足下の花
(2006.11.30[木])
道を歩いていたら、足の下に花が咲いていた。 足もとに咲いた花ではなく、足の下に咲いた花である。 通り過ぎる足もとのアスファルトの切れ間に一瞬花の姿が見えた。
道路を横切る雨水溝。 雨水溝を覆った金属の格子の下に花の姿を垣間見た。 一瞬何が見えたのかわからずそのまま行き過ぎた。 目にしたものが腑に落ちるまでさらに5m。
雨の水の流れが運んだのかもしれない 吹き込む風に載って来たのかもしれない 狭い雨水溝に落ちた種は、わずかな土に根を伸ばし 遅めの秋に花をつける
雨水溝の中から見上げるわずかな空と、 雨水溝の中のわずかな土、 わずかではあれ天空と大地。
雨水溝の金属の格子の内と外、 それぞれの天と地の間に、 それぞれに生きている。
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ゴミの山
(2006.11.6[月])
「インターネットはゴミの山」
というのを読んだか聞いたかしたことがある。 何かものを調べるときに、ネット検索(「ぐぐる」とか「やふる」とか)するのは当たり前になってきた。便利だと思う反面、近頃は見つけた記事の多くが「ゴミ」。意味のある内容を選り分けるのが大変だと思うことも多い。
メールマガジン 日刊☆こよみのページ を出すようになってそろそろ40日。先日、現実の世界でも知り合いでかつメールマガジンの読者でもあるKさんから、
「毎日あれだけ書くのは大変ですね」
と言われた。 「大変と言ってもデータの大部分はプログラムで作るものなので」と答えたのだが、毎日チェックのためにプリントアウトしている原稿を見直すと「データ以外」の記事も結構ある。
試しにある日1日のメールマガジンの暦のこぼれ話や編集後記など、そのために書いた原稿部分を取り出して文字数を数えてみたら、2190文字。懐かしの 400字詰め原稿用紙にして 5.5枚分。これを一月続けたとしたら160枚。結構な量かも。
「塵も積もれば山となる」
小さなことでもコツコツ努力すればやがては大を為す。普通は前向きな言葉として使うが考えようによっては困った話でもある。 塵が積もって出来た山はほとんどの場合ただの「ゴミの山」なんだから。
「インターネットはゴミの山」
気が付けば私もせっせと、ゴミの山を生産するものの一人だったわけだ。アララ・・・。 生産したゴミの山の中に少しでも役に立つ情報が埋まっていればよいのだが。
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十三夜の月
(2006.11.3[金])
今年の九月十三夜は、11/3と随分遅い。 近年では1995年に11/5と言う例があるが、今後に話を限れば、少なくとも50年先までこんなに遅い九月十三夜はない。
秋から冬へ向かって空の透明度は増してゆくから、これだけ遅い時期の十三夜の月は透き通った大気の向こうで何時にもまして美しい。
日が暮れてベランダに出ると物干し竿の向こうに十三夜の月が見えた。 それこそ空には雲一つ無い。
ただ眺めるだけじゃもったいないと、双眼鏡を持ち出す。 双眼鏡で見ればなおいっそう綺麗じゃないか。 双眼鏡だけじゃもったいないと、今度は望遠鏡を持ち出す。
ベランダに出すことを考えて、持ち出したのは昨年の夏、息子(当時小学校4年)の夏休みの自由研究で作った小型の反射望遠鏡(口径114mm,焦点距離600mmのニュートン型。架台はドプソニアンタイプ)。
親の薦めで自由研究に作っては見たものの、息子自身は興味が無いのかそれっきり放置されて埃まみれの望遠鏡である。 久々に引っ張り出した望遠鏡の光軸は狂いまくりだったが、応急に調整してのぞくと、結構よく見えた。 息子に冷遇されたかわいそうな望遠鏡、これからは時々私がのぞいてやることにしようか。
(写真は、7倍50mmの双眼鏡+デジタルカメラを双方手持ちして無理矢理撮した月の写真。無理矢理の割にはよく写った方だ)
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