日刊☆こよみのページ スクラップブック
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【敵に塩を送る】
(上杉謙信が、塩不足に悩む宿敵武田信玄に塩を送って助けたという故事か
ら)苦境にある敵を助ける。
《広辞苑・第五版》
これを書いているのは1/12。
この一日前、1/11は「塩の日」となっています。
その理由がここで採り上げた「敵に塩を送る」と関係しています。
1569年(永禄11年)、甲斐の国・信濃の国を領地としていた武田信玄が関東の
北条氏及び今川氏と結んだ同盟を破ったことから、これに怒った北条・今川
両氏は、その領内を通って武田氏の領地に運び込まれていた太平洋側からの
塩の供給を停止しました。世に云うところの「塩止め」です。
昔も今も塩は人間が生きていく上で必要不可欠な物資。内陸国で塩を生産す
ることの出来ない甲斐・信濃の人々はこの塩止めによって大いに苦しむこと
になりましたが、武田信玄とは宿敵とも云うべき関係にあった越後の上杉謙
信はこの塩止めに同調せず、日本海で生産された塩の販売を継続しました。
謙信は、「戦は弓矢をもってするべきもの。塩止めして領民を苦しめること
でするものではない」という考えから、上杉領内の商人には、それまでどお
りの価格での塩の販売継続を命じたとされます。この行為が
敵に塩を送る
という故事となり、後に頼山陽がこの謙信の行動を高く評価したことから広
く知られるようになりました。
現在の新潟県糸魚川市と長野県松本市間を結ぶ「塩の道・千国街道」によっ
て塩止めにより苦しんでいた武田領内の松本に越後からの「義塩」が運び込
まれたのが1/11といわれ、松本ではこの1/11の前後には塩市(現在は飴市)
が立つようになったと云われています。
※松本あめ市
http://getakozo.com/modules/event/index.php?content_id=47
◇「敵に塩を贈る」ではない
この故事を「敵に塩を贈る」と勘違いする方がいるのですが、あくまでも適
正な価格での販売を継続したのであって、塩をプレゼントしたのとは違いま
す。よって、「塩を送る」であって「塩を贈る」ではありません。
上杉氏から見れば、内陸国の武田領への塩の販売は重要な産業であったはず
ですから、敵に塩を送る行為は、領内の産業を守ることでもあったのです。
こうしてみると、とかく戦場での華々しさばかりが目立つ上杉謙信ですが、
戦ばかりしていたわけではなかったようです。
◇意地悪するわけではない
いつだったか、「敵に塩を送る(贈る?)」は、相手のいやがることをする
という意味だと思っている人がいると聞いたことがあります。
傷口に塩を擦り込むといったことを連想するのか、塩が沢山あり過ぎても困
るだけだと考えるのか。
いずれにせよ、「敵に塩を送る」が意地悪な行為だという解釈は、今のとこ
ろまだ成り立たないと思いますので、万が一そんな思い違いをしている方が
身近にいたらいたら、正しい意味をそっと教えてあげて下さい。
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