日刊☆こよみのページ スクラップブック
(PV , since 2008/7/8)
■初日の出の話 ・・・ その3
ほんとは一話のつもりで書き始めたものが、長くなりすぎて三話に。
申し訳ないと思いつつ、始まり始まり。
昨日は「仮想・江戸時代の初日」の話で、なぜ初日の出が今のように特別視
されないのか、その理由を考えてみました。
では、お日様を拝むなんてことは昔はなかったのかと言うことで、その辺に
ちょっとふれて、初日の出の話第一弾の最後としようと思います。
◇日の出を拝むのは当たり前のこと?
ラフカディオハーン(小泉八雲)の「知られざる日本の面影」に明治初期の
松江の様子が描かれています。その辺りを読んでいると、この時代もまだ人
々は早起きで、日の出と同時に昇るお天道様に向かって拝んでいる人のこと
が登場します。
運河を行く船の船頭さんが、お日様に向かって手を打って拝む様子だったと
思います。その様子が特別な日ではなく、日常の姿として描かれています。
どうやら、江戸時代もこんな具合に日常的にお天道様を拝むのが当たり前で、
ことさら年に一度特別に日の出を拝む現代の初日の出行事のようなことをす
る必要がなかったように思います。
あまりに当たり前のことだから、記録に残す方も何も書いていない。そんな
気がします。
今回のこぼれ話は、何で昔の初日の出行事の記録がないのかなと思って、そ
の理由を考えた、私の勝手な推測を書いたものなので、単に朝日を拝むなん
て行為がなかったのかもしれませんが、小泉八雲の描く松江の様子などから
考えると、どうもこの「日常のことなので記録に残らない」が正しいように
思えてなりません。
やはり昔の人の方が、太陽への感謝などは我々よりずっと深くて、不信心に
なった我々が一年一度の初日の出だけを有り難がるのとはわけが違っていた
ように思います。
皆さんのお考えは?
◇初日の出の風習
現在の様に初日の出を特別に拝む風習は、一説によれば伊勢の二見浦の行事
が幕末に全国に拡がったものと言う説を読んだ記憶が有ります(済みません、
なんの本で読んだか思い出せませんでした)。
二見浦でご神体として崇められる夫婦岩の間の海から初日の出を拝む風習が
あって、これが幕末にあった熱狂的な「御伊勢参り」でこの地を訪れた人々
によって各地に持ち帰えられたとか。
昨日の考察(?)で書いたとおり、見慣れた隣町の恵比寿屋・大黒屋の屋根
から昇る初日には特別な感慨を抱けないとしても、有難い伊勢参りで眺めた
二見浦の初日にならいつも以上の特別な有り難みを感じたのでは?
三日に渡って初日の出の謎の一つを考えてみましたが、いかがだったでしょ
うか。ちょっと引っ張りすぎと言うか、話題の割には記事が長すぎたなと反
省しておりますが、そこは「こぼれ話」と言うことでご勘弁を。
初日の出の話題に関しては元日へ向け、これからも時々採り上げて行きます。
近いうちにまた、今度は現代の初日の出について何か書いてみようと思いま
す。さしあたり、日本のどの辺での日の出が早いとか遅いとか。
ご期待下さい。
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
magazine.sp@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)
日刊☆こよみのページ スクラップブック