こよみのぺーじ 日刊☆こよみのページ スクラップブック(PV , since 2008/7/8)
■ユリウス暦の年初と暦の慣性
 暦の話でよく尋ねられるものの一つに、

  1年の初めの日付にはどんな意味があるのですか?

 というものがあります。
 現在の年初、1月1日にどのような意味があって決められたのか、確かに気
 になるところです。現在私達が用いているグレゴリオ暦とその前身であるユ
 リウス暦は、ともに太陽暦。季節の動きをよく表す暦といわれていますから
 その暦の1年の始まりにも、季節や太陽の位置から考えて特別な何かがあっ
 てこの位置に決められたに違いありません。

 では早速、現在の年初である1月1日の意味についてご説明いたします。
 と、言いたいところですが・・・

 「現在の1月1日には、天文学的な特別な意味は見当たりません」

 というのが、正直なところです。
 無理矢理に何かないかなと考えても、比較的冬至に近い位置にあるというこ
 とくらいです。まあ、近いと言っても十日近くずれていますから、冬至の位
 置にあわせて決められたとは言いがたいでしょう。あれこれ考えても、既に
 書いたとおり、「特別な意味は見当たらない」という結論になりそうです。

◇ユリウス暦の始まりの日と乱年
 現在のグレゴリオ暦は閏年の置き方に関する規則が小修正された以外は、そ
 の前身であるユリウス暦を踏襲した暦です。年初の位置に関してもユリウス
 暦を踏襲していますから、グレゴリオ暦の年初の位置にどんな意味があるか
 という問題はユリウス暦の年初の位置がどのように決められたかという問題
 に帰着します。
 では、ユリウス暦の年初には何か意味があったのでしょうか?

 ユリウス暦は、ユリウス・シーザーの命によって使われるようになった暦で
 その始まりは紀元前45年でした。それ以前のローマ暦から年初は既に1月1
 日からとなっていました(公的には。民衆の間では、古くからの伝統である
 3月年初という考えが根強く残っていたようです)。

 ユリウス暦の改暦に際しても、この1月1日を年初とするという点はそのま
 ま踏襲されました。ただ、この「1月1日」をどこに置くかということで、
 日付の調整が、ユリウス暦の最初の年の前年(紀元前46年)に為されまし
 た。この紀元前46年は、暦の世界(?)では、

  「乱年」あるいは「最後の乱年」

 と呼ばれています。
 なぜこの年が乱年と呼ばれるかといえば、この年の1年の日数が 445日とい
 う大変な変則の年だからです。

 ユリウス暦以前のローマ暦は経験的な太陰太陽暦の一種で、基本的には2年
 毎に20日あまりのうるう日が挿入される暦でした。ところがこのうるう日の
 挿入には明確な規則がなく、どの年にうるう日を挿入するか否かは為政者の
 判断によっていました(この点が「経験的な太陰太陽暦」と云われる所以で
 す)。こうした暦でしたから、為政者達の都合によって恣意的にうるう日の
 挿入の年を変更してしまうことが度々あり、暦はかなり混乱した状態になっ
 ていました。

 シーザーが、ユリウス暦改暦にあたって、この混乱した状態に終止符を打つ
 べく、強権で生み出したのが 445日に及んだ「乱年」です。確かに日数を見
 ると、乱年は異常な年(それも、破格に)といえますが、それ以前の暦の年
 自体が既に乱れた年であったための付けが、溜まりに溜まった年と云うこと
 が出来るかもしれません(ということで、「最後の乱年」ですね)。

◇乱年と、暦の慣性
 単純に1年の日数を太陽の巡りの日数に近い365〜366日にすると云うだけで
 あれば、わざわざ乱年など設ける必要は無かったはずです。それなのにわざ
 わざ乱年を設けた理由は何でしょうか?

 どうやら、ユリウス暦の最初の年の年初を何か、意味のあるものにする為だ
 と考えられます。ではその理由とは?
 それらしいものを探すと、怪しいものが一つあります。ユリウス暦の始まっ
 た紀元前45年1月1日は、新月の時期だと云うことです。
 「新月の日」でなく「新月の時期」という曖昧な書き方になってしまったの
 は、計算してみますとちょっとだけ新月とずれているからです。

 現代の天文学において天体の位置計算などに用いられる、力学的に一定な時
 刻系である力学時というものでユリウス暦の始めの日前後の新月の日を計算
 すると

  紀元前45年1月2日 (3時50分)

 となります。
 ただし、地球の自転速度は変化しており、紀元前45年当時と現在との間に累
 積した力学時と地球の自転に基づいた時刻との差はおよそ1万秒ほどである
 と考えられます(日食の記録などから)。また、ローマの経度は東経12.5°
 ほどですから、この経度差による時差も考慮する必要があります。
 こうしたことを考えると、この当時のローマでの新月の日時は

  紀元前45年1月2日2時頃

 ということになります。
 惜しい。2時間ほどずれていれば目出度く1月1日が新月の日だったのです。
 なぜこの2時間ほどのずれが出てしまったのか、意味があったのかと考える
 と確証はないのですが、もしや新月の日時の推定に誤りがあったのではない
 かと思えます。かなり小さい差ですからね。他に思い浮かぶ理由もないし。

 計算のずれの理由はわかりませんが、ユリウス暦の始まりの日を新月にした
 かったという理由は見当が付きます。それは「暦の慣性」というものです。

 ユリウス暦が使われる前のローマ暦は、経験的なとはいえ、太陰太陽暦でし
 たから、暦の暦月と月の満ち欠けには一定の関係があるべきだという考えは
 根強くあったものと想像出来ます。

 暦は、科学的な部分も当然ありますが、それが使うのは必ずしも科学的では
 ない人間。どれほど科学的で合理的であったとしても、それを使う非科学的
 で非合理な人間達に受け入れられなければ定着はしません。

 人間とその人間によって作られている社会は急激な変化にはなかなか対応で
 きないものですから、改暦するにしても可能であればそれまでの使い慣れた
 暦の仕組みに似たものの方が受け入れられやすい。改暦はどれほど合理的な
 ものであっても、こうした「暦の慣性」を無視して押し通すのは難しいので
 す(社会の規模が大きくなればなるほど、暦の慣性は大きくなり、改暦は難
 しくなります)。

 おそらく、絶対的な権力を持った合理的な考えのシーザーですら、こうした
 暦の慣性を無視することは出来ないと考え、改暦にあたっては、太陽暦であ
 るユリウス暦には不要な、月の朔望を考慮し冬至に近い新月の日(に近い)
 を選んだものだと想像します。そうでなければ、わざわざ乱年を作ってまで
 この日を年初とする意味が解りませんから。
 とはいえ、2000年以上も前のことで、真偽のほどはわかりませんが。

 ちなみに、ユリウス暦の最初の日が新月に近い日が選ばれたとはいえ、ユリ
 ウス暦(とその後を継いだグレゴリオ暦)は月の朔望とは無関係な太陽暦で
 すから、今の年初の位置と月の朔望に関係があるかと言えば、

  まったく無関係

 ということになり、その他にもこれと云った天文現象等との関係は見当たり
 ません。
 「1月1日にはどんな意味がありますか?」と尋ねられると、何の関係もない
 と答えるか、今日の暦のこぼれ話のような長い話をするか・・・。どっちに
 しても納得してもらうのは難しい話ですよね。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)
こよみのぺーじ 日刊☆こよみのページ スクラップブック