七十二候(22候)「蚕起きて桑を食む」・蚕と桑の話
七十二候(22候)「蚕起きて桑を食む」・蚕と桑の話
 今回採り上げたのは七十二候の二十二候(5/21~5/25頃)、
「蚕起きて桑を食む」にまつわる蚕と桑の話です。

七十二候とは 
 七十二候は二十四節気の各節気をさらに3つの候に細分したもので、一候の長さは5日程度。季節の移ろいを気象や動植物の成長・行動の様子を表す言葉に託して表したものです(※七十二候の日付け、詳しい解説は七十二候計算でご覧ください)。

 「蚕起きて桑を食む」は「かいこおきて くわをはむ」のように読むのが一般的です。

桑の葉と蚕
桑の葉を食べる蚕
 ここに登場する蚕(カイコ)は蛾の幼虫の一種で、古くから絹糸(生糸)を採集するために飼われてきた昆虫(の幼虫)です。人間によって飼育される蚕なので家蚕(かさん)とも呼ばれます。
蚕といえばその食べ物は桑の葉っぱ。このお蚕様はなかなかの食通で、桑の葉っぱしか食べません。となると、このお蚕様を飼育するために、食べ物となる桑の葉っぱを生産する場所が必要となります。それが桑畑です。

地図から「桑畑」が消えた? 
 小学校の頃に地理の授業(私が小学生だった頃は「社会」という名の授業でした。今も「社会」という授業なのかな?)で地図記号を勉強しました。その折に勉強した地図記号の中には「桑畑」というものがありました。畑や田という記号もありましたが、畑とは別に桑畑という作物限定の記号があったのでした。畑とは別に桑畑の記号が作られたということは、それだけ桑畑があちこちに沢山あったと言うことでしょう。

 ところが現在の地図記号(「2万5000分の1地形図の地図記号」)にはこの桑畑記号が無くなっていました。社会情勢の変化で使われなくなった地図記号の整理と、新しい地図記号の追加が行われた結果、平成25年(2013年)の地図記号の改訂によって、桑畑は消えてしまいました。

 半世紀あまり昔には生糸を得る為の養蚕は農家の副業的に広く行われていて、そのために、蚕の食べ物となる桑の葉を得る為に、日当たりがよく水はけのよい土地にはあちこちに桑畑があったのですが、化学繊維の台頭とともに生糸の生産は減少し、桑畑も減少してしまったのです。

改訂前の地図記号
2013年の改訂前の地図記号(赤枠:桑畑)
 ちなみに、日当たりがよくて水はけがよい場所にあった桑畑は同じような条件に適した果樹園に取って代わられることが多いようです。畑の中でも特定の作物に特化し畑で、果樹園や茶畑は地図記号の中に生き残り、桑畑は姿を消してしまった。世の中の変化を感じます。

 長い時の流れを表す中国の故事熟語の中に「蒼海変じて桑田となる」というものがありますが、現代の日本においては「桑畑変じて果樹園となる」ようです。

桑と蚕 
 蚕をカイコと呼ぶのは「飼い蚕(こ)=カイコ」という意味からなのだとか。カイコは初めから人に飼われた蚕という虫だったということです。その証拠に、このお蚕様という虫は人が世話をしてやらなければ生きていけない虫なのです。

 戦前の日本では農家の四割が養蚕に携わっていましたから、蚕はかなりありふれた生き物だったわけですが、こんなにありふれた生き物なのに何故か野生化した蚕、家猫が野生化した(?)野良猫に相当するような野良蚕はいないのです。

蚕棚
昔の蚕棚
 蚕は桑の葉を食べて成長するのですが、これが「摘んでもらった桑の葉を蚕棚のような場所に置いてくれれば食べてあげます」というとんでもない横着な食べ方なのです。「上げ膳据え膳でなければご飯食べません」の究極のような虫なのです。

 蚕を桑の木の葉っぱに載せてやっても、脚の力が弱くて、風が吹いたら葉っぱにしがみついていられず落っこちてしまうとか、桑の木の周囲に置いても自分で葉っぱを探すことが出来ずに餓死しちゃうとか、それはもう笑いごとではないひ弱さです。こんなひ弱な生き物がどうやって今まで生き延びてきたのでしょうか? その答えは「人間がずっと上げ膳据え膳してきたから」なのです。

 蚕は「家蚕」ともいい、家畜化された昆虫。その上、既に述べたように野生化する能力すら完全に失ってしまった昆虫なのです。楽な生活(その後の釜ゆでの結末さえ考えなければ)をしすぎると、こんなにひ弱になってしまうとは。私たちも気をつけないといけませんね。

これからどうなる、お蚕様? 
 かつてはその食べ物を生産するための桑畑に、専用の地図記号まで作られていたほどの勢力(?)を誇った蚕ですが、桑畑は地図記号から消え、養蚕農家も激減しています。
 現在ですらこんな状況ですからあと数十年もすると、蚕は昆虫博物館と皇居(「余談」参照)でしか見ることの出来ない生き物になってしまうかも? そうなったら

「今日は七十二候の『蚕起きて桑を食う』の候入りの日」

なんていっても「蚕ってなんですか?」と質問されるようになってしまうかも知れませんね。

余 談
皇居の蚕・皇后御親蚕(こうごう ごしんさん)
食事中 皇室と養蚕の関係は、雄略天皇が皇后に養蚕を勧めたことに始まるといわれます(日本書紀に記述有り。AD462年のこと)。この伝統は長らく途絶えていましたが、明治4(1971)年に昭憲皇太后が皇居での養蚕を再興し、以来この行事は「皇后御親蚕の儀」と呼ばれ、代々の皇后陛下に引き継がれ、現在は皇居・紅葉山養蚕所にて、毎年養蚕が行われています。
 この養蚕所で得られた生糸から作られた絹は宮中行事で使用する他、各国元首への贈り物などに用いられているそうです。
 ということで、日本に皇室がある限り、お蚕様も安泰です。

※更新履歴
初出 2025/06/03
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