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【楊朱、岐に泣く】(ようしゅ きになく)
 楊朱が八方に通じる分かれ道に立って、足のあげ方しだいで、どちらにでも
 行けるのを見て、悲嘆してひどく泣いたことをいう。人生の岐路に遭遇し、
 いずれかの道を選ばなければならぬときの号泣したくなるような苦しさ、哀
 しさのことである。
  《お気楽薬剤師・故事成語
   URL:http://oyama.web.infoseek.co.jp/sub6-1.htm より》

 『荀子』王覇篇にある言葉です。
 楊朱は徹底した個人主義、快楽主義を説いた思想家です。
 分かれ道で右の道を選ぶか、左の道を選ぶか。始めはたった一歩の違いであ
 っても、やがて千里の違いを生じる一歩となることを思えば、右すべきか左
 すべきか、その選択の重さに泣いたという意味と解されます。

 面白いのは、岐路に立って泣いた人物が楊朱という人物であったことです。
 楊朱は「一本の毛を抜けば天下の利益となると分かっていても、他人の為に
 犠牲を払うことはなかった」といわれる程徹底した利己主義者でした。

 自然の本性の好むところに背かず、ある限りの快楽を否定しないという徹底
 した利己主義、快楽主義を提唱した楊朱は、それだけ真剣に一度だけの人生
 を生きた人だったのかも知れません。
 だからこそ、一歩の選択によって失われる別の人生の可能性を思い、楊朱は
 岐路に立って泣いたのではないでしょうか。

 通り過ぎてきたいくつもの岐路でのいくつもの選択を振り返って、その選択
 の結果失われた、あったかもしれない別の人生を思うとき、目の前に現れた
 新たな岐路での選択の重さを切実に感じるようになります。
 岐路に立って泣くのは楊朱だけのことではないはずです。

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