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【左義長・三毬杖】(さぎちょう) (もと、毬打(ぎっちょう)を三つ立てたからという)小正月の火祭りの行 事。宮中では正月15日と18日に吉書(きっしょ)を焼く儀式。 清涼殿の東庭で、青竹を束ね立て、毬打 3個を結び、これに扇子・短冊・吉 書などを添え、謡いはやしつつ焼いた。民間では正月14日または15日(九州 では6~7日)長い竹数本を円錐形などに組み立て、正月の門松・七五三飾 (しめかざり)・書ぞめなどを持ち寄って焼く。 その火で焼いた餅を食えば、年中の病を除くという。 子供組などにより今も行われる。どんど焼。さいとやき。ほっけんぎょう。 ほちょじ。おにび。三毬打。新年の季語。 徒然草「三毬杖は、正月に打ちたる毬杖を真言院より神泉苑へ出して焼きあ ぐるなり」 《広辞苑・第六版》 さて、今回は小正月の行事、左義長について採り上げました。 左義長がどのような行事かは、既に暦のこぼれ話で採り上げたことがありま すので、解説はその記事に譲ることにします(下の URL参照)。 左義長(さぎちょう) http://koyomi8.com/doc/mlwa/200801140.htm 今回は、「左義長」ということばについて採り上げてみることにしました。 ということで、「コトノハ」に登場です。 1/14に読者の Sさんから 「昔から不思議に思っているのですが、 左義長という言葉には、どういう由来があるのでしょうか。 教えていただければ嬉しいです。」 という御質問を頂きました。言われてみれば、不思議ですね。 「初詣」や「書き初め」などは、仮にその行事を知らなくとも言葉からおよ その内容を想像することが出来ると思いますが、「左義長」がどんな行事か をその文字、言葉から想像することは出来ません。 ◇三毬杖・三毬打 「さぎちょう」という行事自体は平安時代末に書かれた年中行事絵に描かれ ているそうなので、その存在はわかりますが、その行事を「左義長」と書く ようになったのは、ずっと後の時代、おそらく江戸時代に入ってからだろう と考えられます。 それ以前は、「三毬杖」や「三毬打」と書かれていたようです。個々で登場 する毬杖、毬打がいかなるものか、もう一度辞書でひいてみると 【毬杖・毬打】(ぎっちょう) 正月行事の童子の遊戯に使用する、毬(まり)を打つ長柄(ながえ)の槌。 近世は彩色を施し、金銀泥を加えて正月の飾りものとする。 また、その遊戯。ぎちょう。 春の季語。 《広辞苑・第六版》 これだけではピンと来ないという方は、木製のゴルフクラブ、あるいはゲー トボールのスティックなどを思い浮かべてください。冒頭に引用した広辞苑 の左義長の説明によれば、 「毬打 3個を結び」 とありますから、この毬打を三本行事に使うことから三毬打・・・というの はわかりました。 ◇三毬杖から左義長への謎 江戸時代の末に書かれた守貞漫稿には正月の行事の中に「左義長」の文字が あります。しかし、いつ頃からこの文字が使われたのか。三毬杖が左義長に 変わったのかは、とんとわかりません。 いろいろ調べてみたところ、やっとそれらしい話が日本語大辞典(小学館) にありました。それによれば、 『仏教と道教との優劣を試みるため、仏教の書を左に、道教の書を右におい て焼いたところ、仏教の書が残り、「左の義長ぜり」という「訳経図記」 にある故事からからという俗説(徒然草寿命院抄)がよく知られている』 とのこと。俗説との断りもありますし、いかにも仏教の優位性を喧伝するた めに作られた説で、どうも眉唾のような気がします。 三毬杖じゃ読めないから、目出度い文字で当て字するか? なんて、案外そんなところかも知れませんね。 尻切れとんぼで心苦しい限りですが、私には答えまでたどり着けませんでし た。御質問下さった Sさん他の読者の皆様、ごめんなさい。 なにか、いい手がかりが見つかりましたら、何時か補足出来ればと、思って おりますので、この件についてご存じの方がいらっしゃいましたら、是非ご 教示下さい。お願いします。
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