暦と天文の雑学
http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0740.html
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お中元
「ねえ、今年の御中元どうする?」
そろそろそんな話しが出てくる季節です。
デパートでは「中元商戦」という言葉があるほどで、贈答合戦と言うことでは夏の御中元・冬の御歳暮が2大巨頭ですが、この御中元て何だろうと思ったことはありませんか?
さて、ここから本題です。
中元と言うことですから何となく前後があるように思えませんか、たとえば
正解は3。上元・中元・下元があるのです。
暦に関する話しにはたびたび中国の古い思想が登場します。この上元・中元・下元もそうした中国の古い思想の一つである「三元論」が根底にあります。三元論は陰陽説・五行説の陰に隠れてしまってあまりパッとしないものですが、これが上中下元のもとになっています。
上元・中元・下元はこれをまとめて三元といい、中国伝来の暦法ではこの日は年の折り目の日とされ、道教ではこの日は祭日となっていました。その日付は
中国では三元の日には夜祭りが行われ、終夜灯籠に火を灯して神を祀ります。中元の日は贖罪の日で終日庭で火を焚き、罪を懺悔しました。
中国の三元の行事は道教の神、三官大帝を祀るものです。三官大帝とは竜王の孫の三人で、長男は一月十五日、次男は七月十五日、三男は十月十五日の生まれです。つまりそれぞれの生まれた日が三元の日になったということです。少々、後付け的な話ですけれど。
三官大帝の二番目の神(次男)の仕事は人の罪を許すことであったため、この神の誕生日には、その廟を訪れて罪の許しを願ったことが中元の始まりとされています。
現在の中元(「お中元」?)と言えば品物の贈答が盛んですが、これは中元の日に贖罪の意味で近所に品物を贈ったことに起因するものです。もちろん現在ほど盛んになったのは「百貨店販売戦略の勝利」と言えると思いますけれど。
それと中元の日付が七月十五日と言うことで仏教の盂蘭盆とも結び付いた面があります。たとえば「生き盆」という行事が行われる地方があります。生き盆は両親が存命中に、その恩に感謝して両親や目上の人に進物を贈る風習です。これも現在の中元の贈答戦への道筋にあったように思えます。
今年も中元の頃となりましたが、こよみのページを訪れてくださった方は元の意味をかみしめて「贖罪と感謝」の念を込めて「お中元」を贈りましょうね。
ちなみに、「お中元」は七月十五日までの言葉です。これを過ぎると「暑中見舞い」。贈り物の熨斗の記述には気をつけましょうね。中元の日付は関東では新暦の日付を使うので、7月半ばまでがお中元。関西などでは月遅れで行事を行いますので8月半ばまでとなります。おっと、月遅れだとお中元の日付は立秋のあとになりますから、これだと暑中見舞いではなくて残暑見舞いになってしまいますね。気をつけないと。
初出 2003/07/10
修正 2014/07/02 (写真追加・文章修正)
修正 2020/07/15 (文章修正)
「ねえ、今年の御中元どうする?」
そろそろそんな話しが出てくる季節です。
デパートでは「中元商戦」という言葉があるほどで、贈答合戦と言うことでは夏の御中元・冬の御歳暮が2大巨頭ですが、この御中元て何だろうと思ったことはありませんか?
さて、ここから本題です。
中元と言うことですから何となく前後があるように思えませんか、たとえば
- 「大元・中元・小元」
- 「初元・中元・終元」
- 「上元・中元・下元」
正解は3。上元・中元・下元があるのです。
暦に関する話しにはたびたび中国の古い思想が登場します。この上元・中元・下元もそうした中国の古い思想の一つである「三元論」が根底にあります。三元論は陰陽説・五行説の陰に隠れてしまってあまりパッとしないものですが、これが上中下元のもとになっています。
上元・中元・下元はこれをまとめて三元といい、中国伝来の暦法ではこの日は年の折り目の日とされ、道教ではこの日は祭日となっていました。その日付は
- 上元・・・正月十五日
- 中元・・・七月十五日
- 下元・・・十月十五日
三元は、昔は「元旦」のことだった
実は三元が現在のように3つの日付に分かれたのは後世で、初期の三元とは元旦のことを指しました。「三元は、三つのものの元(はじめ)」と言う意味ですがこの三つとは「年・月・日」のことで、その三つが始まる元旦が三元だったわけです。
これが現在の三つの日付に分かれたのがいつ頃で、どのような理由からかについては残念ながら不勉強でわかりませんでした。この辺の事情については、もっと勉強が進んでわかるようになりましたら、また追加で書かせて頂きたいと考えております。悪しからず。
実は三元が現在のように3つの日付に分かれたのは後世で、初期の三元とは元旦のことを指しました。「三元は、三つのものの元(はじめ)」と言う意味ですがこの三つとは「年・月・日」のことで、その三つが始まる元旦が三元だったわけです。
これが現在の三つの日付に分かれたのがいつ頃で、どのような理由からかについては残念ながら不勉強でわかりませんでした。この辺の事情については、もっと勉強が進んでわかるようになりましたら、また追加で書かせて頂きたいと考えております。悪しからず。
中国では三元の日には夜祭りが行われ、終夜灯籠に火を灯して神を祀ります。中元の日は贖罪の日で終日庭で火を焚き、罪を懺悔しました。
中国の三元の行事は道教の神、三官大帝を祀るものです。三官大帝とは竜王の孫の三人で、長男は一月十五日、次男は七月十五日、三男は十月十五日の生まれです。つまりそれぞれの生まれた日が三元の日になったということです。少々、後付け的な話ですけれど。
三官大帝の二番目の神(次男)の仕事は人の罪を許すことであったため、この神の誕生日には、その廟を訪れて罪の許しを願ったことが中元の始まりとされています。
現在の中元(「お中元」?)と言えば品物の贈答が盛んですが、これは中元の日に贖罪の意味で近所に品物を贈ったことに起因するものです。もちろん現在ほど盛んになったのは「百貨店販売戦略の勝利」と言えると思いますけれど。
それと中元の日付が七月十五日と言うことで仏教の盂蘭盆とも結び付いた面があります。たとえば「生き盆」という行事が行われる地方があります。生き盆は両親が存命中に、その恩に感謝して両親や目上の人に進物を贈る風習です。これも現在の中元の贈答戦への道筋にあったように思えます。
今年も中元の頃となりましたが、こよみのページを訪れてくださった方は元の意味をかみしめて「贖罪と感謝」の念を込めて「お中元」を贈りましょうね。
ちなみに、「お中元」は七月十五日までの言葉です。これを過ぎると「暑中見舞い」。贈り物の熨斗の記述には気をつけましょうね。中元の日付は関東では新暦の日付を使うので、7月半ばまでがお中元。関西などでは月遅れで行事を行いますので8月半ばまでとなります。おっと、月遅れだとお中元の日付は立秋のあとになりますから、これだと暑中見舞いではなくて残暑見舞いになってしまいますね。気をつけないと。
- 余 談
- 何処へ? 上元と下元
-
本論の中に登場する三官大帝のお名前とお仕事は、こんな感じです。
・天官賜福大帝(上元生まれ)のお仕事
諸天の帝王、高位の神仙、すべての星の神々を統括。
人間に様々な福を賜う。
・地官赦罪大帝(中元生まれ)のお仕事
土皇、四維八極の神々を統括。
人間の様々な罪を赦す。
・水官解厄大帝(下元生まれ)のお仕事
すべての水の神を統括。
人間の様々な厄災を解く。
どなたも、仲良くしておいて損は無さそうな神様ばかりですが、本論で採り上げた中元の神様以外のお二方は影が薄い(行事的にはという意味)気がしますね。。上元と下元は何処へ行ってしまったのでしょう?
- 大三元
- マージャンをご存じの方にはおなじみの「白・発・中」がそろって出来る役満も三元論から出たもの。だから「大三元」なんですね。他に「天地人」・「松竹梅」なども三元論の影響を受けた言葉。そういえば「天地人+和」とすると、これもマージャンの役満ですね。マージャンて実はありがたいゲームなのかも?
- 昔の年始
- 昔は年始が正月の満月の日、つまり正月十五日だったと言われています。そう考えれば三元(元旦)の名残が十五日にあるのもわかります。確かに新月は見えないのでわかりにくいですから、見てわかる満月を暦月の起点と考えるのは観測手法が未熟だった古代にあっては合理的な考えであったのでしょう。
初出 2003/07/10
修正 2014/07/02 (写真追加・文章修正)
修正 2020/07/15 (文章修正)
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