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【竹馬の友】
 幼い頃に竹馬(たけうま)で遊んだ友達・仲間。幼友達。
 (用例)あの大臣とうちの親爺は竹馬の友だったそうだ。
 出典『世説新語』方正
   《旺文社 成語林・初版》

 竹馬(たけうま)というと、身の丈程の竹竿に足がかりを付け、これに乗っ
 て遊ぶ子供の遊び道具が思い浮かびますが、これが現れたのは江戸時代後期
 のことだそうです。古くは笹竹を適当な長さに切って、これを馬に見たって
 跨がって走り回って遊ぶものだったとか。魔女が竹箒に乗って空を飛ぶ姿の
 地上版というところでしょうか。

 成語林が出典とした世説新語にある話に登場するのは司馬炎(しば えん)
 と諸葛靚(しょかつ せい)という人物で、二人は共に竹馬に乗って遊んだ
 仲の幼なじみでした。二人が子供時代を過ごしたのは、三国志で有名な中国
 三国時代(3世紀)でした。

 幼なじみの二人でしたが、やがて一方の炎は晋の初代皇帝(魏の元帝の禅譲
 を受けて即位)となり、一方の靚は三国の最後の一つとして残った呉の国の
 将軍となって、敵味方に分かれて戦うことになりました。二人の戦った晋と
 呉の戦いで呉が破れ、滅びたことで三国の時代が終わりました。

 呉が滅びた後、炎は伝をたどって靚に晋への仕官を勧めますが靚は固辞して
 受けません。また、炎が会おうとしても靚は応じません。そこで炎は一計を
 案じ、偶然に出会うような形で、ようやく靚と言葉を交わす機会を得て

  「君は竹馬の友情を覚えているだろうか」
  (卿もとよりまた竹馬のよしみを憶うや否や)

 と話しかけました。
 ずっと炎を避け続けてきた靚でしたが、こうなっては正直にその思いを告げ
 るしかありません。

  「恩を受けた方の仇を討つことも出来ぬまま、
   再びあなたにお目にかかることになりましょうとは。」
  (臣炭を呑み身に漆ぬること能わず。今日また聖顔を観る)

 と答えると、後はただ涙を流すばかりでした。
 この姿を見て炎は自らの計略を恥じ、その場を去りました。
 その後、靚は隠遁し、終生晋の都の方角に背を向けて暮らしたそうです。

 竹馬に跨がり並んで遊んだ者同士でも、いつまでも同じ道を歩むことは出
 来ません。年月を経て、違った道の上に立つ司馬炎と諸葛靚は、どのよう
 な思いで竹馬で遊んだ幼い日を思い返したのでしょうか。

※「炭を呑み身に漆ぬる」は主君の仇を討つため、喉をつぶし、らい病者を
 装った春秋時代の豫譲(よじょう)の故事。

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