暦と天文の雑学
http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0744.html
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酉の市
十一月の酉の日といえば「酉の市」。商売繁盛・開運招福の祭り、「酉の市」が全国の鷲神社や大鳥神社(いずれも「おおとりじんじゃ」)で開かれます。酉の日は12日ごとにやってきますから、酉の日は十一月中に2回または3回あり、それぞれの酉の日を
「一の酉」「二の酉」「三の酉」
のように呼びます。近年の十一月の酉の日の日付は右の表のとおりです。
ちなみにこの「酉の市」は今は「とりのいち」と呼ばれますが、昔は「とりのまち」と呼んでいたようです。「とりのまち」の「まち」は祭りの意味です。
◇武運長久
さてこの酉の市のたつ鷲神社や大鳥神社は、元はといえば武神である日本武尊(やまとたけるのみこと)にゆかりのある神社ということで、武運長久を祈る武士たちの尊崇を集めた神社であったとか。
酉の市は現在では日本全国で見られる行事となっていますが、元は関東独特の祭りであったといわれます。武運長久を祈る神社での祭りということを考えると、その発祥の地が武士の社会の中心地であった関東というのもうなずけます。
なお、酉の市が十一月の酉の日に行われる理由は、日本武尊の命日が十一月の酉の日といわれているからだそうです。
◇秋の実りを祝う農民の祭り
さて、「武運長久を祈る」神社であった鷲神社でしたが、武士の社会も安定し、武士が戦闘員として活躍した戦国の時代が遠退いた江戸時代も半ばには、すっかり「武運長久を祈る」姿も見られなくなってしまいました。そうした時代の影響で、酉の市の性格も大きく様変わりし、農民たちの祭りになっていきました。
農民たちの祭りとなった理由は、酉の市の舞台となった神社が田舎にあったからでしょう。江戸周辺で酉の市で有名だったのは花又村(足立区花畑町)の大鷲神社、千住の勝専寺(しょうせんじ)、浅草の長國寺(じょうこくじ)。それぞれ
本の酉、中の酉、新の酉
と呼ばれていました。この本~新の酉はいずれも江戸時代には辺鄙な場所にありました。今の風景からは想像が難しいですが浅草などは
「浅草田圃(あさくさ たんぼ)」
と呼ばれていました。
江戸時代の後期に刊行された江戸の年中行事を解説した東都歳時記という書物に「浅草田圃の酉の市」の絵があるのですが、その絵を見ると正に周りは一面の田圃です。
秋の収穫も無事に終わり、年越しの準備もぼちぼち始まる頃、そんな田圃に囲まれた農村に神社や寺があって、祭礼が行われるとしたら、周囲の農民が集まって、市が立つのは時間の問題。そして、その昔は武運長久を祈った酉の市という祭礼が近郷近在の農民の祭りへと変わっていきました。
農民の祭りにたつ市ですから、そこで売られるものは農具類であったり、日用雑器だったりします。現在酉の市で人気の商品である「熊手」もこうした商品のひとつとして売り始められたものです。
◇商売繁盛の祭りへ
さて、武運長久を祈る祭礼から農民の祭りとなった酉の市ですが、次第にこの祭りが有名になって、江戸の町人たちも見物に集まるようになってきました。特に浅草の長國寺の酉の市は、吉原の裏門と接していて、祭礼の日には普段は閉ざされている吉原の裏門も開かれて通行が自由にできたことから人気となりました。
こうなってみるとこの市に訪れる人の多くが地元の人から、今でいうところの「観光客」のような人たちへと変化しました。観光客の心理は昔も今もあまり違わないようで、
「せっかく出かけてきたのだから
何か記念になるものを買って帰りたい」
ものなのでしょう。ここで人気が出たのが、熊手。
酉の市は、「福を取り(酉)込む」という語呂合わせでありがたがられたのですが、熊手を使えば福を取り込むどころか「福をかき集められる」ということで、縁起のよい土産物となりました。
今、酉の市の熊手といえば、お多福や、七福神、宝船、打ち出の小槌、鯛や福笹など様々な飾りが付いています。酉の市が農民の祭りであった頃は本当に実用的な熊手に、縁起物の稲穂を結びつけた程度のシンプルなものだったのでしょうが、次第に実用より装飾品としての価値に重点が移って、現在のような姿になったと想像されます。
こうして熊手を買い求めた人たちは、江戸の町に帰ればその多くが商売に携わる人々であったでしょうから、熊手でかき集める福とはすなわち、
商売繁盛
となって、商売繁盛を願う現在の酉の市となりました。
武士の武運長久の祭りに始まり、農民の収穫を祝う祭となり、商人の商売繁盛を祈る祭りへと時代とともに姿と性質を変えてきた酉の市、さてこれからはどんな祭りに変貌して行くのでしょうか。
自分の生きているうちに、今とは違った酉の市の姿が見られるのか?なんだかちょっと楽しみですね。
初出 2023/11/01
十一月の酉の日といえば「酉の市」。商売繁盛・開運招福の祭り、「酉の市」が全国の鷲神社や大鳥神社(いずれも「おおとりじんじゃ」)で開かれます。酉の日は12日ごとにやってきますから、酉の日は十一月中に2回または3回あり、それぞれの酉の日を
西暦年 | 日付 |
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のように呼びます。近年の十一月の酉の日の日付は右の表のとおりです。
ちなみにこの「酉の市」は今は「とりのいち」と呼ばれますが、昔は「とりのまち」と呼んでいたようです。「とりのまち」の「まち」は祭りの意味です。
◇武運長久
酉の市は現在では日本全国で見られる行事となっていますが、元は関東独特の祭りであったといわれます。武運長久を祈る神社での祭りということを考えると、その発祥の地が武士の社会の中心地であった関東というのもうなずけます。
なお、酉の市が十一月の酉の日に行われる理由は、日本武尊の命日が十一月の酉の日といわれているからだそうです。
◇秋の実りを祝う農民の祭り
さて、「武運長久を祈る」神社であった鷲神社でしたが、武士の社会も安定し、武士が戦闘員として活躍した戦国の時代が遠退いた江戸時代も半ばには、すっかり「武運長久を祈る」姿も見られなくなってしまいました。そうした時代の影響で、酉の市の性格も大きく様変わりし、農民たちの祭りになっていきました。
本の酉、中の酉、新の酉
と呼ばれていました。この本~新の酉はいずれも江戸時代には辺鄙な場所にありました。今の風景からは想像が難しいですが浅草などは
「浅草田圃(あさくさ たんぼ)」
と呼ばれていました。
江戸時代の後期に刊行された江戸の年中行事を解説した東都歳時記という書物に「浅草田圃の酉の市」の絵があるのですが、その絵を見ると正に周りは一面の田圃です。
秋の収穫も無事に終わり、年越しの準備もぼちぼち始まる頃、そんな田圃に囲まれた農村に神社や寺があって、祭礼が行われるとしたら、周囲の農民が集まって、市が立つのは時間の問題。そして、その昔は武運長久を祈った酉の市という祭礼が近郷近在の農民の祭りへと変わっていきました。
農民の祭りにたつ市ですから、そこで売られるものは農具類であったり、日用雑器だったりします。現在酉の市で人気の商品である「熊手」もこうした商品のひとつとして売り始められたものです。
◇商売繁盛の祭りへ
さて、武運長久を祈る祭礼から農民の祭りとなった酉の市ですが、次第にこの祭りが有名になって、江戸の町人たちも見物に集まるようになってきました。特に浅草の長國寺の酉の市は、吉原の裏門と接していて、祭礼の日には普段は閉ざされている吉原の裏門も開かれて通行が自由にできたことから人気となりました。
こうなってみるとこの市に訪れる人の多くが地元の人から、今でいうところの「観光客」のような人たちへと変化しました。観光客の心理は昔も今もあまり違わないようで、
「せっかく出かけてきたのだから
何か記念になるものを買って帰りたい」
ものなのでしょう。ここで人気が出たのが、熊手。
今、酉の市の熊手といえば、お多福や、七福神、宝船、打ち出の小槌、鯛や福笹など様々な飾りが付いています。酉の市が農民の祭りであった頃は本当に実用的な熊手に、縁起物の稲穂を結びつけた程度のシンプルなものだったのでしょうが、次第に実用より装飾品としての価値に重点が移って、現在のような姿になったと想像されます。
こうして熊手を買い求めた人たちは、江戸の町に帰ればその多くが商売に携わる人々であったでしょうから、熊手でかき集める福とはすなわち、
商売繁盛
武士の武運長久の祭りに始まり、農民の収穫を祝う祭となり、商人の商売繁盛を祈る祭りへと時代とともに姿と性質を変えてきた酉の市、さてこれからはどんな祭りに変貌して行くのでしょうか。
自分の生きているうちに、今とは違った酉の市の姿が見られるのか?なんだかちょっと楽しみですね。
- 余 談
- 三の酉のある年は火事が多い?
- 昔から「三の酉のある年は火事が多い」と言われます。
十一月と言えば冬、暖房として火を使うことも多く、祭礼が続いて気がゆるむと火の始末がおろそかになるから、火事が多いとか。
また、普通は二の酉までなのに、三の酉まである年は異常。異常な年には何か悪いことが起こるという思いから出たものだとも言われます。酉の市について調べていると多くの本に「三の酉のある年は希」という記述がありますので、三の酉のある年は珍しい、異常な年と考えられているらしいことがうかがえます。
ただこれは冷静に考えるとおかしい。三の酉のある年はほぼ1/2の確率で出現するのです。1/2の確率で登場する年を異常とは言わないでしょう。思い込みは危険ですね。ま、迷信なんてそんなものなんでしょうけれど。
初出 2023/11/01
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