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【出藍】(しゅつらん)
 [荀子勧学「青出于藍而青于藍」]藍あいから採った青色は、藍よりも青い。
 弟子が師よりもまさりすぐれるたとえ。
 →【出藍の誉れ】(しゅつらんのほまれ)
  《広辞苑・第五版》

 「青は藍より出でて、藍よりも青し」
 昔から布を青く染める際の染料として藍の葉をきざみ、乾燥と発酵をさせて
 藍玉を作り、これを用いたところから生まれた言葉です。

 藍玉の色は青黒いのですが、それから染められた布地は鮮やかな青。くすん
 だ色の原料からより鮮やかな色が生まれることの不思議さを目にしてこの言
 葉が生まれたのでしょう。
 出典となった荀子の勧学篇のこの箇所をもう少し引用すると、

  君子曰く、学は以て已(や)むべからず。
  青はこれを藍より取れども藍より青く、
  氷は水これを為せども水より冷たし、と。

 さて、わざわざもう一度引用した理由は、この有名な故事成語の「出藍」の
 元々の意味が現在使われている意味とは異なっているようだからです。
 この出藍の出典となる文章の一番の眼目は

  学は以て已むべからず

 ですね。つまり学問を止めるべきではない、励み続けるべきであるというこ
 とです。
 現在の弟子が師を超えるという使い方からすれば「青」が弟子で「藍」が師
 ということになりますが、元になった話からするとどうも青も藍も自分自身
 のことのようです。

 藍は自然に生えているだけであればただの藍(タデアイ)という植物に過ぎ
 ないが、この緑の葉という素材から手間を掛けて藍玉が生み出され、藍玉か
 らさらに鮮やかな青が生み出されるように、人間も学問し続けることによっ
 て理想に近づき続けられるのだと、励ます言葉です。

 そうやって学問を続ける過程で師を越えるということもあるでしょう。いや
 素質が同じならば弟子は教え導かれる分だけ師より成長が早いはずなので、
 師を越えて当然なのかも。その当然のことが後世において当然で無くなった
 ので、現在使われるようなちょっと違った意味が現れてきたのでしょうか。
 師を越える弟子が出て、この弟子を指して現在使われている意味で

  出藍の誉れ

 とこれを顕彰するなんてことは、それだけ師に及ばない弟子、つまり努力の
 足りない弟子が大勢いるということで、「出藍」の言葉を残した荀子からす
 れば嘆かわしい状況なのかも知れません。

 ここまで書いてきてふと我が身を振り返り、「青」までの道は遠いとしても
 タデアイの葉を摘むくらいのことはしてきたかなと考えて、全く違った意味
 で「青く」なってしまった私でした。

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