこう) |
土御門 | 正午は吉、前後は大凶なり |
高島 | 凶日、ただし正午だけ吉 | |
安政雑書 | この日も悪日也、よろず忌むべし、ただし午のときいっときはよし |
さて、ここから先は「占い命」の方はご遠慮ください(夢が壊れるから)。
六曜は、「六曜星」「孔明六曜星」「六輝」などとも言われます。2番目の「孔明・・」は三国志で有名な蜀漢の丞相諸葛亮の字の孔明です。諸葛亮が考案したという言い伝えによりますが、これは六曜の権威付けに使われたもので「眉唾」の類でしょう。
六輝の方は、明治以後、週日の区別に使われるようになった「七曜」(月火・・土日という曜日のこと)が有名になったので、六曜では紛らわしいからと名前を変えたという感じで、比較的最近の使い方です。
六曜のルーツは中国宋時代末の六壬時課(りくじんじか)と言う時刻の吉凶占いがもとといわれています。日の占いに用いられるようになったのは時代が下った清の時代で、このころの名称は小六壬(しょうりくじん)。現在の六曜のルーツではありますが、言葉も順番も時代によってだいぶ変化してきています。日本に入って、「日の占い」として使われるようになってからの変遷をざっとまとめたものが次の表です。
出典書名等 | 旧暦の暦月 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
正月 七月 | 二月 八月 | 三月 九月 | 四月 十月 | 五月 十一月 | 六月 十二月 | |
和漢 三才図絵 | 大安 | 留連 | 速喜 | 赤口 | 小吉 | 空亡 |
天保大雑書 万歳暦 | 先勝 | 友引 | 先負 | 物滅 | 泰安 | 赤口 |
安政雑書 万暦大成 | 先勝 | 友引 | 先負 | 物滅 | 大安 | 赤口 |
現 在 | 先勝 | 友引 | 先負 | 仏滅 | 大安 | 赤口 |
上の表で この色 は現在と順番・名称とも同じものを示しています。 この色 ならば、現在と異なることを示します。
最初にあげた「和漢三才図絵」は、約300年前の本ですから、そのころまで遡ると、現在と同じものが一つもありません。言葉としても大安と赤口の2つしか生き残っていません。現在の「大安」も昔々に遡ると「小吉」。こんなに変わってしまうものに基づいた「日の吉凶」を信じる価値ってどれくらいあるのでしょうね・・・。
暦注としてみた「六曜の権威」
現在では、旧暦とか暦注と言えば六曜。結婚式は大安に、友引の日は火葬場が休む・・、まさに暦注の王者という感のある六曜ですが、昔からそうだったのでしょうか?
答えは「いいえ」です。
旧暦が廃されるまで、暦と言えば「暦注の嵐」で、ほとんどの日に暦注が書き込まれていました。ところがそんな「暦注全盛時代」でも、中国・日本のいずれの正式な暦にも「六曜」が記された事は「ただの一度もない」のです。
現在の「六曜」の地位は、明治の改暦の際に「暦注みたいな迷信は、今後暦に書いちゃだめだぞ」という御上からのお達しが有ったためにあると言ってよいでしょう。それまで我が世の春を謳歌していた由緒正しい暦注一族がこのお達しで絶滅してしまいました。
【参考】下の画像は暦注一族絶滅前の暦の例(幻に終わった明治六年の暦)
とはいえ、いくら偉い人に「だめ!」といわれても昔からなじんだ暦注が一つも書いてない暦はあまりに味気ない。かと言ってあんまり露骨に暦注を書いては法律違反でお役人の怒りを買うことになりますので、「こんなの、暦注じゃないですよね?」てな感じで暦に書かれるようになったのが「六曜」だったのです。
今でこそ暦注の王者のように見える六曜ですが、暦注としてみれば「どこの馬の骨」か分からないようなものなのです。
六曜は人気がなかった?・昔の話
今は、人気者の「六曜」も昔はどうも人気がなかったようです。なぜでしょう? すでに、六曜の名称・順番の変遷を表にして示しましたが、その表をもう一度よく見ると最初の行に「正月・七月」などの記述が有るのに気づきませんか(気づいてね)。
そう、それが種明かし。たとえば、現在の先勝は「正月・七月」と書かれた列に有りますが、これは正月と七月の一日は必ず「先勝」になると決まっていたことを示しています(ただし、旧暦での月日の話)。
六曜の並ぶ順番は変化しません(現在の例で言えば、仏滅の次は大安)ので、正月の一日が先勝であれば、あとは
二日→友引 三日→先負 四日→仏滅
五日→大安 六日→赤口 七日→先勝 ・・・
のように自動的に決まります。
この関係をもう少し一般化して書けば旧暦の月と日から、簡単に六曜を導くことが出来ます。
(旧暦月 + 旧暦日)÷ 6 = A 余り N
ここで知りたいのは余りのNです。
このNと、六曜は次のような関係になります。
N | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 |
---|---|---|---|---|---|---|
六曜 | 大安 | 赤口 | 先勝 | 友引 | 先負 | 仏滅 |
旧暦の月日さえわかれば六曜は簡単にわかります。
旧暦が使われていた時代では六曜は現在の「曜日」のように分かり切ったものでした。この分かり切った六曜の並びで、大安が目出度いなどと言うことは現代でいえば、「日曜日は大吉の日、結婚式に良」と言っているようなものなのです。(もう少し詳しく知りたい方は、旧暦と六曜を作りましょうもお読みください)。
こんな誰でも分かるようなものでは、占いとしてはありがた味がありませんね。現在カレンダーに書かれている六曜がありがたいのは、「旧暦の日付が直ぐに分からない」ことで、「六曜は何か特殊な組み合わせで出来ているんじゃないかな?」と誤解されてしまうからだと思います。
というわけで、世間一般に考えられるほど「ありがたい」ものではなさそうです。ですので「今日は仏滅だからデートはやめよう」なんて事は考えなくてよいと思います。まあ、信じるのは勝手ですが、「こよみのページ」に日の吉凶を問い合わせるのはご勘弁(私は、占いが趣味では有りません)。
「六曜の読み」・おまけです
六曜の読み方はいろいあり、どれが正しいというのはないようです。一応最初に書いた読みが一般的な読みだと思ってください。
先勝 | せんかち せんしょう さきかち |
---|---|
友引 | ともびき ゆういん |
先負 | せんまけ せんぷ せんぶ さきまけ |
仏滅 | ぶつめつ |
大安 | たいあん だいあん |
赤口 | しゃっく じゃっく じゃっこう しゃっこう せきぐち |
「余 談」
- 暦の出版部数
- 幕府の許可を得た正式な暦の出版部数は、幕末頃で毎年約450万部も有ったそうです。当時の印刷技術を考えればすごい量です。日本の暦の普及率ってすごかったんですね(暦を読む美人の浮世絵なんかがあったくらいだから)。
- こよみのページも、江戸時代の暦の出版部数くらいの人に見てもらえるようになるといいなー。
- こよみのページも、江戸時代の暦の出版部数くらいの人に見てもらえるようになるといいなー。
初出 2001/01/14
修正 2023/01/22 解説文の大幅修正、説明画像の追加と修正
■この記事を評価してください(最高5 ~ 最低1)
※2010.6.1~の記事の評価 , 閲覧数
http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0410.html
暦と天文の雑学
暦と天文の雑学