日刊☆こよみのページ スクラップブック
(PV , since 2008/7/8)
■「水の日」と「水の週間」
8/1 は「水の日」。そしてこの日からの一週間が「水の週間」とされていま
す。なぜこの時期に「水の日」「水の週間」かというとその理由は
『年間を通じて水の使用量が多く、水について関心が高まっている 8月上旬
が適当であるので、その初日、すなわち8月1日を「水の日」とし、この日
を初日とする一週間を「水の週間」としました。』
だそうです(独立行政法人水資源機構のWeb サイトより)。
近頃はゲリラ豪雨など、大雨による被害のニュースを度々目にし、耳にしま
すから、「水資源が不足」といわれてもピンと来ませんが、考えてみれば一
気に降って一気に流れ去ってしまう大水は、資源としては利用できなかった
水ですから、水資源の不足を解消してくれるわけでは無いのですね。
◇注意!「この水道の水は飲めません」
1〜2週間ほど前のニュースで、猛暑に襲われたニューヨークでは熱中症で倒
れるなどの被害を押さえるため、ニューヨーク市が予算を出して街角に多数
の無料給水所を設けたことが報じられていました。
ニュース映像には、設置された給水所の蛇口から水を飲む人々が映っていま
した。
そのニュース映像を見て一瞬、「ただ水道から水を飲んでいるだけじゃない
か」と普段の日本の生活からの類推で考えてしまいましたが、考えてみれば
普通の水道水をそのまま飲めるという日本が珍しいわけで、水道水をそのま
ま飲めない場所だから、街角に「無料給水所」を設けたわけですね。
さて、昨日は車で少々遠出をしておりましたが、その途中の道の駅でトイレ
休憩をとりました。そのトイレの手洗い場の蛇口の脇に
「この水道の水は飲めません」
と注意書きが張られていました。
日本では、公衆のトイレの手洗い場の水道水ですらも「飲める水」が出てく
るのがあたりまえと考えるので、飲めない水が出てくるこの蛇口には「飲め
ません」という注意書きがつくわけですね。
先のニューヨーク市の無料給水所とこの手洗い場の注意書きとで、水に対す
る感覚の違いを感じました。
◇「湯水」も有限
日本では「湯水」といえば何処にでも沢山あるもののたとえに使われる言葉
です。それだけ水には恵まれた国であるということですが、水は日常に目に
触れる使われ方だけでなく、農業にも工業にも無くてはならない資源。
大量に使えば「湯水」も無限ではない、無駄に使えば足りなくなってしまう
ものだということを、折角の「水の日」ですから、考えてみることにしまし
ょう。
◇こよみのページ的、「ありがたい水の日と水の週間」
水資源機構から表彰されてもいいようなまともな「水の日」「水の週間」の
話を書いてみましたが、この記念日、記念週間はこよみのページにとっては
ありがたい記念日と記念週間であります。
水の日は「8/1」 という日付に固定された記念日なので、何も考える必要が
無い。これが、「8 月の第一日曜日」なんてされると毎年計算しなくちゃあ
りませんし、「水の週間」もこの8/1 に固定された水の日を初日とする 1週
間(つまり毎年8/1〜7と決まっている)と何も考えなくてよい一週間。
世の記念週間には「『○○の日』を含む日曜日〜土曜日の一週間」なんてい
う面倒くさいものがおおいですから、水の週間のように判りやすい記念週間
は誠にありがたい。
「水の日」「水の週間」だけにその日取りの決め方も水のように透明なのが
一番です・・・なんて思うのはこよみのページの私だけかな?
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)
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