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【槿花一日の栄】 (きんか いちじつのえい)
 [白居易、放言詩「松樹千年終に是れ朽ち、槿花一日自ずから栄を為なす」]
 栄華のはかないことを、ムクゲの花にたとえていう。
 「槿花一朝の夢」とも。
   《広辞苑・第六版》

 夏の間、大きな花を幾つも幾つも咲かせている木槿ですが、その花一つ一つ
 は、朝に開いて夕方には萎んでしまう一日花です。
 その花の見事さと、わずか一日という短命さから、今回採り上げた「槿花一
 日の栄」という言葉が生まれました。

 この言葉は、辞書の説明のように栄華の儚さを表す場合に使われます。
 木槿のような見事な花も、その命は一日しか続かないように、栄耀栄華も長
 くは続かないものだと。

◇松樹千年・槿花一日
 「槿花一日の栄」の出典となった白居易の詩は「槿花一日」の前段に「松樹
 千年」という言葉が登場します。どうやら白居易は「槿花一日」を単に儚い
 ものの喩えとしたわけではなさそうです。白居易は

   (前略)
  松樹千年終に是れ朽ち、
  槿花一日自ずから栄を為なす

  何ぞもちいん世を恋うて常に死を憂うるを
  また身を嫌いてみだりに生を厭うことなかれ
   (後略)

 と詠っています。
 松は千年生き続けるといっても終には朽ち果ててしまう。木槿の花はわずか
 一日の命であるが、その一日は美しく輝いている。

 いつまでも生き続けたいと死を恐れることもないし、自らを嫌い生き続ける
 ことを厭うこともない。

 木槿の花の一日の命が松の千年の命に劣るものではなく、またその逆でもな
 い。浅薄な判断基準によって価値を計ることに拘泥するより、あるものをあ
 るがままに受け入れようと、白居易はいっているように思います。

◇木槿の季節の終わり
 毎日通る道筋に、幾本かの木槿の木があります。
 この木槿たちは七月の中頃から花を咲かせ続け、九月に入ってもまだ花を付
 けていました。

 その木槿も九月も半ばを過ぎた今は、一つ二つの花を時折思い出したように
 咲かせるだけとなりました。私の住む街では、木槿の花の季節が終わろうと
 しています。

 花の季節を終えようとしている木槿には、花の跡に蒴果(さくか。種を含ん
 だ乾果)がつき始めています。その花の一つだけを見れば、わずか一日の栄
 華と見える木槿ですが、その短い栄華の跡には、次の世代の栄華の種が生ま
 れていました。

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