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■理科年表の「夜明」と「日暮」
半月ほど前のことですが、天文や暦についてかなり詳しい方から思いもよら
ぬ質問をいただきました。その質問とは
理科年表に「夜明」と「日暮」ってあるけど、これはなに?
というものでした。
あれれ、ご存じじゃないんですか??
なるほど、言われてみれば「理科年表」なんていう正確な(現時点では正確
と考えられているという意味で)数値をまとめた本に掲載しれている数値と
しては、「夜明」「日暮」という、なんだか曖昧な雰囲気の言葉があること
自体不思議な感じもしますね。
まず最初に申し上げておきますが、理科年表にある「夜明」「日暮」という
ものは、太陽が地平線から昇る、あるいは沈む日出没とは違っています。私
は「日出没」という言葉を主に使いますが、理科年表ではここれに相当する
言葉として「日出入」が使われており、もちろん「各地の日出入」という項
目で各地の1年分(10日ごと)の値も掲載されていますが、これとは別に
夜明,日暮,日出入方位,南中高度
というページがあって、東京における値が掲載されています。
ここにあるのは「日出入方位」で「日出入時刻」ではありません。時刻とし
て記載されているものはあくまでも、夜明と日暮の時刻です。
◇夜明,日暮と日出入の違い
理科年表の「夜明」「日暮」が何かは、きちんと理科年表自体に説明があり
ます。暦部の解説のページに、たった1行ですが次の文が載っています。
『夜明,日暮 視太陽の中心の伏角が7°21′40″になる時刻である。』
《丸善 理科年表 (2013年版) より》
理科年表の版が古いのはご容赦。本棚のスペースの関係で、紙の理科年表の
購入は最近しておりませんので、最後に購入した紙の版を利用しました。
なるほど、「視太陽の中心の伏角が7°21′40″になる時刻」なのか! と
御納得いただけましたね? え、御納得いただけませんかね??
ここに登場する「伏角」とは「地平線より下向きに測った角度」を表す言葉
です。比較のために日出・日入は理科年表ではどのように定義されているか
というと、
『日の出入りの時刻は太陽の上辺が旧東京天文台(日本経緯度原点)に
おける地平線に一致する時刻である。(中略)地平大気差の定数とし
て、35′08″を用い,標高の効果は考慮していない。』
《丸善 理科年表 (2013年版) より》
とあります。夜明,日暮の定義とは明らかに違います。ただ、このままでは
両者の比較が難しいので、理科年表の日出入の定義を夜明等の定義風に書き
改めると
「日の出入りの時刻は視太陽の中心の伏角が35′08″+太陽視半径-地平視差
(≒0°51′17″)となる時刻」
となります。太陽視半径、地平視差は季節というか、地球が公転軌道のどの
あたりにいるかで若干変化しまずが平均的な値として16.0′と9″をそれぞ
れ用いて求めた角度を()内に示しました。
日出入と夜明等とでは、伏角は約6.5°ほども違うことが分かります。
◇「夜明」「日暮」は「明六つ」「暮六つ」の時刻
では「夜明」「日暮」なにかというと、その正体をつかむヒントは夜明等に
ついての説明の中の数字、「伏角7°21′40″」にあります。
これは、江戸時代に使われた公式の暦である寛政暦と天保暦が
「明六つ」「暮六つ」の時刻
を求めるために用いた数値を踏襲したものなのでした。
ということは、「夜明」「日暮」は寛政暦、天保暦の「明六つ」「暮六つ」
に対応する概念なのです。
「明六つ」「暮六つ」は昼と夜の境界を示す時刻でしたから、この伝統的な
昼夜の境界となる時刻として、今も理科年表に掲載されているのでしょう。
この話を書くきっかけになった質問をくださった方もまさか、理科年表に江
戸の昔の明六つ、暮六つの時刻が掲載されているなんて思いもしなかったの
でしょうね。意外な盲点ですね。
この話を書きながら、明六つ、暮六つについてはもう少し書いておきたいこ
とがあるんだけどと思いましたが、話が長くなりすぎるので本日はこの辺ま
で。続きはまた近いうちに。
以上、『理科年表の「夜明」と「日暮」』でした。
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)
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