暦と天文の雑学
http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0604.html
http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0604.html
梅雨(つゆ)
カレンダーのページが六月になるとそろそろ梅雨(つゆ)の季節。雨の季節ですね。
梅雨はしとしと雨が降くことから
「露けき時節」
であるから「つゆ」と呼ばれるようになった(大言海)とか。他に「つゆ」は「潰(つ)いゆ」で、ものが湿り腐る季節であるからとか、梅が熟するの意であるとも(日本語源大辞典)。
また梅の実が黄色く色づく時期の雨であるから「梅雨(つゆ・ばいう)」、ものに黴(かび)が着きやすい時期の雨であるから「黴雨(ばいう)」とも呼ばれます。
この梅雨の季節に入ることを「梅雨入り」とか「入梅」、梅雨の終わりを「梅雨明け」といいます。今回はこの梅雨と暦の関係について書いてみます。
◆現在の「梅雨入り」と「梅雨明け」事情
TVの天気予報で紹介される天気図には、日本列島を横切る梅雨前線がくっきり。この梅雨前線が自分の町を横切るようになると、
「梅雨入り」
そしてこの前線が北上、南下あるいは消滅などして「梅雨」の状態に戻らないだろうと判断されると
「梅雨明け」
が気象庁から発表されます。以前は「梅雨入り宣言」「梅雨明け宣言」と呼ばれて「×月○日をもって」と明確でしたが現在では
「○月△日頃、□地方が梅雨入りした模様」
とやや曖昧な表現となっています。
もともと「梅雨入り」「梅雨明け」を気象庁が発表するようになったのはマスコミの要請があったからで、気象学的な明確な定義は無いものだそうです。元々はっきりした定義も無いものですし、気象現象ですから
「ここから梅雨でこの前までは梅雨ではない」
と定規で線を引いたように区切れるものではないので、或る意味現在の歯切れの悪い表現のほうが妥当なのでしょう。
◆暦の上での「梅雨入り」と「梅雨明け」
暦の上でも梅雨入りと梅雨明けがあります。
梅雨のような毎年起こる気象現象の時期を知ることは農作物を作る上で重要です。的確に季節の変化をとらえることが出来れば、計画的に作業が行えるばかりか収穫量も増えることが期待できます。
現在なら、既に書いたとおり気象庁が親切にその年の梅雨の時期を予測し、梅雨入り・梅雨明け宣言を行ってくれますが、昔はそうはいきませんでしたから暦の上に書かれた日付が目安となっていたのです。
暦には梅雨入り、梅雨明けそれぞれの位置に「入梅」「出梅」と書かれます。ただ、入梅は暦の雑節として確たる地位を築いているのですが、出梅の方は影が薄く現在では取り上げられることがほとんど有りません(と言うことで、「出梅」と暦に書いて無くても恨まないでください)。
暦の上の入梅はどのように定められているのかというと現在は
太陽の視黄経が80度となる日 ・・・ 6月11日頃
とされています。
昔の暦の入梅の定義は、
芒種(五月節)以後の最初の壬(みずのえ)の日 ・・・ 6月6日~15日頃(新暦)
です。芒種が壬の日であったらその日を入梅にするのか、十日後の壬の日からかと言った論争は有りましたが、大勢は芒種の日が壬の日であればその日を入梅としました。
昔の暦の出梅の定義については、
小暑(六月節)以後の最初の壬(みずのえ)の日 ・・・ 7月7日~16日頃(新暦)
となっていました。現在のきちんとした出梅の定義は・・・あるのかな?(入梅の定義から推測すれば、太陽の視黄経が110度となる日か(7月12日頃となります))。
壬の日の壬は、五行説の「水の兄」を表す言葉ですから雨(水)の沢山降る時期である梅雨に縁の深い日として選ばれたのだと考えます。
◆気象庁vs暦 梅雨入り・梅雨明け時期比較
現在の梅雨入り・梅雨明け(気象庁の発表する日付)と暦の上での入梅・出梅について説明をしましてきました。
では、その両者を比べてみたらどうなるでしょう。両者を判りやすいようにまとめてみたのが次の図です(梅雨と暦の関係)。
図の青と赤の幅広の帯が昔の暦の上での入梅と出梅を表しています。その中にある細くてくっきりした青と赤の線が、現在の太陽黄経による入梅と出梅(出梅は、私の勝手な定義)の日を表しています。
横に伸ばしたみどりの線は、気象庁が発表した梅雨入りと梅雨明けの日を結んだ線。このみどりの線が梅雨の期間を表すことになります。データとしては1970-1999年の30年間の日付の平均を用いました(CD-ROM版理科年表2000年版より)。
こうしてみると暦の上の入梅と出梅は、沖縄・奄美地方を除けばまあいい線いっていると言って良いようですね。
◇小満芒種
沖縄では梅雨のことを小満芒種(スーマンボースー)とよび、小満の頃の篠つく雨の頃という意味で使うようです。
先に示した「梅雨と暦の関係」の図をもう一度見て頂ければ、暦の上での入梅と出梅とは大きくずれている沖縄・奄美地方の梅雨には、暦の上での入梅・出梅よりこの「小満芒種」の方が良く合うことが判ります。
◇蝦夷梅雨(えぞつゆ)
梅雨が無いとされる北海道にも本州の梅雨が明ける頃に2週間ほどぐずついた天気が続くことがあり、蝦夷梅雨と呼ばれます。
蝦夷梅雨は東北以南で梅雨をもたらす梅雨前線が北上・消滅する途上一時的に梅雨様の天気を北海道にもたらすものと考えられます。
ただし、期間は短く、天候がぐずつくとはいえ本州等での梅雨程のことはなく、梅雨とはされません。
初出 2006/06
カレンダーのページが六月になるとそろそろ梅雨(つゆ)の季節。雨の季節ですね。
梅雨はしとしと雨が降くことから
「露けき時節」
であるから「つゆ」と呼ばれるようになった(大言海)とか。他に「つゆ」は「潰(つ)いゆ」で、ものが湿り腐る季節であるからとか、梅が熟するの意であるとも(日本語源大辞典)。
また梅の実が黄色く色づく時期の雨であるから「梅雨(つゆ・ばいう)」、ものに黴(かび)が着きやすい時期の雨であるから「黴雨(ばいう)」とも呼ばれます。
この梅雨の季節に入ることを「梅雨入り」とか「入梅」、梅雨の終わりを「梅雨明け」といいます。今回はこの梅雨と暦の関係について書いてみます。
◆現在の「梅雨入り」と「梅雨明け」事情
TVの天気予報で紹介される天気図には、日本列島を横切る梅雨前線がくっきり。この梅雨前線が自分の町を横切るようになると、
「梅雨入り」
そしてこの前線が北上、南下あるいは消滅などして「梅雨」の状態に戻らないだろうと判断されると
「梅雨明け」
が気象庁から発表されます。以前は「梅雨入り宣言」「梅雨明け宣言」と呼ばれて「×月○日をもって」と明確でしたが現在では
「○月△日頃、□地方が梅雨入りした模様」
とやや曖昧な表現となっています。
もともと「梅雨入り」「梅雨明け」を気象庁が発表するようになったのはマスコミの要請があったからで、気象学的な明確な定義は無いものだそうです。元々はっきりした定義も無いものですし、気象現象ですから
「ここから梅雨でこの前までは梅雨ではない」
と定規で線を引いたように区切れるものではないので、或る意味現在の歯切れの悪い表現のほうが妥当なのでしょう。
◆暦の上での「梅雨入り」と「梅雨明け」
暦の上でも梅雨入りと梅雨明けがあります。
梅雨のような毎年起こる気象現象の時期を知ることは農作物を作る上で重要です。的確に季節の変化をとらえることが出来れば、計画的に作業が行えるばかりか収穫量も増えることが期待できます。
現在なら、既に書いたとおり気象庁が親切にその年の梅雨の時期を予測し、梅雨入り・梅雨明け宣言を行ってくれますが、昔はそうはいきませんでしたから暦の上に書かれた日付が目安となっていたのです。
暦には梅雨入り、梅雨明けそれぞれの位置に「入梅」「出梅」と書かれます。ただ、入梅は暦の雑節として確たる地位を築いているのですが、出梅の方は影が薄く現在では取り上げられることがほとんど有りません(と言うことで、「出梅」と暦に書いて無くても恨まないでください)。
暦の上の入梅はどのように定められているのかというと現在は
太陽の視黄経が80度となる日 ・・・ 6月11日頃
とされています。
昔の暦の入梅の定義は、
芒種(五月節)以後の最初の壬(みずのえ)の日 ・・・ 6月6日~15日頃(新暦)
です。芒種が壬の日であったらその日を入梅にするのか、十日後の壬の日からかと言った論争は有りましたが、大勢は芒種の日が壬の日であればその日を入梅としました。
昔の暦の出梅の定義については、
小暑(六月節)以後の最初の壬(みずのえ)の日 ・・・ 7月7日~16日頃(新暦)
となっていました。現在のきちんとした出梅の定義は・・・あるのかな?(入梅の定義から推測すれば、太陽の視黄経が110度となる日か(7月12日頃となります))。
壬の日の壬は、五行説の「水の兄」を表す言葉ですから雨(水)の沢山降る時期である梅雨に縁の深い日として選ばれたのだと考えます。
◆気象庁vs暦 梅雨入り・梅雨明け時期比較
現在の梅雨入り・梅雨明け(気象庁の発表する日付)と暦の上での入梅・出梅について説明をしましてきました。
では、その両者を比べてみたらどうなるでしょう。両者を判りやすいようにまとめてみたのが次の図です(梅雨と暦の関係)。
図の青と赤の幅広の帯が昔の暦の上での入梅と出梅を表しています。その中にある細くてくっきりした青と赤の線が、現在の太陽黄経による入梅と出梅(出梅は、私の勝手な定義)の日を表しています。
横に伸ばしたみどりの線は、気象庁が発表した梅雨入りと梅雨明けの日を結んだ線。このみどりの線が梅雨の期間を表すことになります。データとしては1970-1999年の30年間の日付の平均を用いました(CD-ROM版理科年表2000年版より)。
こうしてみると暦の上の入梅と出梅は、沖縄・奄美地方を除けばまあいい線いっていると言って良いようですね。
◇小満芒種
沖縄では梅雨のことを小満芒種(スーマンボースー)とよび、小満の頃の篠つく雨の頃という意味で使うようです。
先に示した「梅雨と暦の関係」の図をもう一度見て頂ければ、暦の上での入梅と出梅とは大きくずれている沖縄・奄美地方の梅雨には、暦の上での入梅・出梅よりこの「小満芒種」の方が良く合うことが判ります。
◇蝦夷梅雨(えぞつゆ)
梅雨が無いとされる北海道にも本州の梅雨が明ける頃に2週間ほどぐずついた天気が続くことがあり、蝦夷梅雨と呼ばれます。
蝦夷梅雨は東北以南で梅雨をもたらす梅雨前線が北上・消滅する途上一時的に梅雨様の天気を北海道にもたらすものと考えられます。
ただし、期間は短く、天候がぐずつくとはいえ本州等での梅雨程のことはなく、梅雨とはされません。
◇墜栗花(ついり・つゆり) 栗の花が散る時期が梅雨入りの頃であることから、墜栗花と書いて「ついり」あるいは「つゆり」(ともに梅雨入りの意味)と読むことがあります。また、栗花落と書いて「つゆ、つゆり、ついり」と読む姓があるそうです。 ※カモさんから、神戸市北区山田町原野に「栗花落(つゆ)の井」という井戸があると教えて頂きました。 ⇒参照 http://www14.plala.or.jp/niu_yamada/tsuyu.htm 参考まで(2007/06/15)。 右の写真はつい先日、近所で満開(?)の栗の花を撮したもの。この花を撮した翌日、私の住む地方が梅雨に入ったと夕方のニュースがつたえていました。 |
||
◇梅雨葵(つゆあおい) 梅雨葵は立葵(タチアオイ)の別名。 立葵は、入梅の頃に茎の一番下の蕾から花が咲始め、日を追うように茎の下から上へと花が開いて行き、茎の天辺の蕾が花開く頃に梅雨明けとなることからこの名で呼ばれることがあります。 写真の立葵は確か、4年ほど前の6月の初めに千葉郊外の畑の中で撮したもの。つぼみが沢山残っているところを見ると、まだ梅雨の初めの頃の梅雨葵といったところです。 | ||
◇梅雨花(つゆばな) 卯の花(うのはな)を梅雨花と呼ぶ地方が有るそうです。卯の花は卯木(うつぎ)の別名。 卯の花と言えばその名の示すとおり陰暦四月卯月の花かと思いましたが、それより一月ほど後の梅雨の時期にも山に入ると沢山の卯の花がありました。 右の写真は我が家の裏山に咲いていたマルバウツギの花。 ちなみに、雨の名前に「卯の花腐し(うのはなくたし)」というものが有りますが、こちらは梅雨の時期より少し前、晩春に降る雨の名とされています。 |
(2006.06.14 by かわうそ暦)
- 余 談
- 入梅、荷奪い・・・
- 江戸時代の南部藩には、文字の読めない人のために内容を全て絵で表した一枚刷りの暦がありました(俗に、盲暦(めくらごよみ)とか座頭暦(ざとうごよみ)などと呼ばれました)。この暦での入梅はどんな絵かというと、盗賊が荷物を奪って逃げていく絵。
盗賊が荷を奪うから、
荷奪い(にうばい) → 入梅(にゅうばい)
なかなか楽しい語呂合わせです。
- 人任せはいけない
- 「こんなに晴れているのに、まだ梅雨明けしないのかな」
晴天が続いているのに気象庁からの梅雨明け宣言がなかなか出ないようなときにこんなことを言う人がいます。誰か(気象庁)に「梅雨明けしました」と言ってほしいのでしょう。誰かが梅雨明けといったからって、それで梅雨が明けるわけじゃないのに。
享保6年(1721年)に書かれた百姓嚢に暦に頼りすぎて農作業の時期を誤らないようにと注意が書かれています。人任せにせず自分で確かめ自分で判断しろということですね。
自分で判断するより何かの権威に頼り切る方が楽だという人間の心理は今も昔も変わらないんですね。そしてそれを戒める言葉も。
- 梅雨の印象
- 今と違ってTVゲームなど無く、遊びといえば家の外での遊びばかりだった子供時代の私には、雨続きで外に出られないこの季節は憂鬱でした。
今は、雨の続くこの季節もそんなに嫌いじゃ有りません。
皆さんは如何でしょうか?
初出 2006/06
■この記事を評価してください(最高5 ~ 最低1)
※2010.6.1~の記事の評価 , 閲覧数
http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0604.html
暦と天文の雑学
暦と天文の雑学