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【惑う】(まどう)
 1.〔心を乱されて〕どうしたらよいかわからないで途方にくれる。まよう。
 2.よくない事に心をうばわれる。まちがった方向にまよい込んで熱中する。
  《学研国語大辞典》

  子張、徳を崇(たか)くし惑(まどい)を弁ずることを問う。
  子の曰わく、忠信を主として義に徒(うつ)るは、徳を崇くするなり。
  これを愛するときはそのの生を欲し、これを悪(にく)むときはその死を
  欲す。
  既にその生を欲して又たその死を欲する、是れ惑いなり。
   《論語・顔淵篇》

 論語は、紙など無い時代に成立した書物ですから、その初期には口伝えによ
 って内容を伝達されたものと思われます。そのため、覚えやすく、無駄な言
 葉が少なく、詩の一編といった言葉が沢山あります。
 この「惑い」について語られた言葉もそうしたものの一つ。

 弟子の子張が当時使われていたことわざ、「徳を崇くし惑を弁ずる」の意味
 を師の孔子に尋ねたものだと考えられます。
 前段の「徳を崇くし」に関してはひとまず置くとして、今回の話「惑い」に
 ついては、後段の「惑いを弁ずる」つまり惑いを弁別するという部分で、孔
 子の考える「惑い」の意味が語られています。

 人は人をこれを愛するときにはいつまでも長く生き続けて欲しいと願うが、
 もしこれを憎むようになったときには、死んでしまえばいいと考える。
 評価の対象となる人が変わったわけでは無く、自分がこれを愛するか憎むか
 で評価が正反対に変化してしまうことさえある。
 これでは相手を評価しているのではなく、自分自身の評価の物差しを評価し
 ているようなもの。この間違いが「惑い」だと孔子は説明しています。

   Aはよくやっているが、それに比べてBはなっていない

 と考えたとき、果たして自分の物差しは同じものだったのか。
 惑わすものは外にあるのではなく、自分の内にあると孔子は教えています。

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