日刊☆こよみのページ スクラップブック(PV , since 2008/7/8)
【獺祭】(だっさい) 1.カワウソが多く捕獲した魚を食べる前に並べておくのを、俗に魚を祭る のにたとえていう語。 2.転じて、詩文を作るときに、多くの参考書をひろげちらかすこと。正岡 子規はその居を獺祭書屋と号した。 《広辞苑》 今日の記念日データによれば、本日は正岡子規の忌日で、糸瓜忌あるいは獺 祭忌であるとのこと。 その獺祭忌にちなんで本日のコトノハは、「獺祭」を採り上げてみました。 カワウソが獲物を食べる前に並べておく姿が、あたかも人間が物を供えて祭 っているようだと言うことで、「獺が祭る」と言う言葉になった物です。 ついでに魚まで付けて「獺祭魚(だっさいぎょ)」と書いても意味は同じ。 暦の世界には、この「獺祭魚」と言う言葉が登場します。 それは七十二候の一つ、 獺祭魚(たつうおをまつる) ・・・ 雨水の初候。新暦2/19頃 です。現在よく使われる日本風の、本朝七十二候には入っておりませんが、 暦が中国から輸入された時代から、中世の宣明暦(せんみょうれき)あたり までは、この言葉が使われていました。 冬が終わり、川の氷が融けてようやく思うさま河で漁が出来るようになり、 喜々として魚を捕らえた獺が、獲物を恭しく並べる姿を目にする頃という意 味で、七十二候に採り上げられたものと思われます。 獺が、一心に獲物の魚を並べる姿を想像したら、こちらまでなんだか嬉しく なってしまいますね。 一心に調べものをして、気が付けば周囲は開いたままの参考書で足の踏み場 もないと言った人の様子もまたこれに似ています。違うことは、喜々として いるのは、調べものをしている当人だけで、それを眺める周囲の人間には、 単に散らかっているだけと、冷ややかな眼差しを向けられることくらいでし ょうか? 獺祭の話を書いてきたので、ついでにおまけ情報を一つ。 なぜ「かわうそ@暦」なのですか? と私のHNについて質問されることがあります。 それに対する答えは、 私の部屋の有様を見ればわかります。 です。ただし、実際に見せろと言われたら・・・。 たまには片付けることにします。ということで「かわうそ@暦」なんです。
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