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■太陽暦採用記念日
 明治 5(1872)年11月 9日、「太政官布告 第三百三十七号」として改暦の布
 告という詔書が発せられました。詔書とは、

 【詔書】(しょうしょ)
  律令制で、改元など臨時の大事に関して発せられる天皇の文書。
  明治憲法下では、皇室の大事および大権の施行に関する勅旨を一般に宣布
  する文書。・・・以下略
   《広辞苑・第五版》

 明治の初期、まだ議会もありませんから現在の法律に相当するものが「太政
 官布告」として発せられました。太政官布告は「法律に相当する」ものです
 から、この時期に出された古い布告もその後、法律で廃止や修正がなされて
 いないものは、いまもまだ「法律」としてその効力を保っています。

◇改暦の布告
 この改暦の布告もまた「現在も有効な太政官布告」の一つで、これが現在私
 たちが「新暦」と呼んで使っている暦を使う根拠となっています。
 その始まりの部分には、次のように書かれています。

 『朕惟うに我邦通行の暦たる太陰の朔望をもって月を立て、太陽の躔度(て
  んど(天体の動く度合い))に合すゆえに二三年間必ず閏月を置かざるを
  得ず、置閏の前後時に季侯の早晩あり、ついに推歩(すいほ(天体の運行
  を推測すること))の差を生ずるに至る。

  殊に中下段に掲る所の如きはおおむね妄誕無稽(もうたんむけい(根拠の
  無いこと。でたらめなこと))に属し人知の開達(かいたつ(知識などが
  進むこと))を妨げるもの少しとせず。

  けだし太陽暦は太陽の躔度に従て月を立つ。日子多少の異ありといえども
  季候早晩の変なく四歳毎に一日の閏を置き七千年の後わずかに一日の差を
  生ずるにすぎず。これを太陰暦に比すれば最も精密にしてその便不便もも
  とより論をまたざるなり。よって自今(じこん(以後))旧暦を廃し太陽
  暦を用ひ天下永世これを遵行せしめん。百官有司これその旨を体せよ。

   明治五年壬申十一月九日』

 そのままではあまりに読みにくいので、片仮名は平仮名に、現在は仮名書き
 が当たり前となっている漢字は仮名書きに改めるなどしております。
 まあ、そうしたところでやはり読みにくいですが。

◇旧暦は季節に合わないから「改暦」しました
 今もって「旧暦の方が季節を正確に表している」などという誤った認識が幅
 を効かせておりますが、この改暦の詔書にあるとおり旧暦には、

  置閏の前後時に季侯の早晩あり

 この欠点を是正するために新暦に替えたのです。
 実際の改暦が準備が整わないうちに大急ぎで行われたことや、上に掲げた文
 面も点検が不十分で大きな間違い(!)が入ったままだったりしたことの裏
 には、法律の建前的な合理ばかりでは無い理由もありますが、基本的には間
 違いではありません。

 それなのに 130年以上もたってもなお、旧暦の方が季節に合うなんて言う、
 妄誕無稽、根拠のないでたらめな話しが信じられている。
 この詔書が発せられたときに考えられたほど「人知の開達」はうまく進んで
 いないようです。

 もちろん、日刊☆こよみのページの読者の皆さんは、妄誕無稽な話しに惑わ
 されることはないと思いますが、気をつけましょう。
 ちなみに、「太陽暦採用記念日」は改暦の詔書が発せられた日付をそのまま
 使っていますが、この詔書が発せられた時代はまだ、旧暦の時代です。
 太陽暦に直すとこの日は 1872年12月 9日にあたります。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
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