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■和菓子の日の夏服お披露目
 6/16は、和菓子の日。
 6/16(旧暦の)には、朝廷でも幕府でも「嘉祥(かじょう)」と呼ばれる年
 中行事が行われておりました。

 嘉祥がどのようにして始まったのか、これははっきりしません。
 仁明天皇の承和14年(AD 847)、疫病に悩まされていたところ6/16に餅か木
 の実16個を調えて神に祀るよう神のお告げがあって、これを行うようになっ
 たとも、後嵯峨天皇が親王の時代に6/16に嘉定銭16文で菓子を買ってから、
 運が上向いて天皇に即位するまでに至ったため、これを祝うようになったと
 も云われています。

 お菓子を買い食いしたからといって、その日いきなり運が上向いたなんてな
 ぜいえるのか、そんな疑問が沸々とわき上がってきてしまいますが、まあ、
 こんなこじつけでもつけないとなぜこの日が祝われるのか分からない正体不
 明の行事だと云うことです。

◇嘉祥の行事
 嘉祥の日に先立って、天皇から群臣一人一人に嘉祥米と呼ぶ玄米一升六合が
 下賜され、下賜された者たちはこの米で菓子を作り、嘉祥の日に菓子を献上
 するのがこの行事でした。

 なお、お公家さん達がお菓子をせっせと作るわけではもちろんありません。
 嘉祥米を虎屋、二口屋といった菓子屋に持ち込んで菓子に仕立てさせたのだ
 とか。なんと、こんな頃から虎屋・・・。あったんですね。

 横道に逸れてしまいましたが、天皇に献上された嘉祥の菓子はその場で再び
 下賜され、この行事が一通りすむと場所を改めて宴となったそうです。

◇女官の夏服お披露目の会?
 「嘉祥」は女御言葉では「かつう」と呼ばれたそうで、この「かつう」には
 「嘉祥」「嘉定」「嘉通」などとも書かれたそうですので、文字が違えど

   嘉祥 = 嘉定 = 嘉通 (= かつう)

 で同じ意味として使われていました。
 さて、朝廷の女官たちもこの嘉祥の日には嘉祥の菓子を天皇に献上し、下賜
 されるという一連の行事を行うわけですが、この時に女官達は思い思いの夏
 服で着飾って宮中を行き交ったので、この女官達の夏服姿を見物することが
 いつしか、男衆の楽しみとなったそうです。

 公家・殿上人以下の男衆は嘉祥の菓子の献上と下賜の行事を済ませると、あ
 とは宴が始まるまでの時間を、夏服に着飾った女官の見物をして楽しんだの
 だそうです。

 きっと見られることが解っている女官達も気合いを入れて着飾ったことでし
 ょう。
 嘉祥の行事はなんだかよく解らない正体不明の行事ではありますが、正体が
 分からないものでも、それなりに楽しい行事であったことはわかります。

 「着飾った夏服の女官」にはお目にかかれなくとも、「お菓子の日」ですか
 ら、甘いもの好きな私にはそれだけででも十分嬉しい。
 和菓子を買って、着飾った女官の夢でも見ることにしましょう。
 現代だと、流石に「十六文」では和菓子は買えないでしょうけれど。

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