日刊☆こよみのページ スクラップブック
(PV , since 2008/7/8)
■本日日曜日につき「お休み」です
「本日は日曜日につきお休みさせて頂きます」
不定期連載として始まった『暦のこぼれ話』が、気が付けばほぼ日刊になっ
てしまっているが、それでも日曜日くらいは休みであると言うこと・・・で
は有りませんね。日曜なのに、結局暦のこぼれ話を書いております。
さて、ならなぜ「本日日曜日につき・・・」何て書いたか?
それは、日本で日曜日が休み(休日)と定められたのは何時かという話をし
ようと思ったからです。
◇日本への七曜の伝来
日刊☆こよみのページの2006/11/02〜11/08号の『暦のこぼれ話』で6回の連
載で書いた、「曜日の来た道」でも書きましたが、日本への伝来は弘法大師
が「宿曜経」という仏典として持ち帰ったのが最初だと言われています。
日曜日〜土曜日の七曜は明治の改暦で太陽暦が導入されて以後に用いられる
ようになったと想像する方がいらっしゃるのですが、平安時代には既に知ら
れていたわけですから、意外に古いものです。
もっとも現在のように「日曜日は休日」なんていうことではなく、日の吉凶
を占うものの一つでした(ちなみに、日曜日は吉日です)。
◇日曜日が休日になったのは?
日曜日が休日になったのはいつのことかと言うと、これは明治 9年のこと。
明治九年三月十二日 太政官達 第二十七
従前一、六休暇ノ処、四月ヨリ日曜ヲ以テ休暇ト被定候条 此旨相達候事
但土曜日ハ午前十二時ヨリ休暇タルベキコト
と言う布告によってです。
太政官達は、現在の法律と同じで、後に生まれた法律により廃止あるいは変
更されていなければ、今でも立派に法律として機能します。
上に掲げた太政官達第二十七は公務員の休日を定めたものですが、今もなお
健在で法律として機能するものの一つです。
◇「日曜休日」は休ませたくなかったから?
大隈重信の「大隈伯昔日譚」になぜこの「太政官達 第二十七」が出された
かという経緯が記録されています。
それによれば江戸時代の役人は一、六の付く日は休み。また様々な祝日があ
り祭日があり、盆暮れの長期休暇ありで、なにやかにやで 1年の 1/3程も休
みとなっていました。これを減らしたかったのです。
出来たばかりの明治政府には問題山積みで、これらの問題を解決するために
公務員にせっせと働いてもらいたいというのが政府の希望ですが、江戸時代
の休日の風習を持ち込まれると休みが多すぎて公務員が働かないことになっ
てしまうので、「西洋に合わせる」という大義名分を掲げて、日曜休日制度
を導入したのですが、その実は「公務員の休日を減らす」目的が有ったよう
です。
現在は、「ゆとり有る生活」とか言って祝日等の休日を増やす方向に進んで
いるようですが、それならいっそ江戸の時代に戻って一、六の付く日に戻し
てみたら?
(現在は、週休二日が定着しているので、一・六の日を休日にするより休日
数が増えているので、これはだめか)
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そして、法律上どこにも
「日刊☆こよみのページは日曜日は休刊とする」
なんて書いてないので、仕方ない。日曜日も発行。
そして日曜も休まず『暦のこぼれ話』でした。
暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
magazine.sp@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)
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