日刊☆こよみのページ スクラップブック
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■西行忌の太陽暦の日付は?
−−−−−−−−− ほたるさんからの質問 −−−−−−−−−
願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃
の歌で知られる西行ですが、亡くなった文治6年(AD1190)2月16日は新暦の季
節で言うと、3/30頃。
願い通り、花(桜)の咲く季節に亡くなったことになります。
内田正男著『暦のはなし十二ヵ月』にも、西行の亡くなった日はグレゴリオ
暦で1190年の3月30日のことである、と書かれてました。
『ウィキペディア(Wikipedia)』によると西行の亡くなった日は1190年3月
23日になってます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E8%A1%8C
この1週間の違いはユリウス暦とグレゴリオ暦の差なのでしょうか?
お忙しいこととは思いますが、よろしくお願いします。
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ご指摘の通り、ユリウス暦とグレゴリオ暦との差です。
Web こよみのページの「新暦・旧暦変換計算」というプログラムを使って旧
暦1190年 2月16日を変換しますと、答えは新暦1190年 3月23日となります。
これは、当時日本で使われていた暦の日付を、同じく当時西洋で専ら使われ
ていた暦日に置き換えると何日になるかと考えた場合の数値です。
ユリウス暦とグレゴリウス暦の切り替えはユリウス暦の1582年10月 4日の翌
日に行われました。
と言うことは、1190年の西行の亡くなったときにはグレゴリウス暦という暦
はこの世に存在していないものでした。そう考えれば日本の暦の日付を変換
するにしても当時まだ無かった暦に変換するのはを使うのは変だと考えれば、
文治6年 2月16日 → 西暦1190年 3月23日(ユリウス暦)
とするのが真っ当にも思えますが、無かったはずのグレゴリウス暦に直して
1190年 3月30日と敢えてそうすることにも意味があります。
それは、日付と季節の関係という観点から考えた場合です。
ユリウス暦は 4年ごとに 1日のうるう日が入る暦です。この方式ですとうる
う日が 400年間に約 3日ほど余計に入りすぎる計算となり、長い期間で考え
ると、暦と季節の間にズレが生じてしまうため、これを改良して生まれたの
がグレゴリウス暦。
改暦の為された1582年頃には、ユリウス暦の日付と季節の間には10日間のズ
レがありました。
1190年は1582年から見るとおよそ 400年前ですから先程の 400年で 3日とい
う日数を考えると、そのころの季節と暦とのズレは
10 - 3 = 7日
と言うことになります。 7日余分にうるう日が入っているので、暦の日付は
実際の季節より 7日遅れていることになりますので、現在のグレゴリウス暦
での「季節」に合わせるためには、ユリウス暦の日付に 7日を足せばよいこ
とになります。この結果、
当時のユリウス暦日 3/23 + 7日 = 3/30
と言う計算になったわけです。
日刊☆こよみのページの暦のこぼれ話で西行忌を採り上げたとき(今日の記
念日の解説も同じ)、西行の亡くなった時に桜は咲いていたかどうかと言う
話を考えましたので、現在我々が日常的に使用しているグレゴリウス暦の日
付のほうが、よりはっきりと季節感を再現するものと考えて、敢えてグレゴ
リウス暦の日付を使用しました。
内田正男先生の本(私も読みました)ももちろん、同じ考えから3/30とした
のでしょう。
記念日の日付としてどのような「日付」を使うかについては、いろいろと考
えるべきことがありますので、この話はまたあらためて採り上げてみること
にして、本日は御質問への回答だけと致します。
ほたるさん、納得頂けたでしょうか?
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
magazine.sp@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)
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