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■火葬禁止令廃止の日?
 日々、今日の記念日を掲載していて思うことは、毎日毎日「いろいろな日」
 があるものだなということです。

 今日、5/23の「今日の記念日」を見ると「キスの日」だとか「ラブレターの
 日」という羨ましい(?)記念日が並んでいました。しかし、こんな羨まし
 い記念日以上に私の目を惹いたのは、その一つ前に並んだ

  火葬禁止令廃止の日

 でした。
 火葬禁止令廃止の日というのがあると言うことは、「火葬禁止令」なるもの
 が存在したということです。火葬禁止令?

◇日本の火葬
 記録に残る日本で最初の火葬は、続日本紀にある僧道昭の火葬だそうです。
 道昭は、遣唐使の一員として唐に留学し、あの玄奘三蔵に学んだ高僧です。
 道昭は文武天皇の四年(西暦 700年)に72歳で没して、その遺命により火葬
 により葬られています。

 どのような、高徳の人も、位人臣を極めた人も、死ねば皆同じく、骨となっ
 てしまうだけだと云うことを、身を以て示したのだと云われています(仏教
 の祖、釈迦も火葬されています)。

 実際には、それ以前にも火葬によって葬られたと思われる人骨などは、遺跡
 から出てくるそうですが、そうした例は須恵器工人集団など一部の間でだけ
 行われた、特殊な葬礼の方法だったようで、貴族や天皇(最初に火葬により
 葬られた天皇は、持統天皇)といった人々まで、火葬が拡がっていった切っ
 掛けは、この道昭の火葬だったと考えられます。

◇ということで、「火葬禁止令」
 さて、道昭から始まった日本の火葬が禁止された期間がありました。
 その期間が、明治6年(1873年)7月18日の火葬禁止令の布告から、これが廃
 止された明治8年(1875年)5月23日の間。

 事の発端は東京の市街地に位置した火葬場からの煤煙と臭気が近隣住民の健
 康に害を与えるということで、その移転が取りざたされたこと。
 単に、市街地からの移転・・・のはずだったこの問題に、火葬場の移転なん
 て話じゃなく、火葬そのものを禁止すべきだという神道派の主張が政府を動
 かし、なんと本当に「火葬禁止令」(太政官布告第 253号)なるものが出て
 しまったのでした。

 神道派の人々は、「火葬は仏教の葬礼方式」とこれを排撃したようです。
 なんだか、明治の初めに盛んだった廃仏毀釈運動を思わせる仏教排撃運動の
 一つのような気がします。

 さて、火葬をやめると埋葬は基本的に土葬となります。土葬するとなると、
 それに要する土地の面積は火葬のそれよりも大分広い。都市部で、火葬を禁
 止して、埋葬用の墓地の土地は大丈夫なのか?

 一応、この「火葬禁止令」が出される前には、土葬用の墓地の用地が十分に
 確保出来るかを調べ「土葬用墓地枯渇の慮は低い」という結果となったので
 すが、この調査がいい加減だったのか、見通しが甘かったのか、間もなく都
 市部では、土葬用の墓地の枯渇が始まり、埋葬を拒否する墓地が現れたり、
 葬儀費用が高騰してしまったりという問題が発生し、ついに「火葬禁止令」
 を廃止することになりました。

 火葬禁止令の布告から廃止まではわずか 674日。2年に満たない火葬禁止令
 の寿命でした。

 それにしても墓地の確保可能性の調査して布告されたはずの火葬禁止令だっ
 たはずなのに、2年も経たずに墓地の不足問題を引き起こしてしまったとい
 うのは酷い。いったいどんな調査と予測をしたものなのか?

 高速道路や新幹線、地方空港に見る建設予定検討時の採算予測と現実の採算
 が大きく乖離しているという問題を彷彿としてしまうのは私だけ?
 何はともあれ、明治8年の今日にはこのやっかいな法律、「火葬禁止令」は
 廃止されました。
 目出度し目出度し(?)

 今日は土曜日、のんびりとした休日の朝であったため、ふと気になってしま
 った「火葬禁止令廃止の日」からその経緯を調べてみました。
 良いことを知った・・・といえるかどうかはわかりませんが、「今日は何の
 日」には、面白い話が転がっているものだなと思った、かわうそでした。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)
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