こよみのぺーじ 日刊☆こよみのページ スクラップブック  (PV , since 2008/7/8)
 【直をもって怨みに報い、徳をもって徳に報いん】
  悪意には理性で、善意には善意で報(むく)いるのがよい。
   《論語(久米旺生訳。徳間書店刊・二版)抜粋》

 これは論語・憲問篇に登場する言葉です。
 この言葉は、ある人からの質問に孔子が答えるやりとりの間に登場します。
 やりとり自体も短いので書いておきましょう。

  あるひと曰く、「徳をもって怨みに報いはいかん」。
  子曰く、「何を持って徳に報いん。
  直をもって怨みに報い、徳をもって徳に報いん」
   《論語(久米旺生訳。徳間書店刊・二版)抜粋》

 意訳すればこんな意味です。
(文責 かわうそ@暦)。
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ある人が孔子に問います。
 「徳をもって怨みに報いる」という考えがありますが、いかがでしょうか?

 これに対して孔子は答えます。
 徳をもって怨みに報いたとすれば、徳を受けたときには何を報いればよいの
 でしょうか。私は怨みを受ければ、これには理性を持って対処し、徳を受け
 れば、徳をもってこれに報いるべきだと考えます。
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−文責 かわうそ@暦−−−−−−−

 「怨みに報いるに徳を以てす」
 という言葉は、老子に登場する言葉です。書物としての老子は孔子の時代に
 はまだ無かったはずですが、既に老子に書かれた説がある程度広がっていた
 ことが分かります。

 老子にある「怨みに報いるに徳を以てす」は、恨まずにはいられないような
 仕打ちを受けても、博愛の心でこれを許し、徳を以てこれに報いるべきだ」
 と云った意味です。
 老子の言葉のとおりに出来るのであれば、理想でしょうね。

 世の中の「理想を語る方々」がこうした考えを述べるのを何度も耳にしたこ
 とがありますが、そのたびに私は、ある種の違和感と後ろめたさを感じまし
 た。

 「違和感」は、本当にそうだろうかという疑問が残るため。
 「後ろめたさ」は、自分にはきっと出来ないだろうという思うため。

 そんな違和感と後ろめたさを感じたときに、この言葉を思い出すとホッとし
 ます。何もかも、「理想」のとおりでなくてもよいのだと言ってもらえたよ
 うで。最良は無理でも、より良い対応が出来れば、それはそれで上出来だと
 納得出来るからです。

 酷い仕打ちを受けてもこれを許すとは言うは易く行うは難し。そのひどく難
 しいことが出来る人もいるでしょうが、それが出来ない私のような小人もい
 ます。そんな小人に

  「理想的な対応は無理でも、なんとかここまでで踏みとどまりなさい」

 という一線を示してくれる言葉です。
 「怨み」という感情を消し去ることは出来なくとも、それを理性で押しとど
 めることは出来る。
 神ならぬ人の、現実的なあり方を教えてくれる言葉です。

オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2019/11/02 号

こよみのぺーじ 日刊☆こよみのページ スクラップブック