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■お月見雑話(2) 月見の日取り
順番から云えば、月見の団子の話より日取りの話が最初にあってしかるべき
ところでしょうが、計画性の無さと空の月より目の前の団子という実利主義
的考え(たんに、食い意地が張っているとも云う)から、団子の話から始ま
ってしまったお月見雑話ですが、本日はあるべき姿に戻ってお月見の日取り
の話です。
◇中秋の名月と満月の日付の話
中秋の名月といえば、旧暦の八月十五日の満月がそれだと考えられます。
今年(2010年)の旧暦八月十五日は9/22にあたりますから、中秋の名月の日
取りは9/22とされます。
さてここで「旧暦の八月十五日の満月」について考えてみましょう。
今年の旧暦八月十五日は既に書いたとおり9/22ですから、この日が満月の日
なら何の問題もありませんが、満月の日はこの日では無くて翌日の9/23です。
となると、
「中秋の名月は旧暦の八月十五日の満月」は
1.旧暦の八月十五日の月を名月とする・・・2010/9/22 の夜の月
2.満月を名月とする・・・2010/9/23 の夜の月
さてどちらだろうという疑問が頭をよぎります。
こうした疑問は
十五夜(旧暦の十五日の夜)の月 = 満月
であるなら生まれない疑問です。この疑問が生まれるようになるのは上記の
等式が成り立たなくなってしまったからです。
お月見は旧暦の八月十五日に行うべきか、本当の満月に行うべきなのか。
◇満月の話
現在普通に使われ、新聞やTVの天気予報などで「明日は満月」などと表現
される場合の満月は、天文学的な満月を示しています。
この天文学的な満月とは地球中心から見た太陽と月の中心が 180度(黄経
という座標の基準において)離れた瞬間を言います。我々が満月と呼ぶ月
の「平均的な状況」を良く表す基準です。
さてこの基準は、なかなか良い基準ではありますが、我々のご先祖様、それ
も文字など発明されるずっと以前の遠いご先祖様が「満月」を思うとき、
「太陽と月が黄経で 180度離れ・・」なんてことを考えたはずはありません。
180度離れていることを正確に測る方法や道具も大昔のご先祖様はご存じな
かったと思いますから。
ではどう考えたかといえば最初は「真ん丸に見える明るい月が満月」と単純
に思ったことでしょう。ただ「真ん丸に見える月」と一口に言っても、本当
の満月の前後1日くらいの月も、肉眼ではほとんど「真ん丸」なので、正確
な真ん丸な月はいつ見えたかと云うのも結構大変です。手軽に真ん丸な月が
何時かを知る方法は無いでしょうか?
ご先祖様が次に気が付いたのは周期性です。
一番真ん丸に近い月が見えた日の間隔を指折り数えてみるとその間隔が大体
29〜30日の間にあることに気がついたのです。
毎日月をジーッと見つめて「丸いかな、欠けてないかな」なんてチェックし
なくともある日、丸い月を見極めたのなら、その29〜30日後には丸い月が見
えることがわかったのです(月の満ち欠けを基本にした太陰暦の誕生です)。
◇旧暦と満月の関係
明治の始めまでつかわれ、現在まとめて旧暦と呼んでいる暦はいずれも太陰
太陽暦という種類の暦です。間に「太陽」の文字が挟まりますがこの暦も月
の満ち欠けを基本に組み立てた太陰暦の一派ですので、暦の日付と月の満ち
欠けには密接な関係があります。
いろいろ細かな話はありますがその辺は割愛させて頂きますと、この暦では
その月の半ばの日、15日が満月かそれに近い日となります。ですから、
満月 ≒ 旧暦十五日の月 (十五夜の月)
と云う関係が近似的に成り立ちます。あくまでもこの関係は近似的なもので
すが、既に書いたとおり本当の満月とその前後の日の月は、肉眼では区別が
つかないくらいなので、そのうちに「満月=十五夜の月」と便宜的に見なす
ようになりました(本当の満月と十五夜の月が一致しないことは、当時の人
たちも知っていました。少なくとも知識階級と呼ばれる人達は)。
◇家庭の祭りか、社会の祭りか?
さてようやく、お月見の日取りです。
お月見(中秋の名月)は秋の収穫を感謝して満月にお供えをする祭りだった
と考えられます。この点からすればお月見を「現在の満月の日」に行うとい
う考えがあってもおかしくありませんが、一般的にはどうかというと、お月
見は旧暦の八月十五日に行われるのが普通です。
前段の説明の旧暦上の近似的な満月の日に合わせているわけです。
もし各人、各家庭のみの祭りであれば、お月見はいつ行ってもよいはずです。
いつ行っても誰にも迷惑はかかりませんから。
ところが、祭りの性質が社会的というか、少なくとも地域共同体に関わるも
のであったとすると、その共同体(村とか町とか)全体で同じ日に行う必要
があります。機械力の乏しかった昔の農作業は、共同体全体の協力が無けれ
ば不可能でした。お月見は秋の収穫を祝う行事であったと考えると、これは
共同体全体の祭りであったと云うことが出来ます。こうした観点から考える
とお月見が旧暦の八月十五日という日付に行われた意味がよくわかります。
今でも、「△村の祭りは毎年×月○日」のように日付に固定される例は多い
と思います。こうしておくと誰の目にもその日がはっきりして覚えやすく、
間違える心配もありません。共同体全体で行う行事には都合がよいですね。
流石にお月見の日が新月では具合が悪いですが旧暦の十五日であれば、満月
か満月でないとしても1〜2日くらい違うだけで満月と見分けのつかないくら
いの月が出てきますから大きな問題ありません。
こうして、わかりやすくて近似的には満月という条件を満たせる旧暦の十五
日の夜がお月見の日となったと考えます。
◇現代的のお月見
旧暦時代であればお月見は八月十五日という日付だけ覚えていれば、だれで
もそれが何時かわかったはずですが、現在私たちが用いている新暦では、旧
暦の八月十五日の月日は旧暦の日付の書いてあるカレンダーか、こよみのペ
ージでも開かないとわかりません。
どうせ調べなければわからないのなら、本当の満月の日付を調べてその日に
お月見をするのも手間は同じです。それにお月見という行事自体も今では共
同体全体で行う行事というより各家庭で行う行事へと性格が変わってきてい
ますから、お月見は本当の満月に行うという方が増えてくるかも知れません。
お月見が日々の糧となる秋の収穫に感謝する行事であることやその成り立ち
などを理解していれば、旧暦の八月十五日に行うも、本当の満月の日に行う
も、どちらでもよいと思います(両方しちゃうという手も・・・)。
私はどっちかというと旧暦八月十五日派。この日になったら薄を飾って、
お月様にお供えした団子のおこぼれにあずかろうと考えています。
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)
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