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【赤心を推して人の腹中に置く】
 (「赤心」はまごころ)自分がまごころをもっていることから推察して、他
 人もまたまごころをもっているとして、他人を疑わない。人を信ずることが
 あつく、全面的に信頼することをいう。『後漢書・光武紀上』
  《成語林》

 まごころを以て人に接し、少しもへだてをおかないこと。
 また、人を信じて疑わないこと。
  《広辞苑・第五版》

 人の考えや行動を推し量ろうとするとき、それを測る物差しとなるのは自分
 の考えや行動ではないでしょうか。
 客観的な判断をなどと言いますが、そうは言っても判断するのが人間である
 以上、何処かに好悪の感情が交じったり、利害を考えて真に客観的な判断な
 ど出来るものではないのかもしれません。

 ただ自分が曲がった見方で相手側を評価したとすれば、相手側もまた同様に
 曲がった評価を返してくるのでしょう。
 自分が曲がった見方をしておいて、相手にだけ真っ直ぐな評価を期待するの
 は虫がよすぎます。

 さて、今日取り上げた言葉は、後漢を開いた光武帝の人となりを表した言葉
 です。光武帝は王莽の簒奪によって潰えた漢王朝を復活させることを旗印に
 戦い、後漢を起こした英雄ですが、他の英雄たちのような「型破り」なとこ
 ろがありません。見方によっては面白味が無い人物かもしれません。

 そのためでしょうか、中国の長い歴史のなかでも屈指の名君なのに、日本で
 はあまり人気の無い人物です。
 さて、この人の人となりを表す言葉といえば今日取り上げた

 「赤心(せきしん)を推して人の腹中(ふくちゅう)に置く」

 です。辞書の説明のとおり、自分真心が相手にも同様にあると信じて疑わな
 いということです。ある戦いで自軍の数をも上回る大軍が投降して来たこと
 がありました。投降してきたとはいえ、大軍。自分たちの処遇に不満があれ
 ば再び反旗を翻す可能性も高い危険な存在です。中国の歴史を見ると投降し
 た軍の危険性を考えて皆殺しにしてしまった例が幾度もあるほどです。

 そのときは何せ、投降してきた方が自分たちの軍隊より多いほどでしたから
 危険性は計り知れません。
 さてどう扱ったものかと将軍たちは頭を悩ませているうちに、なんと総大将
 である光武帝が自らわずかな供を従えただけで、投降軍の視察に出かけてし
 まいました。これには部下の将軍たちがびっくりして止めようとしましたが
 時すでに遅し。将軍たちの心配をよそに、光武帝は投降軍の中に入って行き、
 そして何事もなく戻ってきました。

 心配していた将軍たちは安堵しましたがその一方ではあることに驚きました。
 それはたった一度視察を受けただけで投降軍の将兵がすっかり光武帝に心服
 してしまっていたことです。

 投降はしたものの、どんな扱いを受けるかと戦々兢々とした人たちは、自分
 たちの「降伏する」という言葉を疑わず、自分たちの真心を信じて自ら迎え
 入れてくれた光武帝の姿を目にして、疑心を抱いた自分たちを恥じました。
 そして自分たちを本当に信じてくれたこの人のために、これからは命を投げ
 出す覚悟で働こうと誓い合っていたのです。

 この逸話に見える光武帝の行動は、軽率で危険なものに映ります。無謀です。
 ですが、その無謀さはただの世間知らずの無謀とは違います。幾多の戦いを
 潜り抜けてきた光武帝があえて選んだ「無謀」です。
 相手を信じぬこうと決めた光武帝の無謀さは、最良の謀をさえ超えた結果を
 生み出しました。

  あなたのためを思って、一所懸命にやっているのになぜ通じないんだ

 そう思い腹の立つときは多々あります。そんなときには、今日のコトノハの
 言葉を思い出して、もう一度だけ踏みとどまって見ませんか。
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