和風月名(わふうげつめい)の話
和風月名(わふうげつめい)の話
 一月(正月)、二月、三月・・・と年首からの順番に番号を振られた暦月ですが、この暦月にはこうした単純な名前以外に、さまざまな異称があります。その数多くある暦月の異称の中でも特に広く使われてきた代表的なものを、まとめて和風月名(わふうげつめい)と呼ぶことがあります。現在、和風月名と呼ばれている暦月名は次の通りです。

 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月
 文月 葉月 長月 神無月 霜月 師走

 和風月名の全てがすらすらと出てくるという方は少ないかも知れませんが、そのうちの一つや二つは誰しも見聞きしたことがあると思います。

●和風月名の由来
 広く、そして古くから使われてきた和風月名について、まず最初に、それぞれの月名についての由来を見て行きたいと思います。なお、それぞれの月名の由来については、諸説様々ありますので、その中から代表的なものを選んだものとなります。
  • 睦月(むつき)
    睦月 一月初春。貴賤が往来し拝賀し、親類一同が集まって「睦みあう月」を略したものとする説が有力です。
     他に年の初めを意味する「元つ月(もとつつき)」を略したとする説、稲の実を水に浸す月を意味する「実月(みのりつき)」などの説もあります。

  • 如月(きさらぎ)
    如月 二月仲春。如月は中国の古い字書、爾雅に「二月を如となす」とあるところからの当て字。読みの「きさらぎ」は日本書紀にも見られる古い言葉。まだ寒さが残り、衣を更に着る月の意味で「衣更着(きさらぎ)」とする説です。
     他に草木の芽が張りだす月の意味の「草木張月(くさきはりづき)」が転じたものとする説などがあります。

  • 弥生(やよい)
    弥生 三月晩春。草木が盛んに伸び茂る月を意味する「草木弥生い茂る月(くさきいやおいしげるつき)」が短縮されたものという説が有力です。
     他には水に浸した稲の実がいよいよ生ひ延ぶるを意味する「いやおい」が弥生に転じたとする説などがあります。いくつかの説はありますが、いずれも「弥生(やよい)」が植物が勢いよく生長する様を表す言葉であるという点は共通します。

  • 卯月(うづき)
    卯月 四月初夏。田に苗を植える月を意味する「植月(うえづき)」が転じて「卯月(うづき)」となったとする説があります。「卯」の文字を用いたのは卯が十二支の四番目であるからと言われています。
     また、平安時代末に書かれた歌学書、奥義抄に「うの花さかりにひらくゆえに、うの花づきというをあやまれり」と記されたことから「卯の花月」を意味する「卯月」となったという説もあります。

  • 皐月(さつき)
    皐月 五月仲夏。田植えが盛んに行われる月であることから早苗を植える月を短縮した「早苗月(さなえつき)」が語源であるとする説が有力で、異論はあまりありません。「さなえ」の「さ」は単なる稲ではなく、神に捧げるための稲を表すとも言われます。日本書紀においては「五月」に「さつき」の読みを当てています。この言葉に「皐月」の文字を当てるようになったのは後世のことです。なお、皐の文字には沢、湿地、水ぎわ、告げる等の意味があります。

  • 水無月(みなづき)
    水無月 六月晩夏。田植えが終わり、田に水を入れて水を張る月の意味の「水張月(みずはりづき)」、あるいは同じく田に水を入れることから「水の月」の意味という説が有力です。「水無月」の文字は当て字で、「無」は助詞の「の」の意味となる「な」に当てられた文字と考えられます。
     他には田植えが終わり、農作業をし尽くしたという意味の「皆仕尽月(みなしつくづき)」という説もあります。
     何れの説にせよ、農業と水に強く結びついた名前だと考えられます。

  • 文月(ふづき)
    文月 七月初秋。稲の穂が実る時期に当たる月なので「穂含月(ほふみづき)」、あるいは「含月(ふくみづき)」からと考えられます。この月名に「文月」の文字が当てられたのは、奈良時代に七夕行事が伝えられて以後と考えられます。七夕の夜には牽牛・織女の二星に詩歌を献じたり、書物を開いて夜気にさらすといった行事があり、ここから「ふづき」に「文月」の文字を当てたものと考えられます。

  • 葉月(はづき)
    葉月 八月仲秋。木々の葉が色づき落ちる月の意味の「葉落ち月(はおちづき)」が語源と考えられています。現在の感覚では八月は盛夏の頃ですが、旧暦時代の八月は仲秋ですから、木々の葉が落ち始めても不思議のない時期です。
     他には稲の実りの時期であることから「穂張り月(ほはりづき)」、雁が初めて飛来する季節なので「初来月(はつきづき)」が語源だという説もあります。

  • 長月(ながつき)
    長月 九月晩秋。秋の夜長と言われる時期の月であることから、夜の長い月「夜長月(よながつき)」を略したものとする説が有力です。
     他の説としては稲刈りの時期であると言うことと結びつけ「稲刈月(いねかりつき)」、「稲熟月(いねあがりつき)」の語の一部が略されたとする説もあります。

  • 神無月(かんなづき)
    神無月 十月初冬。全国の神々が縁結びの相談をするために出雲の国に集まるため、出雲以外の国々では神が不在となることから「神無月」としたとする説が一般に広く知られた語源です。
     他には新穀を神に捧げる月の意味の「神嘗月(かんなめづき)」、雷がなくなる月であるから「雷なし月(かみなりなしづき)」などが語源となったとする説もあります。

  • 霜月(しもつき)
    霜月 十一月仲冬。霜の降る月で「霜降り月(しもふりづき)」であったものが誤って「霜月」となったという説が有力です。
     他には草木が枯れしぼむ季節であることから「凋む月(しぼむつき)」であるとする説もあります。

  • 師走(しわす)
    師走 十二月晩冬。年末の忙しさに師匠も趨走(すうそう)する月であることから「師走」となったとする説がよく知られていますが、明確な根拠はなく当て字であると考えられています。
     他には年末になり、経を読む機会が増える法師が馳せ走る「師馳月(しはせづき)」という説があります。また年の終わりの意味で「歳果月(としはつるつき)」、すべての事柄を終える意味の「為果つ月(しはつつき)」等諸説あります。

和風月名の由来は、本当はよく解らない?
 和風月名のそれぞれの月の名前と由来、意味を簡単に書きましたが、その直前に「由来については、諸説様々ありますので、その中から代表的なものを選んだ」とわざわざ断りを入れました。これは、その由来や意味については諸説紛々として、どれが正しいと言い切ることが出来ないからです。

 ただ和風月名の月名を見て行くと、身近な植物の生育の様子や農耕作業に関連した言葉、家族や地域といった狭い範囲での行事に関連する言葉から生まれたと考えられる名前が並んでいることには気がつきます。
弥生時代 どうやら、和風月名は周囲の自然の変化を見て季節の移り変わりを計っていた時代、暦の歴史で言えば自然暦と呼ばれる原始的な暦の時代まで遡る言葉であると考えることが出来そうです。
 「む+月(睦月)」とか「う+月(卯月)」といった具合に、月と組み合わされる言葉が一音節であることからも、単語数が少なく言葉が単純な時代にまで遡るものではないかと推測されます。
 こうしたことから考えると、和風月名はおそらく日本に文字がなかった頃に生まれた古い言葉なのでしょう。ですからその由来については、はっきり言って藪の中。後世になってからいろいろな人があれやこれやと、もっともらしい由来を「発明」はするのですが、本当のところは誰にも解らないものとなってしまっています。

●和風月名は旧暦の月名?
 和風月名は古くから使われた言葉と言うことだからでしょうか、これは旧暦時代の月名と説明されることがあります。しかし、これはどうかなと私は思っています。その理由を以下で説明します。
  • 昔の暦には睦月、如月、弥生・・・と書かれていたか?
     まず基本的な話として、旧暦といわれる暦がまだ現役の暦であった時代、例えば江戸は天保の頃の暦の月名がどう書かれていたかですが
      正月・二月・三月・・・
    と書かれていました。当時の暦にも睦月・如月・弥生・・・とは書かれていませんでした。もっとも「正月」と書いて「むつき」と読んでいけないわけではありませんけれど。少なくとも書かれてはいませんでした。

  • 睦月は旧暦の正月のこと?
    和風月名一覧 和風月名を旧暦の月名と考える方は、和風月名の名の由来を考えると旧暦の月の方がよく合うという理由からそう考えるようです。
     例えば、弥生が草木が伸び茂る月と考えると、新暦の三月ではまだちょっと早すぎる気がします。まだ芽が出始めたばかりじゃないかと。その点旧暦三月ならば、新暦の四月頃ですから語源によく合ってよい具合です。八月を意味する葉月も新暦では「木々の葉が落ちる月」とはとても云えない暑さの厳しい時期です。

     こうした植物の生育状況などを表す言葉が由来と考えられる月だと、新暦の月ではピッタリこないというのはうなずけます。ですが師走とか睦月はどうでしょう? 師走は年末の慌ただしさを、睦月は年の初めを祝う人々の様子という年中行事と深く結びついた名前です。現在でも年中行事を旧暦の日取りで行う地域もないではありませんが、多くの人は新暦によって正月を祝うと思います。年末の慌ただしさも、大部分の方は新暦の十二月に感じるでしょう。
     こうなると、新暦では年が改まって半月が過ぎ、正月行事も一段落した頃に、旧暦ではまだ十二月だからといって、

      師走は忙しいですね?

    とは言いにくいですね。師走や睦月という月はその名の由来を考えると、現在なら新暦の暦によくあうように思えます。

     暦は季節の変化を計る(示す)ための道具である一方で、人間の社会生活のリズムを刻む道具でもあります。改暦によって年首の位置がおよそ一ヶ月移動しても自然は暦にあわせて、春の位置を一ヶ月移動してはくれません。ですが暦を使って社会生活を送る人間の生活のリズムは、改暦による年首の移動に合わせて変化します。

     和風月名には、人間の都合(改暦)では変わらない自然と、人間の都合で変わる生活のリズムそれぞれに関係した名前がありますから、「和風月名は旧暦の月名」と単純には言い切れないと思うのです。
     かといって、じゃあ「弥生は新暦の四月、卯月は五月、皐月は六月とすればいい」ともいえません。「皐月」は「五月」とも書くくらいで、元は自然の変化から生まれた自然暦から発した言葉であっても

      弥生は三月、卯月は四月、皐月は五月・・・

    と使い続けてきた千年以上の慣習と伝統を簡単に覆すことは出来ないからです。とはいいながら、新暦への改暦から既に150年あまりが経過して、少しずつこの辺りの感覚も変わってきつつあるのも事実です。本来は田植えが盛んに行われる梅雨の季節を表していた皐月(五月)ですが、「五月晴れ」という言葉の意味が、梅雨に入る前のよく晴れた初夏の清々しい天気を指すようになってきたように、感じ方が少しずつ変わってきたように思えます。さらに数十年、数百年が経過したら、「新暦に合致した和風月名の解釈」なんかも生まれてくるのかも知れません。
     そう考えれば「和風月名は旧暦の月名」と単純に片付けるのはおかしいと私は考えているのです。
●おしまいに
 今回は、素敵な名前が並ぶ和風月名について採り上げてみました。大変古い時代に生まれて、今まで伝えられてきた和風月名ですが、今後はどうなって行くのでしょうか?
 変化して行くのかそれとも変わらずに残って行くのか、もしかしたら和風月名そのものが忘れ去られて行くのか。興味ある問題ですね。精々長生きして、少しでも長くその変化を見ていきたいなと思うかわうそでした。

余談
まだまだ、沢山ある暦月の異称
 今回は暦月の異称の代表格、和風月名の話を採り上げましたが、和風月名以外にも暦月には沢山の異称、別名があります。どれくらいあるかと云うことで、一月(正月)について、一部を拾ってみると

 睦月、建寅月、孟春、霞初月、暮新月、早緑月、三微月、太郎月、
 子日月、初空月、初春月、初見月、王春・・・

といった具合になります。もう勘弁して下さいと云うくらいあります。さらに、地方独特の呼び名などもあるでしょうから、その数と云ったら本当に「勘弁して下さい」というくらいあることは間違いない。一月だけでこれくらいですから、十二ヶ月分となると・・・。
 こんなに沢山の異称があることを考えるだけで、暦月というものがどれほど人間の生活に密着した大切なものだったかと云うことが解ります。
 本当に、暦の話は面白いですよね(私だけ?)。

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※記事更新履歴
初出 2001/01/20
修正 2023/01/03 (全面書き直し・カウンタリセット)
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