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【深淵薄氷】(しんえん はくひょう) 『深淵に臨んで薄氷を踏むが如し』 [詩経小雅小旻「戦戦兢兢、如臨深淵、如履薄氷」] 深い淵をのぞきこむ時のように、また薄い氷の上を歩く時のように、こわご わと慎重に行動すること。転じて、危険に直面していることの形容。 《広辞苑・第五版》 論語の中に、詩経のこの言葉を引用している箇所があります。 孔子の後継者となった曽子が臨終の床にあるときに弟子達に語りかけた言葉 です。 予が足を啓(ひら)け、予が手(て)を啓け。詩に云う、 戦々兢々として深淵に臨 むが如く、薄氷を履(ふ)むが如しと。 而今(いま)よりして後、吾免(まぬか)るるかな、小子(しょうし)。 夜具をのけて私の足を見よ、手を見よ、どこにも傷はないだろう。 親が生んでくれたこの身体を無闇に傷つけることのないように、これまでの 年月、深淵に臨むかのように、薄氷を踏むかのように注意して、生きてきた。 今から後はもうそうした心配から解放される。 そうだろう、君たち。 曽子は孔子から「参(曽子の名前)や魯」と評された人物です。 「魯」は魯鈍(ろどん)のこと、愚かで鈍いという意味です。先生が弟子を 評した言葉と考えるとちょっと酷すぎる気もします。 面白いのは、結局この魯鈍な弟子、曽子とその弟子の系統が孔子の学問を世 に残したところでしょうか(孔子→曽子→子思→孟子)。 曽子が詩経の「深淵薄氷」を引いて臨終の床で語ったこの言葉にしても、親 からもらった身体を傷つけないように、そればかり気にして戦々兢々として 生きてきたなんて、なんともつまらない、息のつまるような話しじゃないで すか。 と、論語を最初に通読した昔(二昔、いやもっと昔?)は思ったものですが、 不思議なことにこの「つまらない言葉」が頭の中に引っかかったままずっと 記憶の中に残っていました。 そして頭の隅っこに残っているこの言葉が、近頃は懐かしくて、思い出すと なにか暖かなものを感じるようになってしまいました。 弟子達に傷一つない手足を見せて、「もう安心してあの世へ行けるよ」とい う言葉に愚直に生き通した曽子の人生の深淵が仄見えるからでしょうか。 曽子と違って、沢山の傷を手足に残している私は、その傷の数以上に確かに 親不孝な子であるようです。
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