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お正月
   もういくつ寝るとお正月・・・と言っているうちに大晦日。
というわけで「来年のため、再来年のため・・」と自分に言い訳して正月のいろいろな行事について、由来など書いてみました。
除夜詣・初詣・恵方詣
神社新年となって初めて寺社に詣でるので初詣である。
古くは年籠り(としごもり)といわれ、家長が氏神の社に除夜の夜から翌朝まで籠もって歳神を向かえる行事であったものが、除夜に詣でる除夜詣と年明け後に詣でる元日詣となったのが現在の初詣の原型。
今では日付が替わる瞬間を境内で待つものも初詣というが、これは除夜詣と元日詣を1度ですます省略形なのかな。
また、後述する恵方詣も初詣と言われることが多い。
除夜詣
一年の無事を感謝し、古い年を送り出す。「除夜」といえば、今は間違いなく「年末」。大晦日の夜である。しかし古代では一日の区切は日没と考えられていたため、除夜詣はどちらかといえば「新年」の行事に入るのかな?。
初詣
雑煮元旦(「旦」は地平線に日が昇った状態を表した文字なので、元旦は元日の朝あるいは午前中を意味する)に、祝いの雑煮を食べてから出かけるのが本来の姿らしい(考えたことが無かった)。
また、本来は「元旦」の行事であったが、段々と三日までとか、松の内までとか言われるようになってきた。人々が忙しくなってきたのか、はたまたずぼらになってきただけなのか。

後日追記(2007.01.03)
「雑煮」の写真、当初いいのが無くて「ぜんざい」の写真を載せてとぼけておりました(そして、すっかり忘れていました)。この度、この点へのご指摘がありましたので、差し替えを致しました。ばれてしまっては仕方がない・・・

恵方詣
「恵方」と年数の関係(年の十干で定まる)
年の十干方 角最近の年
甲・己の年甲(寅卯の間)東北東2014,2019
乙・庚の年庚(申酉の間)西南西2015,2020
丙・辛の年丙(巳午の間)南南東2016,2021
丁・壬の年壬(亥子の間)北北西2012,2017
戊・癸の年丙(巳午の間)南南東2013,2018
陰陽道の影響を受けて、「歳徳神」のいる方角の寺社にお詣りする行為を恵方詣という。
恵方は、元々は正月の神の来臨する方向であったが、九星術流行とともに「歳徳神」の所在する方向と考えられるようになった。
宮詣この一年、何事につけても吉となる方向とか。「明の方」ともいう。
恵方詣は、住居の恵方に当たる神社・寺院に詣でて新たな一年を向かえられたことを感謝する行事。江戸時代から盛んになり定着したもの。
初詣は元々「歳神」を向かえる行事であるが、これと陰陽道の「歳徳神」が混同されたような気もする(私見)。
なお、恵方については、恵方ってどっち? (http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0430.htm) でもう一度扱っています。そちらもお読み頂ければ幸いです。

正月の行事・風物
門松と注連飾り(しめかざり)
門松は歳神(様々な福をもたらす神)を迎えるための憑代(よりしろ)である。常緑の松は強い生命力の象徴であり、不老長寿の象徴である。地方によっては松に代わって榊、竹、椿などを用いることもあるが、いずれも常緑という点で「長寿の象徴」ということに代わりはないようである。
門松は年末に飾り、歳神を迎え正月六日(あるいは七日)にこれを外すことから、この日までを松の内という。この間、家に飾った門松に歳神が宿っているのであるから、神の宿る聖なる場所として俗界との境界に注連縄を張る訳であるが、それが正月の注連飾りの原型である。
みんなきちんと意味のあるものなのである(書いていて自分で感心してしまった)。

後日追記(2008.06.09)
江戸の町での門松の取り払いは元は16日だったそうです。これが 7日に変更となったのには明暦の大火の影響がありました。

明暦三年(1657)の大火事の教訓から延焼の拡大を抑えるため、乾燥して燃えやすくなる松飾りなどは早め( 7日)に撤去するようにという町振れが寛文二年(1662)に出され、これ以後 7日には松飾りが片づけられるようになったとのこと。
松飾りを焼く左義長を小正月に行う地域がまだたくさんありますが、これなどはこの町振れ以前の習俗を残したものかもしれませんね。

お年玉と鏡餅
大晦日に訪れた歳神は、人々に新たな生命力・福をもたらす。この生命力・福を「魂」といい、歳神によって与えられる魂なので「歳魂(としだま)」と言う。さて、この歳魂を具現化したものが餅(それも丸い餅)。
丸餅を神棚に祭り、歳神の霊力(歳魂)をその丸餅に得、これを家人一人一人に分け与えて食し、霊力を体に取り込むという考えがあり、これが「お年玉」の元ではないかと言われる。
鏡餅に関しては、「神棚に祭った丸餅」が始まり。そのうち、いろんな縁起物を添えて今の形に。
お節料理
「お節(おせち)」といえば、今では正月の料理という意味で使われることが多いこの言葉、元々は「御節供(おせっく)」の略。季節の節目に神に供えるものということで「節供」である(今は節句と書くことが多いが、本来は節供)。
お節料理は三が日あるいは松の内までに大切な人を招いてもてなす料理でもあり、この饗応自体を「お節」あるいは、「お節振舞」と言ったそうだ。
お節料理は、目出度い材料を用いた「晴れの料理」。また、火を使わないで食べることの出来る料理でもあり、年中忙しい竈の神様と女性を休めるための料理とも言われるが、その辺の感覚は薄らいできたようにおもう(どうかな?)。
七草
せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ」と並ぶ春の七草。正月七日には、この七草を炊き込んだ七草粥食べると無病息災で一年を過ごせるとか。
ここから先は「人日の節供」で書くことにしよう(まだ書いてない・・・)。
注:その後、無事に書きました。こちらから読めます。
小正月(公の正月と民間の正月)
元日から十四日までを「大正月」、十五日からを「小正月」と呼ぶことがある。
都市部では大分廃れてきているが、地方では小正月の行事がかなり残っているようである。この小正月、どうやら古代の正月の名残らしい。
小正月は別名女正月とも言われ、年末年始忙しくたち働いた女性たちのための行事とも言われる。
小正月については、いろいろとおもしろい話しもあるので、また別の機会に一話書いてみようと思う。詳しくはそのときに。
盆と正月
「盆と正月が一緒に来たよう」という言葉があるが、まさに盆と正月は日本の年中行事の双璧をなす重要行事。そして、実は双子の様な行事なのです。
小正月の項で書いたように、古い正月は1月15日。そしてお盆は7月15日(旧暦)。
ちょうど半年を隔てた日付で、行事の内容も大変類似したものが多い。現在では盆は仏教色が強く、正月は神道色の強い行事となっているが、これは仏教が広がって以後のことで、昔はどちらも先祖の霊を祭る大切な行事。今でも正月に墓参りをする地方は多い。
皆さんのところでも、盆と正月の行事の類似点を探ってみては。
余 談
大盤振舞?
鎌倉時代以後、武士社会では饗応の宴を椀飯(おうばん)と呼んだ。
そして、年頭に主君など目上の人物を招いて行った節振舞を「椀飯振舞(おうばんぶるまい)」と呼んだそうだ。
「今日は大盤振舞(おおばんぶるまい)だ!」なんて言うことがあるが、どうやら語源は椀飯振舞のようだ。
昔の思い出
昔々まだ子供だった頃、我が家では大晦日の深夜になると、一家で近所の神社に出かけるのが常だった。近所と言っても3kmくらい離れており、雪の道をてくてくと歩いて片道約1時間の道のり。とても一人では歩けないような暗い森の道を歩いてお詣りに行った。
お詣りの行き帰り、一家でいろいろな歌を唱い、他愛ない雑談を交わしながら歩いた。楽しい思い出である。
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