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大晦日と除夜
   冬景色 冬の寒さが厳しくなり、雪や氷の話が天気予報に頻繁に現れるようになると、一年もそろそろ終わりです。
今回は、一年の最後の日、大晦日とそれにまつわる話です。
  • 「大晦日」は、何て読む? 
     大晦日は「おおみそか」または「おおつごもり」と読まれます。大晦日の「晦日」は暦月の最後の日をあらわす言葉で「みそか」あるいは「つごもり」と読まれます。大晦日は一年最後の特別な晦日ということなので、晦日の前に「大」一文字が加えられて「おおみそか」「おおつごもり」と呼ばれるのです。
     暦月の最後の日である「晦日」は「みそか」「つごもり」と読まれますが、考えてみると不思議な読み方です。なぜこんな風に読まれることになったのでしょうか。それは次のような理由からです。

     日本で千年以上使われていた太陰太陽暦(一般には旧暦と呼ばれることもあります)では暦月の最後の日の日付が三十日を超えることはなく(三十日か二十九日のいずれか)、三十日であれば確実にその日は暦月最後の日でしたから、「三十日(みそか)」といえば月末の日をあらわすようになりました。太陰太陽暦の暦月最後の日はまた、新月の前日ですから普通は晦日は月が見えない日でした。この月が姿をあらわさないことを、月が籠もってしまって姿を隠すという意味で、「月籠り(つごもり)」と呼ばれるようになったと考えられます。

     ちなみに「晦」という文字は、これ一文字でも月末の日をあらわす文字で、「くらい」という意味もあります。月の出ない日ですから夜は暗いというわけです。

  • 除夜(じょや) 
     大晦日の夜を「除夜」といいます。この夜は旧い年と新しい年が入れ替わる夜ですから、「旧い年を除く」という意味で除夜と呼ばれるのです。

    除夜 旧い年を除くこの夜は産土神を祀る神社に詣でて籠もり、眠らずに新しい年の年神を迎えるというのが本来の姿でしたが、それが徐々に簡略化されて現在に至っています。除夜の夜に神社に詣でるとか、元日の未明に神社に参拝するといった行為は夜通し神社に籠もった行事の名残といえます。

     神々は人の目にふれないものですから、暗い夜の間にやってきます。ですから、神を迎える側の人間は夜通し起きて神を迎えるわけです。とはいえ、神職でもない一般の人まで夜通し起きて神を迎えるというのは大変ですから、こうした行事は次第に簡素化されていったのでしょう。
     今でも大晦日の晩にあまり早く寝てしまうと白髪になるとか、しわが出来るといった言い伝えが残っていますが、これは除夜に眠ることが禁忌であったことの名残りと考えられます。この夜ばかりは夜更かしの子供も叱られずに済むのでした。

  • 除夜の鐘 
     除夜と言えば 108つの除夜の鐘。この 108は人間の煩悩の数だといいます。
     どうして煩悩の数は 108なのかというと人間の六根(ろっこん)と呼ばれる感覚器、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つにそれぞれ、好・平・悪の三つの状態があり、さらにこれが程度によって、染・浄の二つに細分され、これらが過去・現在・未来にそれぞれ有るということで 108なのだという説が有ります。
    1. 六根 ・・・ 6
    2. 1 の好・平・悪三種 ・・・ 6 × 3 = 18
    3. 2 の染・浄二種 ・・・ 6 × 3 × 2 = 36
    4. 3 の過去・現在・未来 ・・・ 6 × 3 × 2 × 3 = 108
    と言うわけです。

    除夜の鐘 この 108には別の説もあり、その一つには暦になじみ深い 3つのものの数のだと言うものですので紹介します。暦となじみ深い 3つのものとは、
    • 暦月の数 ・・・ 12
    • 二十四節気の数 ・・・ 24
    • 七十二候の数 ・・・ 72
    •  合計 12 + 24 + 72 = 108
    という説です。暦月も二十四節気も七十二候もいずれも時の流れを測る物差しですから、煩悩が人間が時を過ごす中で積もって行くものだと考えれば、うなずける考えです。もっとも毎月、毎節気、毎候毎に煩悩が蓄積して行くのかと考えると、ちょっと気が重くなりますけれど。
     一年の間に積もりに積もった煩悩を祓ってくれるのが除夜の鐘。108つもある煩悩を見事に祓ってくれるとよいのですが。

  • 年越し蕎麦(そば) 
    年越し蕎麦 大晦日の話を書いてきましたので、最後は大晦日の夜にはつきものの食べ物、年越し蕎麦について、ちょっとふれておこうと思います。
     年越し蕎麦の慣習は江戸の中期に起きたといわれますから、意外と新しいものです。なぜ年越しには「蕎麦」なのかというと、これは次のような蕎麦の縁起の良さだと考えられます。
    1. 蕎麦の細く長い形状 
       よく人生を「太く短く」とか「細く長く」などと表現します。太さに関してはひとまず置くとして、長短に関して言えば、長くはすなわち長寿を意味する縁起のよいこと。この長寿を連想させる細く長い蕎麦の形状に、

        今年も無事に過ごせました。
        来年もまた、無事に過ごせて長寿を得られますように

      という感謝の気持ちと祈りを込めたものです。このためでしょう、年越し 蕎麦を「長寿蕎麦」などと呼ぶ地方も有るそうです。ちなみに「細く」の方は、まあ自分のことですから謙譲の気持ちから控えめに表現したというところでしょうか?
    2. 蕎麦は金を集める 
       金銀の細工師達は、仕事の後で蕎麦粉を練った蕎麦団子で仕事場に飛び散った細かな金銀の破片を集めたといいます。

       蕎麦団子を押しつけると細かくてとてもつまむことなど出来ない小さな金銀の破片が張り付いてきます。こうして飛び散った破片を蕎麦団子で集めた後、この蕎麦団子を水で溶くと蕎麦は水に溶け、金銀は溶けませんので貴重な金銀を無駄なくかき集められるわけです(蕎麦団子ごと、燃やしてしまうと言う話も聞いたことがありますが、水で溶く方が簡単そう)。

       このことから、蕎麦は「金を集める」もの、つまりはお金持ちになれる縁起物と考えられるようになったのです。
    3. 蕎麦は丈夫な作物 
       作物のソバは細くて華奢に見えます。強風によって吹き倒されもするのですが、そこからが偉い。倒れてもしばらくするとまた起きあがって(というか、倒れたところから)上向きに伸びて行きます。ソバは倒れない、縁起物なのです。
    4. 蕎麦は大量に作れる・素早く食べられる 
       江戸時代の商習慣は現金払いではなく、掛け売り。つまり「ツケ」での物の売買が当たり前。となると、月毎とか、盆暮れとかの節目はその「ツケ」の回収で大忙し。大晦日はその最たる日であったわけです。

       ですから、江戸の商家ではゆっくり食事をとる暇もない有様。そこで、短時間に大量に茹でられて、手早く食べることの出来る蕎麦は商家に重宝がられ、大晦日には「蕎麦」という慣習が出来たとか。

    1 に関しては全員に関係することですし、2〜4は縁起的にも実利的にもお金を扱う人々にとっては有難い。こうして何時しか「年越しには年越し蕎麦」となったのだと考えられます。

  • 新年は大晦日から 
    日暮れ 現在一日の区切りは深夜にありますが、昔は日暮れと共に日が替わると考えられました。
     日暮れが日付の区切りとなるのは太陰暦を使う文化ではよく見られることです。なんと言っても、日付を数えるのに月を使うわけですから、日が暮れとともに日が替わると考えるのはもっともなことです(例えばイスラムの国々の宗教行事に使われている太陰暦、ヒジュラ暦の日付の区切りは今も日没です)。

     日暮れに日が替わるという考えからすると、大晦日の晩というのは、新年最初の日、元日の始まりだと考えることが出来ます。

     大晦日から元日にかけて行われる行事は、夜中の零時に日付が替わると考える今の私たちの感覚からすると年末の行事と年始の行事のように二つの行事と映るのですが、実は年神を迎え入れるという一続きの新年の行事なのです。

     地方によっては大晦日の夕餉を年越膳(としこしぜん)、年取膳(としとりぜん)などと呼ぶことがあるのも、この夕餉が新しい年の年神を迎えての最初の食膳だと考えたことの名残です。
 大晦日の呼び名の話から始まり日の区切りの話まで、一通りの大晦日の話を書き終えたのが、2013年の12月30日。大晦日の話を年明けに書いていたのでは、あまりにも間が抜けた話となってしまうので大急ぎで何とか書き上げました。
 書き足りない話もまだいくつかありますが、欲張らずに今回の話はこの辺りまでで掲載することにします。書き足りない話は、また来年にでも・・・。

 ひとまず気になっていた大晦日の話を掲載することが出来て肩の荷が一つ降りたので、明日はのんびりと年越し蕎麦を食べることが出来そうです。よかったよかった。なお、「大晦日と除夜」に引き続き、お正月の記事も読みたいという方は、

 お正月 (http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0705.htm)

をお読み下さい(ちょっと宣伝・・・)。
 
余 談
除夜の鐘の撞き方
 除夜の鐘の撞き方は、「旧年中に 107回、新年になってから 1回」という具合に撞くそうです。これは、旧年中に撞く鐘で旧年中の煩悩が去ったことを表し、新年の 1回は新しい年が煩悩に煩わされることが無いように願うものだとか。現在は、深夜零時を日の替わり、年の替わりと考えるのが一般的ですから、除夜の鐘もこの「零時」をまたぐように頃合いを測って撞くのだそうです。上手く零時の段階で最後の一回だけを残すように鐘を撞くには、かなりの熟練した技術がいりそうです。

 大晦日の晩に除夜の鐘の音が聞こえるのであれば、上手に「旧年中に 107回、新年に 1回」撞けているかなんて耳をすませてチェックしてみると、鐘の撞き方にも上手下手があるかもしれません。
除夜の鐘の撞き方(へそ曲がり)
 へそ曲がりな見方をすると、旧年中の煩悩 108は旧年中に全部祓って欲しいように思えますね。下手に 1回残してしまうから、これが元になってまた一年で 108にも増えちゃうんじゃないのかな・・・。
まあ、煩悩が全然無くなると、人間でもなくなってしまうのかもしれませんから、煩悩の種を残しておくのかもしれませんね?
※記事更新履歴
初出 2013/12/30
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