日刊☆こよみのページ スクラップブック(PV , since 2008/7/8)
■啓蟄と驚蟄 昨日、3/5 は二十四節気の啓蟄の節入日でした。 度々話に登場する二十四節気ですが、これが太陰太陽暦であった旧暦の暦日 と季節とを結びつけるために古代中国で考案されたもので、暦の伝来と共に 日本にも伝わり、現在まで使われてきました。 さて、上に書いた経緯のとおり生まれは中国で、それが輸入されたものです ので、二十四節気は日本にも中国にも有ります。 中国の二十四節気を並べてみると、 立春、雨水、驚蟄、春分、清明、穀雨、・・・ と日本と同じ順に同じ言葉が並びます。ただ一つをのぞいては。 さて、中国と日本の二十四節気のうちただ一つ異なる言葉は上述した 6つの 中にあるのですが、どれがその異なった言葉か判りますか? その違った言葉とは、「驚蟄(きょうちつ)」。 本日のタイトルが「啓蟄と驚蟄」ですから、これに気が付けば答えは簡単で すね(テストの答えを黒板に書いてる見たいですね)。 既に書いたとおり、日本の二十四節気は中国から伝わったもので他の二十三 は同じ漢字が使われています。ではなぜ啓蟄だけ日本と中国で言葉が違って いるのでしょうか? ◇本当は「啓蟄」 本家の中国が「驚蟄」ですから、こちらが本来の漢字のように誤解する方も いるのですが、さにあらず。日本の「啓蟄」が本来の字で、中国の「驚蟄」 は、日本に暦が伝来した後で変化した言葉なのです。 啓蟄は、古代中国の周王朝時代に成立した『礼記』の月令にある「蟄虫始振」 から生まれた古い言葉なのですが、この言葉が漢王朝の時代に「驚蟄」に直 されました。この変更には中国の「諱(いみな)」の慣習が関わっています。 諱とは、貴人や目上の人、死者などをその本名を呼ぶことを避けるという慣 習なのです。王や皇帝と言った場合はその王朝が続く間は、この文字を使う 事を避けるのが通例でした(中には、その影響を考えて避諱を免ずる詔を下 す君主もいました)。 啓蟄の「啓」は漢王朝の六代皇帝、景帝の諱でしたので、この文字が使えな くなりこれと意味の似ている「驚」という字で置き換えられるようになりま した。 漢王朝が滅んでからは、「啓」を避ける必要はなくなり、暦の上の文字も再 び啓蟄に戻ります。そしてこの「啓蟄」に戻っていた時代の暦が日本に輸入 され、日本では「啓蟄」の文字が使われるようになりました。 本家中国ではどうなったかというと、一度は啓蟄に復したのですが、使い慣 れた「驚蟄」の方がよいと言う事で、再度「驚蟄」に戻されました。 日本には、もちろんこの「驚蟄」と書かれた中国の暦も輸入されてきたので すが、日本においては中国の王朝の諱を避ける必要もありませんし、「驚蟄」 を使い慣れたと言う事もないわけでしたので、変更されることなく啓蟄が使 われ続けました。 結果的には、日本の二十四節気の方が、二十四節気本来の文字を今に伝える 結果になっています。ちょっとだけ不思議な話ですね。
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