日刊☆こよみのページ スクラップブック
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■レンゲの風景
北国ではまだこれからというところも多いでしょうが、私の住む所の田圃で
はもう田植えが終わっています。水の張られた田圃では、まだ植えられたば
かりで頼りない若い稲の苗が風に揺られています。
そんな田植えの終わった田圃の間に、水の張られていない田圃が何枚かあり
ます。休耕田です。
水の張られた田圃には稲が植えられていますが、休耕田には稲の変わりに緑
の葉のレンゲ(蓮華)が薄紫の花を咲かせています。
◇レンゲは海を渡って
休耕田のレンゲの話を書きましたが、休んでいない田圃でも田起こし前には
自然にレンゲが生え、花を咲かせている所もあります。 3〜40年も前になっ
てしまった私の子供の頃には、田起こし前の田圃が一面レンゲの花畑となっ
ている風景が、そこここに見られたものでした。
レンゲの花を摘んで、その茎を束ねて花の環を作る遊びなどは女児の遊びと
してはかなりポピュラーなものだったと思います。
少し前の時代までは、何処にでもあった春のレンゲの風景ですが、このレン
ゲの花の日本での歴史は案外浅いものだとご存知でしょうか?
レンゲはマメ科の植物。
マメ科の植物は窒素を固定することの出来る根粒菌と共生しています。レン
ゲももちろんその仲間で、これが田に生えると土壌が改良され、美田となる
ことが中国では古くから知られていて、緑肥として重宝されました。
日本のレンゲは、この緑肥としての働きを買われて中国から輸入されたもの
のようで、その渡来は江戸時代の初め頃と考えられています。
昔からの日本の風景と思ってしまう春のレンゲの花畑の眺めは、案外歴史の
浅いものなのでした。
貝原益軒が編纂し、宝永 7年(1709年)に刊行された『大和本草』(やまと
ほんぞう)に「京畿の小児はレンゲバナという」とこのレンゲについて説明
した記述があります。この京都付近の子供達が呼んでいたという「レンゲバ
ナ」の名がそのまま定着して、今に至ったようです。
◇稲の早稲化とレンゲ
田圃の緑肥として日本にやって来たレンゲは、田起こし前の田圃を緑に覆い
尽くしました。そして、その緑のレンゲが生えた田圃の土をレンゲごと田起
こし(土を深く耕すこと)して、土の中にレンゲを巻き込みます。
田圃はその状態で半月〜一月おかれ、その後に水が張られるのが普通でした。
この半月〜一月の間、土と一緒に耕されたレンゲは発酵して、肥料となって
田圃の土の中に溶け込み、稲を育てる役割を果たしていました。
元々稲は熱帯から亜熱帯にかけて生育した植物でしたから、寒さに弱く、そ
のため田植えの時期は現在の暦で云えば 6月頃でした。レンゲが咲く時期は
現在の暦で云えば 4月末〜 5月頃ですから 6月頃に田植えがなされると考え
ると、レンゲの花が咲く頃に田起こしして緑肥とすると丁度良いタイミング
で田植えとなることが分かります。
ところが明治以後、稲の品種改良が進んでその早稲化が進み、田植えの時期
が一月以上も早まるようになると、この関係が崩れてしまい、緑肥としての
レンゲの効用が無くなってしまいました。また、化学肥料などの普及もあり、
ますますレンゲの影は薄らいでしまったようです。
昔は稲との繋がりで春の田圃に広がっていたレンゲですが、今では稲を作ら
なくなった田圃にだけ広がっています。
愛らしいレンゲの花の色と形は昔も今も変わりがありませんが、その咲く場
所と役割は昔と今とでは大きく変わってきているようです。
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